魔女の烙印
「――帝国を誑かす、邪悪な『魔女』です!」
リリアンの甲高い声が、玉座の間に突き刺さったまま、凍り付いた。
シン、と。
あれほど騒がしかった謁見の間が、水を打ったように静まり返る。
帝国の貴族たちも、アストリアの大臣たちも、そして、私の父である国王までもが、リリアンが放った「魔女」という言葉の毒に、思考を停止させていた。
私の隣で。
カイザーの体から、すう、と体温が引いていくのを感じた。
「大地の裂け目」で私を抱き上げたあの時の、マグマのような熱い「圧」ではない。
彼が「氷の皇帝」と呼ばれるゆえんの、絶対零度の怒り。それが、静かに、だが確実に、玉座から溢れ出していた。
(あ……ああ……)
私は、カイザーの袖を掴んだまま、震えることしかできない。
リリアンが来る、と危惧した時、私が想像しうる限りで最悪のシナリオ。
それが今、現実のものとなった。
リリアンは、この静寂を、この注目を、完璧に楽しんでいた。
彼女は、悲劇のヒロインが観客に語り掛けるように、ゆっくりとカイザーに歩み寄る。その瞳は、私を救おうとする「妹」のそれではなく、異端審問官の冷酷な光を宿していた。
「カイザー陛下。どうか、お目をお覚ましください」
彼女の声は、慈愛に満ちている。だからこそ、余計に残酷だ。
「その女……いいえ、私の姉だった『何か』は、アストリアの聖魔法を失った代償に、この帝国の邪悪な龍の力と契約したのです」
「……何だと?」
カイザーの低い声が、地を這う。
「『龍脈の暴走』を鎮めた、と陛下は思っていらっしゃるようですが、とんでもない! あれは『鎮圧』ではありません! 邪悪な龍の力が、より大きな龍の力を『喰らった』にすぎません!」
リリアンは、私を指差す。
「その証拠に、あの日以来、帝都の龍脈は安定するどころか、より不安定に歪んでいるはず! そうでしょう!?」
その言葉に、帝国の貴族たちが、ハッと顔を見合わせる。
「……た、確かに。言われてみれば……」
「暴走は起きていないが、空気中の魔力の『圧』は、以前より強くなっているような……」
「まさか、あの女が、暴走を『溜め込んで』いるとでも……?」
リリアンは、彼らの動揺を見て、勝ち誇ったように笑みを深めた。
(違う……! 私の力は、そんなものじゃ……!)
私は、必死で何かを言おうとする。
だが、恐怖で喉が張り付いて、声が出ない。
リリアンは、たたみかけた。
「あのような邪悪な『魔女』を傍に置いては、帝国は滅びます! 龍の力は、龍の力では制御できないのです!」
彼女は、そこで、自らの胸に手を当て、純白の聖魔法のオーラをふわりと発光させた。
「ですが、ご安心ください。
アストリアの、この『聖女』リリアンの聖魔法こそが、龍の荒ぶる力を『浄化』し、帝国を真に救うことができるのです!」
なんと、分かりやすい筋書きだろうか。
私を「魔女」として貶め、自分を「真の救世主(聖女)」として売り込む。
アストリアで、私からすべてを奪ったのと同じやり方だ。
そして、この茶番劇の「主役」が、ついに口を開いた。
私の父、アストリア国王だ。
「……カイザー陛下」
父は、玉座のカイザーを真っ直ぐに見据え、まるで痛ましさに耐えかねる、という顔で言った。
「娘が、とんだご迷惑をおかけしたようだ。この父として、断腸の思い……」
(どの口が……!)
「リリアンの言う通り、我が国の聖魔法こそが、貴国を救う唯一の道。
しかし、その前に。
帝国を、そして陛下ご自身を誑かした『魔女』を、このままにはしておけません」
父は、私を睨みつけた。
その目には、もう「無能」への侮蔑はなかった。
あるのは、国の秩序を乱す「害虫」を見るかのような、冷たい殺意だけだ。
「アストリアの法に基づき、あの『魔女』は、我が国で『浄化』せねばなりません。
――エリアーナの身柄を、こちらへお引き渡し願いたい」
「お引き渡し」。
それは、私がこの国に来た時と、まったく同じ言葉だった。
私を「生贄」として差し出し、今度は「魔女」として引き取る。
私は、国と国の間でやり取りされる、ただの「物」なのだ。
帝国の貴族たちが、今や公然と騒ぎ立て始めた。
「陛下! アストリア国王の申される通りです!」
「あのような『魔女』を傍に置いては、帝国の存亡に関わる!」
「聖女様の『浄化』こそが、我らの望みだ!」
ああ、これが。
これが、リリアンが仕掛けた「絶望的な状況」。
私を追放した故郷は、私を「魔女」として殺そうとしている。
私を受け入れたはずの帝国は、私を「災厄」として排除しようとしている。
私は、世界のどこにも、居場所がない。
(……カイザー)
私は、最後の望みを託すように、隣に立つ男を見上げた。
彼は、まだ何も言わない。
玉座に座したまま、冷たい指先で、ひじ掛けをコツ、コツ、と叩いている。
彼は、皇帝だ。
帝国の存亡と、私(という魔女)一人。
天秤にかけるまでもない。
彼が私を「道具」としてではなく、「所有物」として執着してくれていたとしても。
国を傾けてまで、守る価値が、私にあるはずが――
「―――カイザー陛下!」
父が、最後通牒を突きつけた。
「『魔女』を引き渡すがよい!
さすれば、我がアストリアは、聖女リリアンの力をもって、貴国との『真の友好』を誓おう!
だが―――もし、それを拒否し、魔女を庇うのであれば」
父は、剣の柄に手をかけた。
「それは、我が国への『宣戦布告』とみなす!」
戦争。
私一人を、差し出せば。
私さえ、死ねば。
戦争は、回避される。
玉座の間の全員の視線が、カイザー一人に集まった。
アストリアの王と聖女。
自国の貴族たち。
そして、私。
誰もが、彼の「合理的」な判断を待っていた。
私を切り捨てる、その一言を。
コツ、と。
彼がひじ掛けを叩く音が、止んだ。
カイザーは、ゆっくりと立ち上がった。
その体から発せられる「圧」は、怒りでも、焦りでもなかった。
それは、絶対的な王者の「侮蔑」だった。
彼は、リリアンを見た。
次に、私の父を見た。
そして、騒ぎ立てる自国の貴族たちを、虫けらでも見るかのように一瞥した。
やがて、彼は、宣告した。
たった一言。
だが、その場にいる全員の運命を決定づける、あまりにも重い一言を。
「―――拒否する」




