調律の聖女
「ひっ……!? い、嫌……! 来ないで……!」
リリアンが、聖女にあるまじき甲高い悲鳴を上げた。
彼女が生み出した純白の「虚無の渦」は、もはや彼女の制御を離れ、生みの親である彼女自身を「燃料」として喰らおうと牙をむいていた。
同時に、カイザーの黒い龍脈も、アストリアの聖魔法に刺激され、暴走の寸前でせめぎ合っている。
「ぐ……っ!」
カイザーは、自らの剣を大地に突き立て、荒れ狂う自らの力と必死に対峙していた。
戦場が、阿鼻叫喚に包まれる。
聖魔法はアストリア兵から魔力を奪い、龍脈魔法は帝国兵を無差別に攻撃する。
白と黒の嵐が混ざり合い、世界そのものが「無」に帰そうとしている。
(どうしよう……!)
私は、カイザーのすぐ後ろの軍馬の上で、ただ震えていることしかできなかった。
あまりにも巨大すぎる、二つの力の衝突。
「無能」の私に、何ができる?
「大地の裂け目」での覚醒は、ただの偶然だったのではないか?
(怖い)
あの金色の力を、もう一度使える保証なんてない。
下手に手を出せば、私もあのリリアンのように、力に飲み込まれて消滅してしまうかもしれない。
私は、また「失敗作」に戻るのが怖かった。
その時だった。
「―――エリアーナ!」
カイザーが、私を呼んだ。
龍脈の暴走と戦いながら、血を吐くような苦悶の表情で、私を振り返った。
「お前は、何だ」
「え……?」
「あの『大地の裂け目』で、お前が使った力。
あれは、アストリアの聖魔法か? それとも、俺と同じ龍脈の力か?」
彼は、問いかけていた。
私という「道具」の、真の「性能」を。
私という「所有物」の、本当の「価値」を。
私は、首を振ることしかできなかった。
「わ、かりません……! あれは、ただ、温かくて……」
「そうか」
カイザーは、私の答えを聞くと、なぜか、ふっと笑った。
血にまみれた唇で、あの「氷の皇帝」が、初めて、心の底から。
彼は、大地に突き立てた剣を引き抜いた。
そして、暴走しかけていた自らの黒い龍のオーラを、その剣先に集束させる。
「ならば、もう『道具』ではないな」
彼は、その剣先を、私に(・)向け(・)た(・)。
だが、そこに殺意はなかった。
「陛下!? なにを……!」
彼は、私に歩み寄る。
一歩、また一歩と。
荒れ狂う白と黒の嵐の中、彼と私の周りだけ、時間が止まったようだった。
彼は、私の目の前で馬を止め、私を見上げた。
その瞳には、もう「疑念」も「執着」もなかった。
そこにあるのは、絶対的な「信頼」。
私という存在そのものへの、揺るぎない確信だった。
「お前が『聖』であろうと『龍』であろうと、どちらでも構わん。
俺は、あの時、お前に救われた。
―――お前が、お前であると信じる」
彼は、私に向かって、剣で(・)は(・)な(・)く(・)、自らの「手」を差し出した。
その手には、制御された黒龍のオーラが、静かに渦巻いていた。
「行け、エリアーナ。
お前の信じるままに、その力を解き放て。
俺の龍脈は、お前と共にある」
(……ああ)
涙が、溢れた。
「無能」でも、「失敗作」でも、「道具」でも、「所有物」でもない。
彼は、初めて私を、「エリアーナ」と呼んでくれた。
私を、信じてくれた。
私は、もう迷わなかった。
私は、震える手で、カイザーが差し出した「龍の力」を――その手を、強く握りしめた。
ドクンッ!!
カイザーの黒い龍脈が、私の中に流れ込んでくる。
それは、もう「毒」ではなかった。
「大地の裂け目」で感じたのと同じ、カイザーの、あの力強い心音。
私を生かそうとする、熱い生命力そのものだった。
そして同時に、私は、もう片方の手を、暴走する「虚無の渦」――リリアンが放つ、白い嵐へと向けた。
(来るな!)
私の中に、もう一つの声が響く。
アストリアの聖魔法が、龍の力を拒絶しようとする。
光と闇が、私の体内で、再び激突しようとした。
(――違う!)
私は、心の中で叫んだ。
アストリアで私を虐げたのは、父やリリアンだ。「聖魔法」そのものではない。
帝国で私を苦しめたのは、龍脈の「暴走」だ。「龍の力」そのものではない。
光も、闇も。
「聖」も、「龍」も。
どちらも、この世界に必要な力だ。
どちらか一つだけが「正しい」なんて、そんなはずがない!
(私が、繋いでみせる!)
私の中に眠っていた、あの金色の「陽だまり」が、応えた。
それは、アストリアの「聖」の力でも、ドラゴニアの「龍」の力でもない。
その二つを、赤子をあやす母のように、優しく包み込み、受け入れる――
第三の力。
「―――『調律』しなさい!!」
私は、天に向かって叫んだ。
金色の光が、私を中心に、爆発した。
それは、嵐を吹き飛ばすような暴力的な光ではない。
まるで、凍てついた大地に、春の陽光が降り注ぐかのように。
優しく、どこまでも優しく、戦場すべてを包み込んでいく。
リリアンの暴走した「聖魔法」は、その金色の光に触れると、まるで母親に叱られた子供のように、その荒々しさを鎮めていった。
カイザーの荒ぶる「龍脈魔法」も、陽だまりの中でくつろぐ龍のように、穏やかな鼓動を取り戻していく。
白と黒の嵐が、止んだ。
金色の光の中で、二つの力は、対立することをやめた。
聖魔法は、枯渇したアストリアの大地を「癒し」始め、龍脈魔法は、その癒しを助ける「活力」として、穏やかに流れ始めた。
世界の「魔力循環」が、そのあるべき姿を取り戻していく。
戦場にいた両国の兵士たちが、武器を取り落とし、呆然と、その光景を見上げていた。
父も、そして、暴走から救われたリリアンも。
誰もが、金色の光の中心で、カイザーの龍の力を受けながら静かに佇む私――「調律の聖女」の姿を、ただ見つめていた。




