二つの暴走
「―――拒否する」
カイザーが放ったその一言は、静かだったが、玉座の間に集う全ての者の耳に、雷鳴のように突き刺さった。
父、アストリア国王の顔が、驚愕から屈辱へ、そして燃え盛る怒りへと瞬時に変わっていく。
「……き、貴様……っ! 今、なんと!」
「聞こえなかったか、アストリアの王よ」
カイザーは、私を(・)庇うように、玉座の前へと一歩踏み出した。
その背中は、私一人が隠れてしまえるほど大きく、黒龍のオーラが静かに立ち昇っている。
「俺の皇后を、貴様ら(・・)に(・)引き渡すことは、拒否する(・)、と(・)言った」
「き、貴様ごとき蛮族の王が……! このアストリアの『聖女』の慈悲を無にするか!」
「慈悲?」
カイザーは、心底おかしそうに、鼻で笑った。
「一度捨てた道具を、今度は『魔女』と呼んで殺しに来ることの、どこが慈悲だ。それはただの、貴様らの浅ましい『欲望』と『嫉妬』だろう」
「なっ……!」
父も、リリアンも、言葉に詰まる。
カイザーは、全てを、見抜いていた。
「これ以上、俺の玉座の間を汚すな。
―――失せろ。アストリアへ、帰るがいい」
それは、最後通牒だった。
父は、屈辱に顔を真っ赤に染め、剣の柄を握りしめ、わなわなと震えている。
だが、リリアンの瞳は、違った。
彼女は、カイザーが私を(・)「俺の皇后」と呼んで庇ったことに対し、嫉妬の炎で我を忘れていた。
「……許さない」
リリアンが、地を這うような声で呟いた。
「失敗作ごときが、聖女より……! 皇帝に選ばれるなど……!」
彼女の体から、純白のオーラが溢れ出す。
「アストリアの聖魔法こそが、唯一無二!
魔女も、蛮族も、ここで『浄化』してさしあげますわ!」
リリアンが、この玉座の間で、カイザーに攻撃魔法を放とうとしたのだ。
「―――愚かな」
カイザーの目が、絶対零度の「氷」に戻る。
彼が手を振り上げた瞬間、玉座の間にいた帝国の近衛騎士たちが、一斉にアストリア訪問団を取り囲んだ。
「きゃあっ!?」
「な、何をする! 無礼であろう!」
父や大臣たちの抗議も虚しく、彼らは武器を取り上げられ、あっという間に制圧されてしまった。
リリアンも、聖魔法を発動する寸前で、魔力を封じる枷をはめられる。
「……これが、回答だ」
カイザーは、床に膝をつかされた父を見下ろし、宣告した。
「アストリア魔法王国は、我がドラゴニア帝国に対し、宣戦を布告したものとみなす。
『聖女』を人質として預かり、残りの者は国へ帰れ。
―――戦場で、決着をつけようぞ」
*
それから、瞬く間に数日が過ぎた。
帝都は、戦の準備で、あの「龍脈の間」のように、荒々しい活気に満ちていた。
リリアンは、城の最上階にある塔に幽閉された。
父や大臣たちは、カイザーの宣告通り、屈辱にまみれてアストリアへと送り返された。
彼らが、このまま黙っているはずがない。
アストリアの全軍を率いて、国境地帯に集結しているとの報せが、次々と帝都に届いていた。
そして、私は。
「……なぜ、わたくしまで……」
「言ったはずだ。お前は俺のものだ、と」
私は、カイザーと共に、軍馬に乗っていた。
場所は、両国の国境地帯。
帝国の黒龍の軍旗と、アストリアの聖なる紋章の軍旗が、荒野を挟んで睨み合っている、その最前線だった。
カイザーは、私を帝都の安全な城に置いていくことを、拒否した。
「お前の『力』は、戦場でこそ必要になる」
彼はそう言った。
だが、本当の理由は違うと、私には分かっていた。
彼は、私という「宝物」を、自分の目の届かない場所に置いておくことが、我慢ならないのだ。
私は、カイザーのすぐ後ろで、彼の巨大な黒龍の紋章が染め抜かれた旗を、震えながら見上げていた。
「―――来たか」
カイザーが、地平線の向こうを睨みつける。
アストリアの軍勢が、動いた。
その先頭に立つのは――幽閉されていたはずのリリアンだった。
どうやら、父が、リリアンと交換する人質として、帝国の貴族を捕らえていたらしい。
リリアンは、軍馬の上で、純白の「聖女」の衣をまとっていた。
その手には、アストリア王家に伝わる「聖杖」が握られている。
「カイザー陛下! そして、魔女エリアーナ!」
リリアンの声が、魔力で増幅され、戦場に響き渡る。
「今こそ、神の御名において、その邪悪なる龍の力と、魔女の魂を『浄化』します!」
彼女が聖杖を天に掲げると、空が、アストリア側の空だけが、白く輝き始めた。
純粋な、だが、あまりにも強すぎる「聖魔法」の奔流だ。
「……フン。小細工を」
カイザーも、馬上で剣を抜き放つ。
「全軍、構えよ! 龍脈の力、解放!」
カイザーの号令と共に、帝国側の大地が呼応する。
黒く、荒々しい「龍脈魔法」のオーラが、大地から噴き出し、カイザーの剣先に集束していく。
(ダメだ……!)
