4 おんぼろの家と妙な父娘③
アマルは溢れんばかりに目を丸くして、マシュアルの手元の荷袋を覗き込んだ。
「どこかに置いて来ちゃったんですか」
「いいや、領主の館を出てから今まで、荷物の底に仕舞い込んで一度も取り出していない」
「ええっ! じゃあいったいどこに」
大仰に驚いたアマルの頭頂がすぐ目の前で弾む。艶やかな毛束を見ていると、不意に不信感が胸を満たした。
「まさか」
漏れ出した低い声に、アマルがきょとんとしながら顔を上げる。紫がかった青い瞳は無邪気な光を宿している。しかし騙されはしまい。底抜けに明るいアマルの態度は、盗人が追及を逃れる手口の一つかもしれないのだから。
「目的はやはり金品か」
「貴様、我々を疑っているのか。恩人に対して無礼な」
スライマーンが二人の間に頭を割り込ませ、牙を剥き出しにして唸った。
「良く見るのだな。このような古くて寂れた狭苦しい家のどこに、盗んだ証書を隠すというのか。そもそも、盗みを働くつもりだったならば、おまえを助けず食人鬼にでも食わせてしまった方が良かった。第一、薄汚れた紙切れなどいらん。金ならまだしも」
「証書と引き換えに金品を要求するつもりでは?」
「それならば、とうにそうしている」
一理ある。
「ではもしや、犯人はあの洞穴の」
「洞穴のひとは、荷物じゃなくてお役人さん自体に興味があるようでしたし、盗みをした様子はありませんでしたよ。それに」
アマルが犬の黒い頭をさりげなく押しのけて、身を乗り出した。
「はなから盗みだと決めつけるのは良くありません」
「俺が、陛下から賜った役職の証を砂上に落として紛失するような愚か者だと言いたいのか」
「違います! でも、証拠もなくこの土地の皆を悪者だと言われるのは嫌です」
「人間なんてほぼ住んでないじゃないか。相手は妖霊だろう」
「妖霊だからといって、悪とは限りません」
強い調子で言い切ったアマルの顔を凝視する。頬を紅潮させ、青紫の瞳に強烈な信念を宿しているのが意外だ。てっきり、芯の柔いへらへらとした女だと思っていた。
彼女の本質には好感を覚えたが、ただでさえ、重大な過失を犯して気が立っているマシュアルである。自身への苛立ちと、半ば非難じみた声を発するアマルへの不快感に、意図せず視線が鋭くなる。
気圧されたのか、アマルがやや身を引いた。その隙に、マシュアルは荷物を掴み腰を上げる。突然の起立に軽い眩暈を覚えたが、動けないほどではない。
「あ、急に立ったらだめですよ」
「悠長にしている暇はないんだ」
マシュアルは、薄い絨毯越しに地面の凹凸を踏み、ところどころささくれ立った木戸を引く。
強烈な砂漠の陽光が、マシュアルを刺す。目を細めて視界の眩みをやり過ごしてから、肩越しに振り返った。
「世話になったこと、感謝している。後日、然るべき礼の品を届けよう。それでは」
緩やかな拒絶に、青紫色の瞳が驚きと悲しみを宿して揺れたが、気づかないふりをして小屋を後にする。軋んだ音を立て、最後に空気の塊を吐き出してから扉が閉まった。
一つ大きく息を吐く。歩き出そうと足を踏み出した時、不意に気配を感じて目を向けると、経年劣化で不揃いとなった日干し煉瓦の壁の側に、マシュアルが乗っていた駱駝が膝を折り座っていた。
何やら反芻して口をもごもごとさせている旅の相棒に跨り、小さな建物をまじまじと観察する。
室内で薄々感じていたが、たいそう古い小屋だ。妙齢の女性がこのように人気のない砂漠の只中の今にも崩れ落ちそうな家屋に一人暮らしとは危険ではなかろうか。
さらに、介抱のためとはいえ見知らぬ行倒れの男を家に連れ込むとは、不用心を通り越して奇妙ですらある。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうほど。
そうだ、彼女は、犬の姿をした口の悪い妖霊が父親代わりだと言っていた。となればやはり、過去散々出会ってきた妖霊と同様に、悪事を企んでいたのでは。だがしかし。アマルと名乗ったあの女からは邪気など感じられなかった。いやいや、妖霊が絡むと途端に鈍感となるマシュアルだ。騙されているだけなのでは……。
幼少期より、悪戯好きな妖霊の仕掛けた罠にはまり続けてきたマシュアルは、妖霊に対して疑り深い。もっとも、警戒も虚しく、いつも知らずのうちに彼らの領域に足を踏み入れてしまう不運体質なのだが。
「とにかく、あの家は修復してやろう。助けられたのは確かだし」
受けた恩には報いるべきだ。脳裏に浮かんでは消える悲しげな青紫色の瞳に向けて、言い訳のように呟いた。




