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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第三話 妖霊調査官と大きな声では言えない依頼人 

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8 謎の一本線

 妖霊の気配はない。だが、どこか妙な部屋だ。それが、ムルジャーナと王子の私室への印象だった。


 滑らかに研磨された石壁はほとんど錦の織物で覆われており、露出している部分には鮮やかな絵付けタイルが埋め込まれている。露台に続く扉は開け放たれていて明るく、イシュラ河方面から適度な湿度を持った微風が吹き込んで、大変居心地の良い一室だ。


 一見すると清々しい室内。しかし、豪奢な調度品のところどころに防魔の護符が貼り付けられており、見る者が見ればいささか仰々しさを感じるだろう。


 妖霊に対してはもっぱら仲裁を専門とするアマルは、護符術に関しては薄い知識しかないので、むしろ興味深くもある。


「どう、何かわかった?」


 ムルジャーナに問われたアマルは、燭台の足に貼られた護符を撫でたり、絨毯に膝を突いて卓の裏を覗き込んだりして、ひとしきり室内を調査してから訊ねた。


「防魔の護符を貼ったのは、宮廷占星術師ですか?」


 占星術師の本業は星を読むことだが、図像を用いる護符術は星の力を借りる。したがって、占星術が護符術に精通しているというのも多々あることだ。


「ええ。といってもまだ見習いだけれど。私の父が先日急逝してから、父の弟子が宮廷占星術師をしてるの。人材不足で、他に力のある占星術師がいないのよ」

「お弟子さんですか」

「幼少期から一緒に過ごしたから、家族のようなものよ」


 なるほど、先ほど第一夫人ヤサミーンがまるで不義でもあるように言っていたのは、その人物のことなのだろう。真相は謎だが、どちらにしてもアマルが首を突っ込む問題ではない。


「そうなんですか。実は、ちょっと気になることがあるんです。ほらここ」


 燭台を持ち上げて、足の部分を示す。ムルジャーナは目を眇めながら、真鍮に貼り付けられた赤い護符を観察し、少し首を傾けた。


「防魔の護符の一種かしら」

「はい。少し独創的ですが、基盤は火星の図像。ムルジャーナ様のお袖の護符と同じ防魔の印です。ただ、ここ。円を切断するような線が入っているんですよね。本来、この種類の護符は赤で描くべきなんですが、黒いインクで線が足されているんです。多分、後から付けられた新しい線に見えるんですけど。他の図像にも同じように線が書き足されていました」

「王子に憑いている妖霊が、やったのかしら」

「その可能性もあるんですが」


 もちろん、そう考えるのが最もわかりやすい。しかし、防魔の護符に近付けば苦痛を伴うだろう妖霊が、わざわざ律儀に、部屋中の図像に一本線を刻んで回るだろうか。奇妙に思える点をたどたどしいながらも告げれば、ムルジャーナは難しい顔をして考え込む。


 美姫の長い睫毛の揺れにぼんやりと目を遣りながら、アマルは真相へ近づくための材料不足を感じた。そもそも、王子に憑いているという妖霊は、いったいどのような性質の者なのか。


「もしよろしければなんですが、王子様ご本人にお会いできますか? どんな妖霊が憑いているのか知れば、解決の糸口が見えるかもしれません」

「そうね。王子はこの時間、ハレムの外で師に勉学を教わっているはずだわ。マシュアルたちもあちらにいるだろうから、合流しましょうか」

「あれ、王子様は寝込んでいないんですね」


 遊牧民の集落で出会ったハルシブと同様に、妖霊に憑かれた人間は魘されたり夢遊病患者のように徘徊したりするのが常だ。しかしムルジャーナの口ぶりからはそのような様子は感じ取れない。そればかりか王子は、健全に勉強に励んでいるというのか。


「そうなのよ。憑かれているといっても、波があるの」


 ますます不審な事件だ。アマルは胸騒ぎを覚えつつ、ムルジャーナに連れられて部屋を後にした。

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