私の本能が、叫んでいた。
あの二つの力がぶつかったら、ただの戦争では済まない。
私が「大地の裂け目」で感じた、あの金色の温かい力――「調律」の力が、あの二つは「相容れない」と警告している。
「陛下、お待ちくださ……!」
「黙って見ていろ、エリアーナ!」
私の制止は、戦場の興奮にかき消された。
「聖なる光よ、邪悪を貫け!」
「龍の顎よ、全てを喰らえ!」
リリアンが放った、天を裂くような純白の光線。
カイザーが放った、大地を割るような漆黒の波動。
二つの、相反する、絶対的な「力」が。
両軍が見守る国境地帯の、その上空で―――激突した。
ズゥゥゥゥウウウウウン……!!
音が、消えた。
いや、音が「歪んだ」。
空気が、ねじ曲がる。
白と黒がぶつかった一点が、まるで日食のように、不気味な光の渦を生み出していた。
そして、異変が起きた。
「……あ……?」
アストリア側の兵士が、困惑の声を上げた。
「ま、魔力が……? 体から、魔力が、抜けていく……!?」
見ると、リリアンの聖魔法が輝けば輝くほど、アストリア側の大地が、急速に色を失っていく。
草は枯れ、地はひび割れ、兵士たちの体からも魔力のオーラが奪われていく。
まるで、リリアンの魔法が、アストリア全土の魔力を「燃料」にして、無理やり吸い上げているかのように。
(これが、「魔力枯渇」の……!)
アストリアの魔力枯渇の真の原因。
それは、リリアン(あるいは、歴代の聖女)が、その身に余る強大な「聖魔法」を使うたび、国中の魔力を「前借り」していたからだ!
だが、異変はそれだけではなかった。
「ぐ……っ!?」
今度は、カイザーが、自らの剣を押さえつけるようにして呻いた。
「陛下!?」
「龍脈が……! 制御できん! アストリアの聖魔法が、龍脈を『刺激』している……!」
黒龍のオーラが、カイザーの制御を振り切り、黒い稲妻となって周囲の帝国兵たちに牙をむき始めた。
「ぎゃあああっ!」
「味方の魔力だぞ!?」
聖魔法が龍脈魔法を刺激し、龍脈魔法が聖魔法をさらに強めようと魔力を奪う。
最悪の、悪循環。
二つの相反する魔法がぶつかり合ったことで、世界そのものの「魔力循環」が、暴走を始めたのだ。
「そ、そんな……」
リリアンが、自らの聖杖を見て、青ざめている。
「私の……私の『聖魔法』が、止まらない……!?」
彼女が制御を失った聖魔法は、もはや「浄化」の光ではなかった。
それは、アストリアからも、ドラゴニアからも、区別なく魔力を吸い上げる「虚無の渦」と化していた。
そして、その制御不能の白い嵐が、矛先を、生みの親であるリリアン自身に向けた。
「ひっ……!? い、嫌……! 来ないで……!」
純白の光が、リリアンに襲いかかる。
世界が、今、ここで崩壊しようとしていた。




