8 壺の中からこんにちは②
「うげっ⁉︎」
蛙が潰れたような声を漏らし、役人の後頭部から煙が立ち上る。続いて、四肢から力が抜けて全身が傾いだ。アマルはそれを受け止めて、難儀しつつ横たえる。
慌てた様子で役人の身体から抜け出した妖霊は、額に角のある小男の姿で宙に浮きアマルを睨んでいる。
商売道具である柘榴の枝を掲げ直し、アマルは本性を現した妖霊と向き合った。
「てめぇ、退魔師か!」
「やだなあ、違いますよ。私は妖霊に育てられたので、あなたたちのことが好きなんです。祓いたくなんてありません」
「じゃあ何だその枝は! 俺たちが柘榴を嫌うことを知っててやってんだろ」
「はい、もちろん。でもこれは仕方ないんです。妖霊よりも人間の方がか弱いんですから、護身具は必要でしょう?」
「やっぱりやってることは退魔師じゃねえか」
「私は妖霊と人間が喧嘩をしないように仲裁したいんですけどね」
「くそっ、妙な趣味だな」
「それほどでも」
妖霊は何か言いたげに口を開きかけてから嘆息し、角の生え際を掻いた。
「まあ良いや。とにかく、封印を解いてくれた礼を言う」
「お気になさらず」
妖霊は律儀に壺を抱えてぺこりと頭を下げる。長年住んだことにより、壺は彼の一部になっているのかもしれない。
「じゃあ俺はこれで」
アマルはにこやかに頷き、浮遊しながら砂漠の風に溶けていこうとする妖霊の後ろ姿を見守った。アマルの半分ほどしかない身丈の全身から煙が滲み始め、砂混じりの熱風が渦を巻き、彼を包み込む。
しかし。
「……なんて、簡単に終わらせると思ったか。呑気な人間め」
ふと姿が掻き消えた直後、アマルの眼前に、嘲りに歪んだ小男の顔が浮かび上がった。口の端が裂けて牙が剥き出しになり、瞳から紫色の火花が散っている。
「いやあ、人間を揶揄うのは面白い。あの男は俺が先に目を付けたんだ。やっと見つけた玩具をそう簡単に手放すものか。壺の中に閉じ込めて、子分にしてやる!」
「子分って。あなたは、お友達が欲しかったんですよね?」
「ええい、うるさい女だ! 邪魔するなら容赦しない」
あまりにも醜怪な姿に迫られて、大抵の人間ならば失神してしまうところだが、あいにくアマルはたいそう図太い。
「だめですよ、さっき誓ったばかりなのに」
飛びかかってくる小男妖霊から逃げる素振りもない。アマルは迫り来る者を真っ直ぐ見据え、すっと目を細めて右手の人差し指を伸ばした。爪の先が向かうのは、妖霊の胸の真ん中。妖力の源である魂がある場所だ。
「残念です」
「うぎゃっ!」
再び小者感漂う叫びを上げる妖霊。次の瞬間、アマルが右手人差し指に嵌めている鉄の指輪から白い光が溢れ、ちりちりと火花を上げ始めた。
「怖っ! 何だこりゃゾクゾクするぞ。おい、こっち向けんなって。間違っても俺の方にその光を飛ばすなよ!」
「反省しましたか」
「した! したから、や、やめてくれ」
アマルは素直に右手を下ろす。それと同時に光は消えて、恐怖で気力を失った妖霊が砂上に倒れ込む。サンダルを履いたアマルの足先が、四つ這いになって荒い息を繰り返す彼の目と鼻の先に近づいた。
「以前あなたを封じた退魔師の判断は正しかったみたいですね。悪ふざけが過ぎる妖霊が蔓延ると、他の皆もそういう目で見られちゃうじゃないですか。改心してください」
「おまえ、その指輪」
「商売道具です」
「なぜそんなものを、お前のような小娘が」
「訳ありなんです。さあ、どうしますか。もう一度だけ聞きます。誓いますか? それとも指輪に裁かれますか?」
「どっちも嫌だ」
「何ですか、私よりもずっと大人のくせに、子どもみたいですよ」
「ええい、知ったことか。どうせガギだよ! 俺はな、幼い頃に壺に封じられたんだ。何にも悪いことをしていないのにだぞ。ずっと壺の中に一人でいたんだから、精神年齢が低くて当たり前だろ!」
「それは可哀想に。子どもの頃から長い間一人過ごしたから、寂しくてお友達が欲しいんですね。はい、わかりますよその気持ち。私も友達が少ないんで」
「おまえも?」
「はい。そうだ、私とお友達になりませんか? 住処がないのなら、私のお家に来てください。歓迎します」
「友達。歓迎……」
妖霊の瞳が次第に輝きを宿し始める。アマルは頷いた。
「その代わり、お願いがあるんです。それ、貸してくれませんか? そう、その壺です。家で使っている壺、ひびが入ってて困っていたんですよ」
壺を指差して言えば、妖霊はお気に入りの玩具を奪われそうになった幼子のように壺を抱き、上目遣いでアマルを睨んだ。
「だめだ、長らくこの中にいたから、壺と魂が同化しちまったんだ」
「ちょっとだけですよ。ほらあなたは、私の知り合いを壺に閉じ込めて苦しめたでしょう。あなたと対等なお友達になるためには、お役人さんが苦しんだのと同じ時間だけ、対価を払って清算してください」
「壺を貸すだけで良いのか」
「もちろん」
「しかたねえな。わかったよ、と、友達」
アマルは満面の笑みを浮かべ、妖霊に手を伸ばした。長い爪の生えた青黒い手を握り、軽く振る。
「わあ、決まりですね? じゃあさっそくお家に向かいましょう」
嬉々として壺を抱えたアマル。紫の瞳をした小男姿の妖霊が、その周りを浮遊している。
その足元に黒い尾をなびかせながらスライマーンが寄り添った。
「ところでアマル。あの阿呆面をどうするのだ」
「あ、忘れてた」
アマルは壺のくびれ辺りから目を覗かせて振り返る。少し離れた場所に、砂上に座り込み、書簡を握り締めたまま、半ば口を開けてこちらを見つめている男がいる。
アマルはにっこりと笑って言った。
「こういうことがありますから、お一人での行動はお勧めしませんよ。私に妖霊調査のお手伝いをさせてください、お役人さん」
男は、整った顔にこれ以上ないほどの呆けた色を張り付けて、アマルの視線を呆然と受け止めていた。
第一話 終




