道徳教育
(……ねむい……)
俺ことセシル・ファインダー(満一歳)は、人生で最大の疲労困憊に襲われていた。 そりゃそうだ。 午前中は、満一歳児の身で、古代竜(幼体)と対峙させられ、前世の知識(画像切り抜き)をフル稼働させて、何とか失神させることで勝利したのだ。
(ちなみに、あの後失神から目覚めたドラゴン――父が『クロ』と名付けた――は、俺が視界に入るだけで「キャイン!」と悲鳴を上げて父の後ろに隠れるようになってしまった。完全にトラウマである)
そして午後。 俺はベビーベッドでの昼寝というささやかな願いも虚しく再び、母アナスタシアに抱かれて王都の「禁書庫」にいた。 あの、『世界のOS(根幹コード)』が記された、『原初の魔導書』の前である。
「セシル。あなたの『空間』への解釈(※勘違い)、素晴らしかったですわ」 母は、今朝のドラゴン失神事件を見て、もはやドン引きを通り越し、恍惚の表情を浮かべていた。 遠巻きに見ている館長たちの顔色は、昨日よりさらに青い。何人か泡を吹いて倒れている気がするが、見なかったことにしよう。
「『空間』を制した(※してない)あなたには、次のステップ。『時間』と『生命』の『理』を学んでいただきます」 (やめて! それ絶対一番触っちゃいけないヤツ!) 俺が心の中で全力で拒否するが、母はウキウキでページをめくる。
開かれたページ。 そこには、またしても図形も文字もなかった。 ただ、一本の、眩い『光の川』が、ページの端から端へと、絶えず流れ続けているだけだった。
(……なんだこれ……) 俺は(中身29歳の)直感で理解した。 これは、『時間』の流れそのものだ。
(やべえ……。これ、前世で見た『動画編集ソフトのタイムライン』だ……) この『川』の流れが、この世界の『再生時間』。 下手に触れば、世界がクラッシュする。
「さあ、セシル。この『流れ』を感じて。これが『時』の正体よ」 母がうっとりと囁く。
(感じるも何も……! これ、下手に『一時停止』とか『早送り《スキップ》』したら、俺ごと世界が消し飛ぶんじゃねえの!?) 俺は恐怖で物理的にブルブル震えた。
「あうあう!(無理無理!)」
「まあ、武者震いね! さすが私のセシル!」
(違う!!!!)
もうダメだ。 ……こうなったら、またアレだ、一番、無害な『ハック』を試すしかない……!
俺は、禁書庫の隅に置かれている、あの先日、空間魔術(カット&ペースト)の実験台になった哀れな壺を見た。 その壺には、一輪の花が生けられている。 ……が、水が足りないのか、その花は茶色く枯れ、うなだれていた。
(……あの花……) 俺は(中身29歳の)知恵を絞る。 『タイムライン』全体をいじるのは危険すぎる。 だが、あの『花』だけ、その『ファイル』だけを、『編集』するなら?
(そうだ……『Ctrl+Z』だ! あの花の『時間』だけを、『巻き戻す』……! 『枯れる前』の状態に『復元』するんだ!)
俺は、魔導書(OS)の『光の川』に、針のように細くした魔力を伸ばす。 そして、あの『枯れた花』の『座標』と『時間軸』をロックオンした。
(いけっ! あの花の『状態』だけ、24時間前に戻れっ!)
