9 憎しみは憎しみを生む①
「もう良い。お涙頂戴はうんざりだ」
過去を語る黒い犬姿の妖霊を睨み、アリが言う。
「でも、これではっきりしたね。馬鹿正直に自白したとおり、大師匠の死の原因を作ったのはそこのマーリドだ。聞きましたか、ムルジャーナ様。彼は仇です。今こそ、恨みを晴らしましょう。決着をつける時が来たんです」
仇、恨み。
その言葉を耳にした瞬間、アマルは何かに突き動かされるように一歩踏み出していた。スライマーンから指輪を受け取って、アリに突き付ける。
「そうですね。じゃあ、もう終わりにしましょう」
養父の口から真相を聞き、取り乱しても良いはずなのだが、むしろこの胸に浮かぶのは、納得感だった。アマルは自分でも驚くほど冷静に言う。
「アリさん、観念してください」
「おいおい、話を聞いていた? 僕はそこのマーリドこそが諸悪の根源だと言ったんだ。それに、そんな指輪を向けられても怖くない。だって僕は、悪ではないからさ」
「私、今まで知らなかったんですが、スライマーンの話が本当なら、この指輪は、使う人が悪だと感じた対象を裁こうとするんですよね」
アマルの言わんとすることを察したのか、アリの頬が一瞬だけ痙攣した。アマルは続ける。
「養父と契約しておきながら裏切ろうとしたあなたは、私にとっての悪なんです」
「それは……」
「養父がアリさんの大師匠を死に追いやったというのなら、恨みを抱くのは理解できます。でも逆に、養父の実子が亡くなったのもあなたの大師匠が生まれたばかりの赤子を追い回したからです。そう考えると、私たちが今いがみ合っていることが、空しく思えてきませんか?」
アリは黙り込んだまま動ない。
「アリさんが和解を求めるのなら、この指輪で裁くつもりはありません。悪意を悪意で屈服させるのはもう止めましょう。私たちはお互いのことを憎んでいます。だけど、命を奪い合えば、新たな憎しみが生まれるだけ」
スライマーンが語ったことが正しければ、アリの大師匠である退魔師も、同じ趣旨のことを述べていたはずだ。
アリが尊敬する大師匠の言葉はきっと、彼の胸に届くはず。そう願い、アマルは人知れず拳を握る。
やがて、アリは肩を落とし口を開く。
「その指輪はさ、ウダフィー家の家宝だから、大師匠の息子である師匠、つまりムルジャーナ様のお父上も、血眼になって探していたんだよ。結局師匠には指輪は見つけられなかったけどね」
突然話題を逸らされたアマルは軽く眉根を寄せながらも、アリの言葉に耳を傾ける。
「ほとんど諦めていた時にさ、ジーニヤーナ地方が聖国領になった。宮廷占星術師の卵である僕は当然、新たな国土の星読みをしたよ。するとどうだ、ジーニヤーナ地方に覚えのある指輪のような印が現れている。まさかここで見つかるなんて、びっくりしたよ。これはまさに運命。何としてでも回収したいと思ったんだ。だから聖王には、災禍の星が見つかったとお伝えして、聖国の安泰のために妖霊調査官を派遣してもらった。あの地方は古くから、妖霊騒動が多い土地だからね。ああ、別に税務官でも何でも良かったんだけど、マシュアル様には妖霊調査官が一番しっくりきたからさ」
マシュアルが少し顔をしかめたが、アリは続ける。
「とはいえ、マシュアル様一人で行ったって、災禍の星の正体なんてわかるはずがない。だってそんなもの、最初から存在しないんだから。僕がマシュアル様に同行していたのはそれが理由だよ。まあ結局、イフサーン王子の妖霊憑き疑惑があって途中で円城都市に呼び戻さてしまったけどね。何はともあれ、これほど早く指輪が見つかるとは驚きだった」
アリはアマルに向けて、悲しげに眉尻を下げて見せた。
「アマルちゃん、君の気持ちはわかったし、憎しみの連鎖を断ち切りたいという大師匠の遺志も理解できる。でもね、その指輪、僕たちに返して欲しいんだ。わかるでしょう? 家宝である以前に大師匠の形見なんだ。養父も僕も、ムルジャーナ様だって、ずっと探していた」
アマルは少し躊躇する。その心の揺らぎに付け入るように、アリは言った。
「和解しよう。君の言うとおりだ。悪意は悪意の連鎖を生む。指輪をウダフィー家に返して。もちろん、神に言葉を捧げて約束するよ。僕は、その指輪で君たちを裁くことは絶対にしない。そして、憎しみも過去の因縁も全部砂の下に埋めてしまおう。さあ」
この指輪は、ウダフィー家の物だ。それならば、その技を継ぐアリに返すのが筋だろう。アマルは指輪を握り締め、やがてもう一歩前へと出た。その時だ。
「ならぬ」
低く威厳のある声が、室内に響いた。




