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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第一話 妖霊調査官と壺の妖霊

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3 おんぼろの家と妙な父娘②

 その途端、アマルの頬が強張った。彼女は、ほんの少しだけ悲しそうに眉尻を下げたが、すぐに表情を取り繕って、おもむろに壺の蓋を開け左手を突っ込んだ。蓋を掴む右手の人差し指で、女の細指には不釣り合いなほど武骨な印象の指輪が鈍く煌めいた。


「いいえ、私は人間ですよ。ほら見てください。妖霊が大っ嫌いなお塩だって鷲掴みにしちゃいますし、鉄も柘榴ざくろも魔除けの護符も、全部大丈夫です」


 壺の中身は大量の塩だった。アマルは塩を掴んだ手を掲げてマシュアルの方へ軽く振る。指の間からこぼれた白い粒を避けるように、妖霊スライマーンが、部屋の隅に向かった。


「だが、なぜ人間が妖霊と一緒に。それにその……紫の」

「よく見ろ愚か者。アマルの瞳は紫じゃない。青だ。まったく、人間は先入観の塊だな。妖霊と共に暮らす娘だと聞けば、色すら見誤る」


 犬らしく前足で耳を掻きながらスライマーンが言ったので、マシュアルはアマルの目をじっと観察した。


 恥ずかしげに視線を逸らされてしまったものの、昼の陽光に透ける瞳はなるほど、確かに紫というには青味が強い。昨晩、暗がりの中で初めてその色を目にした時、迷いもなく紫だと思ったのは、ぎょろ目妖霊の気配がすぐ側にあったからなのだろうか。


 心の奥に引っかかるものがあるのだが、その正体を掴むことができない。マシュアルは素直に謝罪する。


「それはすまなかった。ここは君の家か。昨晩は助けてくれたようで感謝する」


 調理場だと思ったが、どうやら小さな家であるらしい。一間しかないため、寝室も居間も調理場も一室に詰め込まれているのだ。


 アマルはふにゃりと微笑み頷いた。それから一転、マシュアルの顔色を窺うようにおずおずと、塩塗れの手を胸元で揉む。


「いいえとんでもない。あの、それより私のことが怖くないんですか」

「怖い?」

「あ、大丈夫なら良いんです。私、人間に避けられる人なんで気になっただけで」


 妖霊と暮らす女と聞けば確かに異質であるが、彼女は悪人ではなさそうだし、救われた身からすれば恐れる必要はない。まあ確かに、金目当てで後をつけられていた疑惑はあるが……そうだ、彼女の目的はいったい何だ。


 疑念が顔に出たのだろうか、アマルは居心地悪そうに身じろぎをして、低い寝台の横に腰を下ろした。


「洞穴で質問されたことですけど、私、お役人さんに何か要求しようと思ってはいないんです。ただ、お友達から、円城都市の妖霊調査官がやって来たと聞いて、不安になって様子を見に行こうと思っただけで。そうしたら、あなたが妖霊のお家に不法侵入して火を焚いて寝ちゃうから、これは揉めるぞと思って仲裁したんです」

「妖霊調査官が派遣されると、なぜ不安に?」

「この土地には妖霊がたくさんいますが、悪戯好きなだけで悪いひとたちではないんですよ。でもそれを説明する人間がいなかったら、お役人さんに勘違いされてしまって退魔師が送り込まれてしまうのではないかと」


 確かに、昨晩アマルたちが現れず、あのぎょろ目に襲われていたとしたら、即座に都へ舞い戻り、この地に退魔師を派遣して全妖霊を一掃させただろう。


 さらに、本人に自覚はないのだろうが、アマルの言葉は本質を見抜いている。そもそもマシュアルがこの地の調査を命じられたのは、悪しき者を探し出すためなのだ。


「実のところ俺は、宮廷占星術師の卵が、新たに聖国せいこくに下ったこの地方に災禍の星とやらを見たと言うのでここに来た」

「災禍の星? 聖国に災いをもたらすものって意味ですか。でも妖霊とはきっと関係ありませんよ。悪いことをしたひとは私がちゃんと改心させるので」

「君は退魔師なのか?」

「いいえ。人間と妖霊間の揉め事仲裁人とでも思ってください」


 それはつまり、退魔師ということではなかろうか。マシュアルは曖昧な相槌を打つ。


「はあ、そうか。とにかく、災禍の星を見たのは、先日亡くなった高名な宮廷占星術師の弟子であるアリなんだ。彼が言うことなら信憑性が高いだろう。災禍の星の正体が妖霊なのかは不明だが、この地方にはきっと何かある」


