1 アリとムルジャーナ
「私、聖王のハレムに行くことになったの」
あれは十年ほど前のこと。姉のように慕っていたお転婆なムルジャーナが妙に大人びた声音で告げた時、マシュアルは耳を疑った。
聖国が興ったばかりの時期には、ムルジャーナと同じような高貴な血筋の娘が妃として迎えられることが多くあったのだが、時代が下がるごとに、ハレムで権勢を振るうのは、奴隷出身の側女たちへと変わっていった。
聖国の版図が広がると、妃の親族である外戚は王権強化の礎ではなく、自らの一族の優遇のみを求めるような、いわば厄介なだけの存在となっていたのだ。
そのような時勢の中、退魔や占星といった神秘全般に長けたウダフィー家の一人娘であるムルジャーナがハレムに入るなど、時代遅れかつ異例なことだった。
とはいえ、聖王の妃となることは、ムルジャーナとウダフィー家に幸運をもたらすだろう。姉のように慕っていた女性が、敬愛する聖王の妃になる。そのことに対する戸惑いが薄れると、むしろ祝福ばかりが込み上げてきて、まだ十代だったマシュアルは無邪気に祝いの言葉を述べた。
ムルジャーナはやや陰を帯びた笑みを浮かべて祝福を受け取ってから、祖父と父の弟子であるアリの反応を窺い首を傾けた。
「アリ」
「ムルジャーナ様、どうしてそんな」
十代前半の少年アリは、少女のようにふっくらとした頬を怒りのため紅潮させている。
「陛下がお招きくださったの」
「お父上がお許しになるものですか!」
「その父が願ったのよ」
つまりウダフィー家は、権力のために娘を差し出したのか。
「決定事項なの。アリ、あなたにも祝福してほしいのよ」
色が白くなるほど強く唇を噛み締めたアリだが、そうまで言われてしまえばどうしようもない。
彼は呟くような声で祝福を述べる。ムルジャーナはそれに応えて、眉尻を下げて儚げに微笑んだ。己の運命を受け入れた、美しい笑みだと思った。
ムルジャーナは幼少の頃より、愛らしい娘であった。容姿のみならず、気さくさと高潔さを兼ね合わせた人柄は男女問わず多くの者から好かれたので、聖王もまんざらでもなかったようだ。
かく言うマシュアルもほんの幼少の時分には、ムルジャーナに対して特別な憧れを抱いていた。もしかすると聖王もそうだったのかもしれないし、何よりアリの恋情は誰の目にも明らかだった。幼馴染四人組の男衆は皆、程度の差こそあれ、ムルジャーナに魅せられていたのだろう。
思い返せば、アリはほんの幼少の頃から女性好きだったが、異性を見る度に口説き始めるようにまでなったのは、この頃からだった。
当時は、淡い恋が破れた腹いせなのだと思ったが、様々な面で鈍感なマシュアルであっても次第に気づくことになる。アリが奔放に過ごすのは、ムルジャーナの側にいるため。師の孫と親しくしたとしても、彼女が特別な女性だからではなく、幼少の頃からの仲だからと言い逃れるためだ。
あれから十年ほど経った今日でさえ、アリはムルジャーナに思いを寄せているのだろうと感じることもある。