「……んぐっ!(※セシルの唸り声)」 俺が(満一歳の)全神経を集中させた、その瞬間。
キィィ……。
『光の川』が、一瞬だけ、逆流するような光を放った。 そして。
禁書庫の隅。 さっきまで茶色く枯れ果てていたはずの花が、まるで早送りの逆再生映像のように、みるみるうちに萎れが解け、茶色い花弁が黄色に、そして鮮やかな「赤色」へと変貌し―― パッ、と音を立てるかのように、満開の姿を取り戻した。
「「「「………………」」」」
禁書庫から、音が消えた。 泡を吹いて倒れていた館長たちが、全員、白目を剥いて完全に意識を失った。
母アナスタシアが、そのアメジストの瞳を、人生で最大級に(物理的にあり得ないほど)見開いて_、固まっていた。 その顔は、『恍惚』でも『ドン引き』でもない。 純粋な、『恐怖』と『畏怖』だった。
「……あ……」 母の唇が、震える。
「……『治癒』……? 違う……。『成長促進』……? 違う……。あれは……」
母は、目の前の現実が信じられないようだった。
「……『因果』を……捻じ曲げた……?」
母は、震える手で俺の肩を掴んだ。
「……セシル……。あなた、今、何をしたの……?」
(え? だから『Ctrl+Z』だけど……) 俺は、任務(?)を完了した疲労感と、満一歳児本来の眠気で、頭がカクンカクンしていた。 「……できた……(できたよ……)」 「……ねむい……みるく……」
俺が、母にミルクをねだるために手を伸ばした、その瞬間。
「あなーーーーーたーーーーー!!!!!」
(あ、またこのパターン……いや、違う!?) いつもの『歓喜の絶叫』ではなかった。 母アナスタシアは、俺の(満一歳の)答えを聞いて、真っ青な顔で、悲鳴のような絶叫を上げたのだ。
次の瞬間、母は禁書庫の壁も天井も突き破る勢いで俺を抱えて空間転移した。 一瞬で、屋敷の庭(演習場)。
父ウォルターが、失神から目覚めた古代竜に、「お手とおすわり」を物理的に教え込んでいる最中だった。
「ウォルター!! ウォルター!! 大変よ!!」
「なんだアナスタシア! 血相を変えて! まさかセシルが、禁書庫(OS)をいじって、王都を『消滅』させでもしたか!?」
(そんなことするか!)
「違う……! それより、もっと、恐ろしいことよ……!」 母は、震えながら俺を父に突き出した。
「この子……セシルが……! 『枯れた花』を……! 『時間を巻き戻して』、咲かせ直しましたわ……!!」
「…………」
父ウォルターが、固まった。 その手から、クロ(古代竜)にお手をさせるために持っていた、巨大な鉄骨が、ゴトン、と音を立てて足元に落ちた。 (※ちなみに、鉄骨は父の足の甲に直撃したが、父も、父の足も、無傷だった)
「……なんだと……?」 父の金色の瞳から、いつもの『自信』や『歓喜』が消え、妻と同じ『恐怖』の色が浮かんだ。
「『時間操作』……。それは、『神』の領域……。いや、神々すらも『禁忌』とした、『世界の理への反逆』だぞ……!?」
「ええ……! それを、この子、満一歳が……! 『ミルクが欲しい』とねだるのと同じ気軽さで……!」
最強の両親は、顔面蒼白で俺を見つめた。 俺は、そんな二人の深刻な顔など知らず知ってはいるが眠気が勝り、満一歳児の限界を迎えて、うつらうつらしていた。
「……あう……ねむ……」 (もう無理……寝る……) 俺が、父の(鎧のように硬い)胸板に顔をうずめて寝息を立て始めたフリをした瞬間。
「「…………」」
最強の両親は、互いの顔を見合わせた。
「……ウォルター……。私たち……」
「……ああ……。どうやら俺たちは……とんでもない『勘違い』をしていたのかもしれん……」 父が、ゴクリと息を飲んだ。
「俺たちは、この子を『神(最強の存在)』に育てようとしていた。だが……」
「……ええ……。この子は、生まれながらにして……既に、『神』だった……」
(……は???? 寝たフリしてる場合じゃなかった!)
俺が心の中で飛び起きると、父は俺を抱きかかえながら厳しい顔で母に言った。
「アナスタシア! 計画(地獄のスパルタ教育)は、全面変更だ!」
「……ええ、あなた!?」
「『力』を教えるのは、もう終わりだ! この子に必要なのは、そんなものじゃない!」 父は、俺の寝ている顔を、真剣な、真剣すぎる目で見つめた。
「この子に必要なのは……! この、神の力を、『使ってはならない』と理解させるための『倫理』と『道徳』だ!!」
(……りんり……? どうとく……?) 満一歳児(中身29歳)に、その単語は重すぎる。
「ええ、あなた! 明日からは、『剣』も『魔法(OS)』も一時中断! セシル(満一歳)に、『命の尊さ』と『世界の仕組みの不可逆性』を、徹底的に教え込みますわ!」 「うむ! まずは、俺が裏山で捕まえた『ゴブリンの赤ん坊』と『人間の赤ん坊』を並べて、『何が違うのか』を議論させるところからだ!」
(…………は????)
俺は(寝たフリを続けながら)心の中で、ついに『無』になった。 (もう、カマドウマでも石でも無でもいい……、いっそ、『Ctrl+Z』で、俺が生まれる前に、時間を巻き戻してくれ……!)
こうして、俺ことセシル・ファインダー(満一歳)の、地獄の英才教育は、「力」のインフレ期を本人の意思と無関係に終了し、 さらに訳の分からない『神の倫理教育(地獄)編』へと、突入することになったのだった。
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