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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第四話 妖霊調査官と災禍の星

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8 誰が悪なのか②

 その途端、マーリドの全身から紫色の火花が散った。ちりちりと数回弾けた後、爆発音と共に皮膚から炎が溢れ出す。紫色の劫火は渦巻き天へと柱のように立ち昇る。降り注ぐ火の礫が街を打ち、辺りは一瞬にして火の砂漠となった。


 マーリドは怒りと嘆きに任せて風に溶け、炎を纏う砂塵となって街を駆け回る。全て消えてしまえば良い。人間の街、人間の営み、人間の命も、全てが憎い。


「待て、マーリド!」


 火事がもたらした阿鼻叫喚の中、退魔師が追ってくる。その右手小指で、鉄の指輪が禍々しく光った。


「街を焼くなど、許されない。まさに悪しき妖霊の所業だ。残念だが、君を裁かねば」


 言葉と同時に、指輪から閃光が放たれる。それはマーリドへと真っ直ぐに向かう。間一髪、砂塵から人型に戻り地を転がって、攻撃をやり過ごした。


 紫色の炎に弾かれ霧散した閃光の残滓が、マーリドの胸部に吸い込まれていく。まるで酸に焼かれたかのように身体の芯が痛んだ。


 胸を撫でれば、皮膚に刻まれた小さな傷は一瞬にして癒える。だが、無傷ではない。魂から発せられる妖力の波が乱されたことに気づき、恐れが全身を駆け巡った。どうやらあの光は、肉体を焼くものではない。生命の本質である魂を捕らえ、裁くものだ。


 もう一度、光が襲来する。いくら避けても埒が明かない。マーリドは打開策を求めて辺りを見回した。


 瓦解した家屋が紫色の火を上げている。道端に転がるのは潰れた果物、割れた壺、泣き叫ぶ人間たち。そして、ゆりかごに寝かせられたままの赤子。


「神の御許で罪を贖え」


 退魔師が叫ぶ。マーリドは立ち止まり、身体を敵の方へと向ける。そのまま、指輪から放たれた光を全身で受け止めた。


 白い光と紫色の渦巻く炎が衝突し、爆音と共に煙が世界を埋め尽くす。


 煙が晴れると、そこにマーリドの姿はなかった。退魔師は、指輪が悪しき妖霊を封じたのだと考えて瞑目した。


 だが当然、ただでやられるつもりなどなかった。


 実のところ、マーリドは指輪から発せられた光に討たれるふりをして逃げ出していた。光が身体に届く直前、道端で死にかけていた人間の赤子へと己の魂を移したのだ。


 魂の移動を察した指輪の閃光が進路を変えて赤子へ届くより前に、マーリドは煙に紛れ赤子を抱いて街を出た。


 まさか、マーリドが逃げおおせていたなど、この時退魔師は思ってもみなかったはずだ。そしてもう一人、道端に置き去りにされていた赤子が消えたことにも、気づかなかった。


 全速力で宙を駆けしばらく進み、イシュラ河のほとりにたどり着くと、マーリドは地面に下り立って、腕に抱いた赤子を眺めた。我が子アマルよりも少し育っているようだが、乳飲み子であることには変わりないだろう。赤子の頬は煤で汚れ、衣服も焦げている。


 その顔に、思わず我が子の姿を重ね合わせてしまったことが憎々しくて、マーリドは自身の魂を回収して、赤子をナツメヤシの木の根元に置き去りにしようとした。しかし。


「うううあ……」


 赤子が薄く目を開き、苦しげに呻いた。青紫色の瞳だった。まさか半妖か、と思ったが違っていた。マーリドの魂が抜けていくごとに、瞳からは赤み薄れ、青空の色へと変化していく。それと合わせて、赤子の身体が徐々に衰弱していくのが見て取れた。


 どうやら、赤子自身の魂は消えかかっているようだ。マーリドの魂と結び付いたおかげでかろうじて、人間の魂も肉体にしがみ付いていられたらしい。


 この小さな身体からマーリドの魂が抜け出れば、赤子は即座に命を落とすだろう。そうでなくとも、世話をする者がいなければ死んでしまう。


 とはいえ、大切な妖力の根源をこのような非力な赤子に預けるなど、正気の沙汰ではない。マーリドは魂を用い、取り憑いた者を従属させる性質を持つが、人の子どもなど、何の役にも立たぬではないか。


 腕にずっしりと、体温を感じる。


 アマル。


 不意に、失った我が子への思いが胸に溢れた。マーリドは無意識に、魂を赤子の中に戻していた。


「あう、ああ」


 青紫色の瞳に生気がみなぎる。赤子は無垢な笑みを浮かべ、短い腕を懸命に伸ばし、マーリドの頬を撫でた。ひんやりとした水分が引き伸ばされるのを感じて気づく。自身の頬が、目頭から溢れ出たもので濡れている。


