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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
最終話 妖霊調査官の受難は続く

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2 どうかいつまでも、お元気で

 帰路、アマルたちは、とある街を訪れた。円城都市から並足の駱駝に跨れば、太陽の位置がさほど変わらないうちにたどり着ける程度の距離にある、中規模の街だ。


 その一角、砂一色の広場の端で、アマルは敷物に腰を下ろして、元気に駆け回る子どもたちを眺めている。


 今朝、街門に到着した時、スライマーンは意味深長に「我は遠慮しておく」と述べて街には入らなかった。


 アリはといえば、街に入るや否や、小規模なスークに嬉々として吸い込まれて行った。もちろんアリは、完全な人間に化けているため、見咎められることもない。まさか、平凡な青年旅行者が、高位の妖霊であるとは誰も考えないだろう。


 そのような事情で、アマルは今、一人きり。午前の清々しい日差しの中、砂と陽光を防ぐためすっぽりと身を覆う布の隙間から薄青色の瞳を覗かせてぼんやりとする。


 家までの最短距離を進むのならば、本来この街を通ることはない。それにもかかわらず、あえてこの旅程を組んだのは、スライマーンだった。


 その理由が詳しく語られることはなかったが、アマルは薄っすらと察していた。おそらくこの街は、アマルの生まれ故郷だろう。


 アマルは乳飲み子の頃にスライマーンと出会い、魂の器となった。当然、人間と暮らした記憶はない。


 ここが故郷だと気づいたのは、住民らの会話を偶然耳にしたからだ。この街は十八年ほど前、悪しき妖霊に焼かれたのだという。


 街に寄ろうと言い出したスライマーンが街門をくぐろうとしなかったのはきっと、我が子を失った恨みが再燃するからだろう。同時に、無辜の民を巻き込んでしまったという罪悪感にも苛まれているはず。


 妖霊マーリドがこの街にやって来なければ。アマルはこの広場で友と遊んで育ち、家族と共に街の一員として暮らしていたはずだ。一方で、図らずともマーリドをこの街に導いたのは、アリの大師匠。つまり人間だった。


 アマルには、どちらが正義なのかわからない。いいや正義なんてもの、この世には存在しないのかもしれない。


 スライマーンがこの街に寄ったのは、アマルに選択の余地を与えるためなのだろう。


 妖霊のようだと恐れられた青紫色の瞳はもうない。マーリドの魂と分たれたこの身体から、妖霊の気配が漏れることはないのだし、スライマーンと別れて人間の世界に戻っても何ら問題はない。


 スライマーンが、人間に馴染めないアマルに憐憫を抱いていたことは薄々気づいていた。確かにアマルは、人間社会で暮らすことに淡い憧れを抱いていた。しかし実際に選択を迫られた今、言い知れない寂寞を覚えている。


 スライマーンと出会わなかった人生は想像もつかないし、養父がいない未来も何一つ実感を伴わない。いったいアマルは、どうするのが正解なのだろうか。


「あ!」


 物思いに沈んだアマル心を、少女の声が揺らした。不意に、膝の辺りに軽い衝撃を覚えて顔を上げる。


 見れば、毛織物を固めた小さなボールが砂上を転がり、アマルの座す敷物に乗り上げていた。


「あ、お姉さんごめんなさい」


 どうやら遊びに夢中になっているうちに、アマルの方へとボールを転がしてしまったようだ。アマルは微笑み小さな塊を拾い上げ、膝立ちになって少女へ差し出した。


「良いのよ。はい、これ……」


 少女の顔を見て、アマルは思わず息を呑む。少女の方も、同様の驚きを抱いたようで、少し目を丸くした。


「あ、ええと、ほらどうぞ」


 アマルは動揺を押し隠し、ボールを少女の手に半ば押し付ける。少女は躊躇いがちに受け取って、アマルの目を真っ直ぐ見つめた。


「お姉さん、どこかで」

「アイシェ、お母さんが迎えに来たよー」


 不意に、広場の中央から明るい少年の声が立ち上がり、眼前の少女は言葉を止める。アマルは少女の小さな背中を軽く押して促した。


「お友達とお母さんが待っているよ」

「でも」

「さあ、行って」


 もう一度、背中を押す。少女は後ろ髪を引かれた様子で何度か振り返りながらも、素直に広場の中央へと戻って行く。


 やがて、大通りの方から、母親らしき女性がやって来て、少女の茶褐色の髪を愛おしそうに撫でた。娘と何か言葉を交わしてから、女性がこちらを振り返る。


 アマルは反射的に、頭部を覆う布の前面を掻き合わせた。すっぽりと顔を隠してから、小さく会釈をする。


 それを受けた女性は、ふにゃりと柔らかな笑みを浮かべ、会釈を返す。ボールを抱えた少女と同じ薄青色の瞳には、日々の暮らしへの充足感が溢れているようで、アマルは胸の奥をぎゅっと掴まれた心地がした。


 すらりと背の高い女性と、熟れたナツメヤシのような茶褐色の髪の少女が手を繋ぎ、喧騒の方へと向かって行く。その背中が雑踏の中へと消え去るまで見送ってから、アマルは詰めていた息を吐いた。


 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。


 どちらにしても、彼女らは今、慎ましやかながらも幸福に包まれて暮らしているのだろう。それは、アマルだって同様だ。


「どうかいつまでも、お元気で」


 小さく落とされた呟きと共に、アマルの薄青色の瞳から一筋の涙が零れた。

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