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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第四話 妖霊調査官と災禍の星

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4 妖霊でも人間でもなく

「うわっ! 妖霊?」


 視線が合った途端、直前まで気さくに言葉を交わしていた人間が手のひらを返したように態度を変えるのは、アマルにとっては慣れたことだった。


 怯えた眼差しを浴びる度、少しでも怖がらせないように、嫌がられないようにと笑って誤魔化してきた。時には、「変な色の目ですよね」と卑下してその場をやり過ごすこともあった。


 その点、妖霊たちはアマルを排斥しようとはしなかった。幼少期、一緒に遊ぶ仲の良い妖霊はたくさんいたし、友情は確かなものだったと思う。


「追いかけっこしよう!」


 幼い日の記憶の中。誰かが言って、皆が走り始める。


 妖霊にも様々な特徴を持った子がいた。ある者は砂塵を巻き上げる風となり駆け出して、ある者は浮遊して友の居場所を上空から見下ろし有利に遊戯を進めた。妖霊は多様性の集合だ。だからこそ、非力なアマルが混ざっていても誰からも冷たい目を向けられることはない。しかし。


「待って、待ってよう」


 人間と妖霊では、強靭さが異なる。幼いアマルが走り続けられる時間は妖霊から見ればごく僅かなものであり、アマルはいつも、気づけば独りぼっちになっていた。


 子どもらに悪気はない。ただ、遊びに熱中してしまえば、ちっぽけな一人がいなくなっていたところですぐには気づかれないものなのだ。


「みんなどこへ行ったの……」


 人の身体には激し過ぎる運動の末、肺が潰れそうに痛み、心臓が肋骨を折りそうなほど激しく脈打っている。喉の奥からは少し血の味がした。幼いアマルは赤い砂漠の真ん中で立ち止まる。結果、脱水を起こしてスライマーンに助けられたことが何度もあった。


 アマルは妖霊ではない。妖霊に受け入れてもらったとしても、人の肉体では彼らと同じようには過ごせない。かといって、人間の輪にも入れないのだ。アマルはいわば、妖霊でも人でもない。茫漠とした砂漠にただ一人、アマルという存在でしかなかった。


 そんなある日。


「私のことが怖くないんですか?」

「怖い?」


 聖王の命によりやってきた妖霊調査官マシュアルは、アマルを人間として扱ってくれた。彼に導かれて訪れた円城都市(えんじょうとし)では、アマルを嫌悪する人間が多かったが、そればかりではなく、寄り添い心を開いてくれる人もいた。


 もしかするとこのまま、あるべき場所へ戻ることができるのかもしれない。人生を通して切望し続けた、同族との絆を得られるかもしれない。


 胸に淡い希望が宿った直後のことだ。


「あなたは妖霊だったのか」


 アリの驚愕の声が脳内にこだまして、アマルは絶望の淵へと落とされる。


 自分は妖霊だったのか。そのようなこと、アマルは思ってもみなかった。スライマーンはいつも、アマルのことを純血の人間だと言っていた。だがあの時、王子の袖口に縫い付けられていた護符が牙を剥いた直後、強烈な熱と痺れとなってアマルの全身を駆け巡り、紫色の火花として肌から迸ったのは間違いなく妖力だった。


「どうして」


 ぽつりと落とされた自分の声で、アマルは回想から現実に引き戻された。


 薄暗い石造りの地下牢。外界への出入り口は階段の上にあり、堅固な鉄の扉で封じられている。天井付近に通気口を兼ねた四角い窓があるのだが、何かの陰になっているらしく、陽光はあまり差し込まない。


 それでも、次第に薄っすらと明るくなってきたので、夜が明けたのだと知ることができた。もうしばらくで、夜気に冷却されたこの部屋も気温が上がり始めることだろう。アマルは冷えた足先を擦り合わせ、両腕で自分を抱き締めるようにして暖を取りつつ呟いた。


「妖霊だったなら、どうして人間として育てられたんだろう。どうしてみんなのように、強い身体が備わっていないんだろう」


 ナジュワのように半妖だったとしても、本来ならば人間ほど軟弱な身体では生まれないはずだ。


「私はできそこないの半妖なのかな」


 もしそうならば、アマルがいくら努力をしても、孤独からは一生逃れることができないのだろう。何もかも無駄ならば、いっそのこと全てを投げ出してしまおうか。諦めてしまえば楽になることもある。


 全身から気力が抜け落ちて、まるで抜け殻にでもなったかのような心地がした。


 そのまま、ごつごつとした石壁に背中を預けて膝を抱え、ぼんやりとする。通気口から細く差し込む光が照度を増し、汗ばむ程度の熱気が地下牢内に満ちた。さすがに喉の渇きを覚えた頃、地上から鍵束を揺らす足音が近づいて、鉄の扉が開錠される。


