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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第四話 妖霊調査官と災禍の星

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6 純血か否か②

 低い声に打たれ、アマルは音がするほど大きく息を吸い込んだ。その途端、ぼんやりと靄がかかっていた景色が鮮明になり、聴覚は脈動ばかりではなく外界の音を捉え始めた。


 アマルは振り返り、目を疑う。


「スライマーン、それとマシュアルさん」


 天井まで届くほど大きな扉の横に、見慣れた姿が佇んでいた。スライマーンは紫色の瞳を爛々と底光りさせて、堂々たる足取りでアマルたちの方へと進んだ。


 アリが、気圧されたように一歩後ずさる。ムルジャーナは突然現れた巨大な犬に、引きつった声を漏らした。


「い、犬。今喋った?」

「ムルジャーナ様、彼はアマルの養父。妖霊スライマーンです」

「スライマーン?」


 マシュアルの言葉に、ムルジャーナは形の良い眉を寄せてその名を呟いた。


「おじい様と同じ名前の妖霊」

「ほう、そなたは退魔師スライマーンの孫なのか。因果なことだな。いや、導かれた運命とでも言うべきか」


 スライマーンは感情の読めない声音で思わせぶりなことを言って、アリへと視線を投げる。


「アリ、謀ったな」

「何を言うんだ。契約を反故にして逃げたのはおまえの方だろうに」

「どの口が言う。最初からアマルを救う気がなかったほら吹きが」

「何を根拠に」

「今目の前で繰り広げられていた問答が全てだろう」

「だから、言いがかりだって……」

「ちょっと待って。どういうことなの!」


 ムルジャーナが立ち上がり、青白い顔で叫ぶ。当のアマルにも状況が掴めていない。目を彷徨わせると、マシュアルの灰青色の瞳と視線がぶつかった。マシュアルは安心させるように小さく頷いて言う。


「妖霊スライマーンは、アマルを人間の世界に返そうとして、アリと契約をした。退魔師スライマーンから奪った指輪をアリに渡す代わりに、アマルを庇護してくれという内容だ。しかし今、契約は反故にされた。アリがアマルを守らずに捕らえたということはつまり、そういうことだ」

「指輪って」


 無意識に右人差し指の付け根を撫でる。スライマーンは頷いた。


「そう、あの指輪だ」

「でもあれは、旅の退魔師さんが私にくれた物ですよ。アリさんに渡すって、いったいどうして」


 スライマーンは静かな眼差しでアマルを見た。微かな躊躇の末、スライマーンは牙の間から言葉を絞り出す。


「あの時おまえに指輪を与えた老人は、この我だ」


 そんなことがあるはずはないと思った。それと同時に、養父の紫色の瞳が、幼き日の記憶にある老退魔師の紫がかった瞳と重なった。当時のアマルは、老退魔師には妖霊の血が混ざっているのだと思った。しかしそうではなかった。あれは、養父スライマーンが人に化けた姿だったのか。


「いったいどうしてそんなこと」

「おおかた、護身のためさ」


 アリが口を挟んだ。


「そこの犬妖霊はさ、ムルジャーナ様のご祖父であり僕の大師匠であるスライマーン様に、指輪で断罪されそうになったんだろう。それで我が身を守るために大師匠を殺め、指輪を奪い養子に持たせて自分だけ安全になろうとした。危険な指輪も、身内が手にしたのなら何も怖くはない。アマルちゃんが養父を悪として裁くはずはないのだから」


