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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第一話 妖霊調査官と壺の妖霊

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6 これは恋かしら、いいや違う

「何をぼんやりしているのだアマル。枝を禿げにするつもりか」


 スライマーンの声にアマルは我に返り、手元にある柘榴ざくろの枝に目を落とす。


 柘榴は、塩や鉄と同様に妖霊が嫌う物の一つである。アマルの腕ほどの長さがあるその枝葉は、大切な商売道具の一つであり、常に二本は家に置いていた。


 気温が高い砂漠では、屋内とはいえ葉が枯れるのが早い。アマルは定期的に、鮮度の落ちた葉を取り払い、妖霊に関する相談があればすぐに仕事に取り掛かれるように手入れを欠かさないのだ。


 それがどうしたことか、座した膝元には枯れ葉だけでなく瑞々しい葉までもが小山となり、哀れな枝はほとんど丸裸である。


「うわっ、どうしよう。これじゃあもう使い物にならない」

「使い物にならないのはお前の頭だアマル。今朝から様子がおかしいぞ。あの男の無礼な態度が心を乱しているのか」


 無礼が気に障るのかどうかはともかく、彼のことが胸に引っかかっているのは間違いない。


 恩人に対して名前すら名乗らなかった役人。旅の途中、平気で野宿をしていたくせに、れっきとした屋根付きの家を、少し狭くて古いというだけで同情のこもった目で見回していた。挙句の果てには、アマルの友でもあるこの地の妖霊たちに一方的な疑いの目を向け、忠告も聞かずに砂漠に飛び出した。


 理性的に考えれば、印象は最悪に近い。しかしアマルは、彼の灰青色の瞳と視線が重なった時に全身に走った鮮烈な感覚が忘れられない。


 アマルの青紫色の瞳は、過去に出会ったほとんど全ての人間から、妖霊の色だとして恐れられた。その度に育て親であるスライマーンは、紫ではなく青だと言い庇ってくれるのだが、一度抱いた印象はそうそう上書きされないのか、アマルと親しくなろうとする者はあまりいなかった。


 それどころか、顔を面紗で覆い砂除けをすっぽり被って瞳を隠していても、人間は皆、アマルの側から逃げていくのだ。


 人と暮らさず妖霊の中で育ったアマル。もしかすると全身から、人間にとって不快な何かが滲み出ているのかもしれない。それなのに。


 ——私のことが怖くないんですか。

 ——怖い?


 思わず零れた言葉に返ってきたのは、純粋な疑問の声。彼の瞳には、ほんの一欠片の恐れもない。アマルは十八年の人生で初めて、同族である人間とまともに目を合わせて会話ができたのだ。


 それからというもの、もう一度あの役人と人間らしい会話を交わしたいという思いが募り、頭に靄をかけているようだ。


 彼は聖国(せいこく)の都である、巨大な円城都市(えんじょうとし)から来たと言っていた。


 市内を歩けば肩が触れ合うほど人が多いと聞く。市場は物売りと客の声で賑わい、各地からもたらされたライムやマルメロといった珍しい果物、馥郁(ふくいく)たる龍涎香(りゅうぜんこう)に煌びやかなガラス細工といった交易品が、訪れる者の五感を忙しくするという。


 話を聞いてみたい。怯えのない真っ直ぐな瞳をしたあの人から、淡く憧れ続けた人の営みの話を。そうか、もしかするとこれは。


「まさか、恋?」

「違う」


 スライマーンに即答された。


「ええっ、どうして違うってわかるの」

「見ていればわかる。奴のことが気になるのだとすればその理由はただ一つ。あれが人間だからだ」

「でも、気になって気になって仕方がないの」

「では聞くが、奴の姿を思い出し、鼓動が速まるか。身体が熱くなったり、胸が苦しくなったりするか」

「全然」

「ではそれは恋ではなく、ただの興味だ」

「なるほど」


 アマルは大きく頷いた。


 恋、というものがあるのは知っている。野の獣や水辺を舞う渡り鳥が、命を繋ぐための伴侶探しに勤しむ様子は興味深く観察したことがある。妖霊たちも、恋をしないわけではない。煙のない炎から生まれる彼らも、妖霊同士で婚姻を結んだり、時には人間と伴侶になり子を成したりもする。


 しかしアマルには、それがどのような感情を伴うことなのか、未だに理解できないのだった。


「じゃあ、お役人さんとお友達になれるかな」


 スライマーンが、冷えきった目をちらりと向けてきた。


「奴がこの辺りを荒らさないようにしばらく見張る程度なら良いが、深入りするのはやめておけ。あれは鈍感すぎて、関わる方も苦労する質の人間だ。近くにいるとこちらまで被害が及ぶ」

「妖霊の気配たっぷりの洞穴で野宿しちゃうくらいだしね」


 難儀なことだ。しかしだからこそ、アマルのように妖霊を良く知り対話することを生業とする人間が側にいることに利があるようにも思えるのだが。


「お役人さん、大変な目に遭っていないと良いけど……」

「大変よ、スライマーン、アマル」


 突然、ぼろぼろの土壁をすり抜けて、半透明の来客が現れた。昨晩マシュアルに絡んでいた、眼の大きな妖霊だ。


 壁からの登場は良くあることなので、アマルは笑顔を浮かべて知人を歓迎する。


「あ、お姉さんこんにちは。何かあったんですか?」

「うわ、アマル、それをあたくしに近づけないで」

「ごめんごめん」


 アマルは掴んだままだった柘榴の枝を棚に引っかけてから、半透明の妖霊に向き直る。


「それで、どうしたんです。何だか慌てているみたい」

「そうなのよ、さっき木の上で昼寝していたらね、突然ばっしゃーんって飛沫が上がる音がして目が覚めたの。イシュラ河に人間が沈んだ音よ」

「そ、それは大変! その人、無事でした?」

「とりあえず様子を見ようと水に潜ってみたらね、なんとその人、壺に閉じ込められていたの。すぐに引き揚げたから、多分生きてるわ。でね、なーんかどっかで見たことのある人間だなって思ったのよ。そしたら、なんとなんと」


 妖霊は盛大に目を剥いた。


「昨晩の色男とそっくりだったの」


 噂をすれば、早速事件は起こるものらしい。

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