 マーリドは奥歯を噛み、赤子を強く抱いた。茶褐色の頭髪に覆われた頭に唇を押し付けながら、震える声で呼んだ。


「アマル、アマル……」


 腕の中にいるのはアマルではない。だが、この赤子が動かぬ(むくろ)となることを想像すれば、我が子がもう一度命を落とすかのような錯覚に陥り、どうしても手放せなかった。


 マーリドは、赤子をアマルと呼び、しばらく共に過ごすことにした。別の名をつけるべきだったが、彼が知る人間の名はただ二つ。アマルとスライマーンだけだったのだ。


 また、長い期間魂が離れたためか、マーリド自身の肉体に宿る妖力が薄れ、次第に人型を取れなくなってしまった。マーリドは黒い犬姿となり、養子と共に砂漠の廃屋で暮らし始めた。


 そうして時が過ぎ、アマル自身の魂が自立する力をやっと取り戻した頃。あの退魔師が再び現れたのである。


 彼は、祓ったはずのマーリドが、青紫色の瞳を持つ人間の娘と共に暮らしていることを知り、全てを悟った。娘を解放し、大人しく指輪に裁かれるようにとマーリドに迫った。


 アマルを人の世界へ帰さなくては。それは、もう何年も考え続けてきたことだった。だがマーリドには、愛しい娘と別れる決心がついていなかったし、何よりも因縁の相手にアマルを託そうとは思えなかった。


 二人は再び戦った。力だけならば互角といえたが、退魔師スライマーンは老いていた。戦いの途中で力尽きた退魔師は、指輪をマーリドに預けて言った。


「私には、悪がわからない。街を劫火で焼き尽くしたマーリドは、多くの憎しみを生み出した。しかし、そのきっかけは、人間が半妖の子を祓おうとしたからだった。憎しみは憎しみを生み、その連鎖は止まることを知らない。いつか誰かが断ち切らねばならないのかもしれないな」


 高位とはいえマーリドは妖霊である。託された鉄の指輪に触れる足先が、火傷したように痛むのを感じた。


「マーリド、この指輪は悪を……術師が悪と認定した者を攻撃する。私は、先ほど君を指輪で裁こうとしたができなかった。理性では、君を悪だと思っている。しかし心の奥底では、割り切れていないのだ。だからほら、今や無様にも地に伏している」

「ほう、我が憎くないというのか」

「憎しみと悪とは同一ではない」

「退魔師が何を言う。それで、なぜ我に指輪を渡す」

「聖国に、この指輪を消し去ろうと画策する者がいる。それは決して、あってはならないことだ。真なる災厄が世界を襲う日が、いつか来る。その時にこの指輪が世界を救うことになるかもしれない。だからマーリド。最高位の妖霊である君に、この指輪を庇護してほしい」

「我が? 人間は、妖霊と聞くだけで悪しき者と決め付け我らを遠ざけようとするではないか。いわば宿敵だろう。貴様はマーリドに人間の至宝を託すというのか」

「だが、人間と妖霊は等しく神の創造し給うた存在だ。長年退魔師として妖霊を祓ってきたが、良心の痛む仕事もあった。親しみを覚えた妖霊もいた」


 退魔師は、鉄の指輪に触れるマーリドの足に目を向けた。


「鉄の指輪に長時間触れるのが苦痛ならば、あの娘に与えれば良い。彼女を守る強力な武器となるはずだ。そうすれば、君が守ってやらなくともあの子は生きていける。あるべき場所、人間の世界に戻してやることができるのだ」

「我らを引き裂くか」

「君も本当は、いつまでもこのままではいられないと気づいているのだろう? それとも、年老いて死ぬまで友も伴侶も得ない孤独な暮らしをあの子に強いるつもりなのか」


 マーリドは言葉に詰まる。アマルが一人で生きられるのならば、大人しく身を引いて、自分は遠くから見守るべきなのだろうか。


「それに」


 退魔師は苦しげに咳き込んでから続けた。


「私が命を落とせば、君以外にこの指輪を守れる者はいない」

「聖国に、指輪を抹消しようと目論む者がいると言っていたな。それはもしや、悪しきマーリドのことかもしれぬぞ。我が指輪を悪用するとは思わぬのか」

「君はきっとアマルのために、その指輪を使う」

「それは星読みで知り得た未来か?」

「いいや、違う。だが、人間の子を愛しむ君を見て、確信した。君は、あの子の暮らすこの世界を危険に陥れることなどしない」

「どうだかな」


 マーリドは鼻を鳴らしてから、居住まいを正した。


「それで、退魔師。指輪を抹消しようとするのはどのような者なのだ。目星はついているのか」

「ああ……」

 

 退魔師は唸り、言葉を選びながら並べた。


「まず、忘れないでほしい。彼はきっと、生来の悪ではない。だが、道を踏み外した時には君が裁きを下してくれ。この地を守るため、つまり君の娘の平穏な暮らしを守るために」

「御託は不要だ。核心を述べるのだ」


 退魔師は、夜空に散らばる星を見上げる。指輪を滅しようとする敵の名を口にするはずなのに、彼はどこか優しい目をしていた。


「あの子の名は――」

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