 誰かが階段を下っているらしく、持ち込まれた松明の光が徐々に迫ってきた。食事か、それとも引き出されて処刑でもされるのか。どちらでも別に良いと思った。しかし、いずれでもなかった。


「アマル」


 呼びかけられて、アマルは緩慢な動作で顔を上げる。


「マシュアルさん?」


 朱色の火に揺れるマシュアルの姿を目にし、幻覚かと思った。だが、すぐに思い直す。何も不思議なことはない、マシュアルは聖王の側近だ。


 アマルは無意識に笑みを作り上げ、軽い調子で言った。


「どうも、昨日ぶりですね。わざわざこんなところまで来てもらってすみません。実は妖霊だってことを隠して王族の方々に近づいたこと、処罰されるんでしょうか」

「君は妖霊なのか?」

「わかりません。でも、妖力を発する人間なんていませんよ」

「たしかにそうだな。妖力の根源は妖霊の魂だ」

「じゃあ、やっぱり私は人間ではないんでしょうね」

「鉄も柘榴(ざくろ)も塩も嫌がらない妖霊か?」

「高位の妖霊なら、それくらい我慢できるものですよ。まあ私はそんなにすごい存在じゃないと思いますけど」


 松明に照らされたマシュアルの顔は、朱色で塗り固めたかのようになり、感情が読み取れない。アマルは少し思案して、首を傾けた。


「私、半妖なのかもしれません」


 マシュアルの表情は相変わらず動かない。アマルは長年の癖で、深刻さを排除した人畜無害な顔面を作り上げて続けた。


「昔から、人間からは妖霊みたいな子だと恐れられましたが、妖霊とは体の造りが違ったんです。魂は妖霊に近いのに、肉体は人間の血が濃かったのかも」


 マシュアルは何か言いたげに半ば口を開いたが、すぐに閉じて軽く瞑目した。やがて、首にかけていた銀の鎖を引き、上着の下から鈍く光る塊を取り出した。鎖の先端には、見慣れた鉄の指輪が括り付けられている。


「それ……スライマーンに会ったんですか」


 指輪はスライマーンに預けていたはずだ。アマルの問いかけにマシュアルは答えず、指輪をアマルの鼻先に突き付けた。


 突然のことに息を呑むアマル。マシュアルは感情の読めない平坦な声音で言う。


「君は悪なのか」


 喉が張り付いたようになり、言葉が出ない。


「妖霊にも善と悪がいる。そうなんだろう?」


 悪を焼く指輪は真っ直ぐにアマルへ向けられているが、発動しない。禍々しいほどの鉄色の煌めき越しに、視線を交わし合う。マシュアルの意図が知れて、アマルは胸の奥を締め付けられながら、微笑んだ。


「その指輪、私にしか使えないのかも」

「俺に使えないものなどない。聖王の側近だぞ」

「何ですかそれ。不遜ですよ、マシュアルさん」


 軽口を返せばやっとマシュアルが頬を緩めた。彼は襟元を広げて指輪を衣服の下に戻すと、一歩身体を引いた。


「後で水とパンを持って来させよう。それから午後、また迎えの者を遣る。君にとっては良くない一日になるかもしれない」


 言うだけ言ってマシュアルは踵を返す。その背中を見送りながら、アマルは全身が痺れるような恐怖を覚えた。良くない一日になる。つまり、裁かれるのだろうか。


「マシュアルさん」

「ああ、それと」


 一切の質問を拒むように、マシュアルは肩越しに振り返る。


「楽しくもないのに笑わなくて良い。辛い時ならなおさらだ。そんなことで君を好いたり嫌ったりする者どもに媚びるな」


 靴底が石の階段を打つ音が規則的に反響して、松明の光が遠ざかる。


「楽しくもないのに……」


 ああ、そうか、アマルは今、辛いのか。マシュアルの言葉が鍵となったかのように、堅牢な檻に封じ込めていた弱々しい感情たちが溢れ出す。それらは巨大な塊となり胸から喉を遡上して、鼻の奥をつんと刺激する。やがて塩辛い雫となり頬を濡らした。


 アマルは膝に顔を埋めるようにして、洟をすすり呟いた。


「マシュアルさんは、ちょっとくらい媚びることを学んだ方が良いのに」


 涙塗れの憎まれ口を聞く者はいない。だが、もし当人に聞きとがめられたとしても、彼ならば、それしきのことでアマルを嫌悪することなどないのだろう。

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