 護身のため。果たしてそうなのだろうか。


 ――それは、悪を裁く神具だ。あの黒い妖霊が悪ならば、封じることができる。


 指輪を手渡す時、老退魔師に化けた養父は確かにそう言った。つまり、妖霊スライマーンの真意は護身ではなく、アマルの意志に己の運命を委ね……。


「断じて」


 スライマーンの低い声が、アマルの思考を中断させる。


「奪ってはいないし、殺めてもいない。しかし戦いの後、奴が指輪を我に託して力尽きたのは本当だ。彼は高齢だった」

「大師匠が、妖霊に指輪を託すはずがあるものか」

「それだけ、貴様に渡したくなかったのだろうな」

「おまえ……」


 アリの頬に、動揺が走る。彼はそれを即座に押し殺し、かろうじて平静を装った声音で言った。


「どちらにせよ、おまえが大師匠の仇であることには変わりない」

「それは無論。だが、アマルは関係ない」

「だからさ、彼女は妖霊なんだよ。僕が約束したのは、人間を人間の世界へ戻してやることであって、妖霊をか弱い人間たちの世界に放り込むことではない」

「人間のことを心配しているのか。そなたが?」


 スライマーンの言葉を耳にした途端、余裕のある調子を崩さなかったアリの表情が不意に硬直し、スライマーンを鋭く睨んだ。いったいどうしたというのか。


 やがてアリは目を充血させて、亜麻色の巻き毛をかきむしる。


「ああ、こんな問答は無駄。面倒だ面倒だ面倒だ! やっぱり、旅の途中で強引にでも祓えばよかった。砂漠ではいまいちおまえの妖力が読めなかったから、安全策をとって取引を持ちかけたけど、この場には退魔の護符がある。今この瞬間もおまえは、身体が動かしづらいはずだろう。ここでなら、大師匠の仇を討つことは簡単だ」

「かような護符ごとき、我の力を奪うには至らぬ。それに、仇というならば、貴様の大師匠とやらも我の仇だ。いや、奴が死んだ今となってはどうでも良いが」


 アマルの脳内は疑問に侵食されていて、混乱を極めている。しかし、スライマーンの次の一言がもたらした衝撃で、それら全てが吹き飛ぶことになる。


「そもそも、アマルは純血の人間だ」

「そんな言い逃れはできない。あの紫の火花を、皆が見ているんだ。ですよね、ムルジャーナ様、マシュアル様も」


 紫の火花は、妖力の発露。妖力は、妖霊の魂から生み出される。世界の常識だ。


 ムルジャーナが困惑した様子でマシュアルに目を向ける。視線を受け止めたマシュアルは口を閉ざしたまま、小さく首を振った。


「ねえ、いつまで無駄なことをごちゃごちゃと話さないといけないんだよ、妖霊スライマーン」

「もう終わる」


 苛立ったアリの言葉に、スライマーンは短く返す。追い詰められた立場であるにもかかわらず、どこか余裕のある声音であった。やがて牙を剥き出して不遜に笑う。


「おまえが欲しがっていた……あるいは永遠に抹消しようとした、断罪の指輪によってな……!」


 それからの出来事はあまりに目まぐるしい。

 

 スライマーンの咆哮が響くと同時に、マシュアルは自分の首にかけていた細い鎖を引きちぎり、先端に付いていた鉄の塊を振りかぶって叫んだ。


「アマル、受け取れ!」

「え、え、ええっ⁉」


 突然のことに、反応ができない。その隙に、指輪が宙を横切る軌跡上にアリが身を乗り出した。


「浅はかだな!」


 いつもの飄々とした様子からは想像もつかない嘲笑いと共に、アリが片手で指輪を受け止めた。彼はすかさずそれをスライマーンの方へと向ける。


「消えろ、邪魔くさい犬め」


 指輪から光が溢れ、一瞬にして凝縮して飛び出した。


 スライマーンが指輪に焼かれてしまう。アマルは思わずアリとスライマーンの間に立ち塞がろうとしたのだが。


「アマル、動くな!」


 マシュアルが鋭く言ったのと同時に、指輪から発せられた光の線が突然ぐにゃりと方向転換をして、アマルの額に向けて迫ってくる。何が起こったのか理解が追い付くより前に、マシュアルの背中が眼前に迫り、視界が遮られた。


 指輪から発せられた光は行き場を失って、マシュアルの鼻先辺りで停止し、やがて砂塵のように散って消えた。


 混乱の最中、スライマーンがアリに体当たりをして、指輪を奪い取る。


 それきり、静寂が場を支配する。やがて、歯ぎしりをしながら声を漏らしたのは、アリだ。


「マシュアル様、邪魔しないでください。いや、それよりも、なぜ彼女の方へ光が向かったんだ。僕が裁こうとした悪は、そこの犬」

「いかにも。貴様は我の魂を悪と判断し、裁こうとした。現に、マシュアルが立ち塞がらなければ、目的は達していただろう」


 アリが眉根を寄せる。苛立ちと困惑に満たされた顔が、徐々に驚愕を帯びる変遷が、鮮明に見て取れた。


「まさか」


 呟きを落としたまま、アリは二の句を継げない。続きを、スライマーンが引き取った。


「いかにも。我の魂はそこ。アマルの中にある。貴様ももちろん知っているだろう。最高位の妖霊マーリドは、己の魂を別の場所に預けるのだ。これでわかったか。アマルは間違いなく純血の人間だ。彼女が身の危険に見舞われた際に発現した妖力は、我が魂から生み出されたものだ」

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