 ここジーニヤーナ地方は、ほんの数か月前までは聖国の支配下になく、砂漠に暮らす遊牧部族が割拠するだけの土地だった。だが先日、長い小競り合いの末、この地を緩く領有していた部族が聖王の下に跪き、聖国はジーニヤーナ地方に版図を広げることとなる。その途端、新たな領土に邪悪な者ありと占星術師が騒ぎ始めたというわけなのだが、彼に具体的なことを聞いても答えは曖昧で、要領を得ない。


 危険の芽は早急に摘むべきだ。だが、不確かな情報で、宮廷を揺るがすのは得策ではない。


 そこで、聖王の幼馴染であり側近でもあるマシュアルに白羽の矢が立った。


 元々、妖霊はそう頻繁に人間の前には現れない。ところがマシュアルはなぜか、どこにいても妖霊と遭遇してしまう質だった。調査対象と出会えなければ、何も始まらない。そのためマシュアルは、災禍の星を見た張本人である見習い占星術師アリと共にこの地に派遣され、災禍の星の正体を探ることになったのだ。


 もっとも、相棒であるアリは先日、急遽宮廷に呼び出されて早々に帰ってしまったのだが。


 一人になったとしても、任務を放棄するわけにはいかない。予定では、現地の人間に聞き込み、手がかりを得ようと考えていた。しかし訪れてみればこの地は過疎も過疎。領主の街を出てから四日経ち、やっと出会った唯一の人間がアマルであった。


「俺に言わせれば、あの目玉が飛び出た妖霊だって災禍だが」

「あれは、お役人さんも悪いんですよ。誰だってお家に勝手に入って来られたらびっくりするでしょう」


 確かに。反論できずにいるうちに、低い声が割り込む。


「普通の人間は無意識に妖霊の気配を感じ取り、ああいった洞穴には近づかないものだがな。鈍感なのか」

「スライマーン、そんな言い方はだめ」


 アマルは窘めた後、部屋の角からマシュアルの荷物を引き寄せて差し出した。


「これ、お返ししますね。とにかくお役人さん、少しでも不思議な気配を感じたら、そこは妖霊の住処ですから、不用意に近づかない方が良いです」

「不思議な気配など感じたことはないのだが」


 そのような感覚が備わっているのならば、妖霊がいる木によじ登り突き落とされることもないし、食人鬼グールの餌になりかけることもない。


 マシュアルは手渡された荷物を広げ、中身の無事を確認しつつぼやく。久しぶりに人に出会い、饒舌になっているようだ。


「どうやら俺には運がないようなんだ。そもそも、この任務は二人であたるはずだった。相棒は占星術師の見習いだ。だが、円城都市の宮殿で事件があったとかで呼び戻されて、結局四日間一人で調査をすることになった」

「占星術師さんって、星の力を込めた護符で神秘を扱いますよね。もし一緒にいたら、妖霊を避けることができたかもしれませんね」

「そのはずだったんだがな。一人になった結果、散々だ。たとえば昨日、暑さに耐えかねて河に入ったところ、泥に埋もれた陶器を見つけた。掘り起こしてみたら、おかしな壺だったんで蓋を開けると、なんと怪しげな煙が出てきたんだ。慌てて封じて河に流したよ。あれは妖霊だったのだろうな。危うく襲われるところだったかもしれない。あとは幼少期から……」


 不運の話題は尽きない。荷物に不足や破損はないか調べつつ、半ば愚痴のように垂れ流された言葉に、アマルは生真面目な表情で耳を傾けていた。


 やがて話が一段落すると、アマルは顔中に純粋な憐憫を浮かべて言った。


「それ、多分不運じゃないですよ。さっきスライマーンが言っていましたけど、人によってはそういう存在への感度が低い人がいるんです。お役人さんは気づかずに妖霊の領域に踏み込んでしまう体質なんですよ」

「ではどうすれば良い」

「護符を身に着けて、妖霊がよく見える人と行動を共にして導いてもらうのが良いかと。私、専門家ではないので護符は作れませんが、この辺りで占星術を扱っている方を紹介しましょうか?」


 護符は占星術師により星の力を込められると、多種多様な神秘を引き起こす。マシュアルもそう詳しくはないのだが、力を借りる星の種類により護符に描かれる図像の色が異なっており、発揮される力も様々である。人間を攻撃する類のものから、誰かの愛情を勝ち取るためのもの、そして魔を退ける種類もある。


 中途半端な護符など気休めにしかならないかもしれないが、この地を調査するのならば、帰ってしまった見習い占星術師の代わりになるかもしれない。アマルは面倒な女ではなさそうだし、護符術の使い手を紹介してくれるように依頼してみるのもありか。


 謝礼は弾むから紹介を頼む、と言いかけた。しかし開いた口から飛び出したのは、驚愕の声だった。


「ない」

「へ?」

「調査官の証書がない」

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