6 薔薇と茉莉花①
「まあっ! 本当に女の子の退魔師なのね。会えて嬉しいわ」
薄紅色の長衣を纏った華やかな美女に手を取られた瞬間、アマルの鼻先をふわりと薔薇の香りが撫でた。
彼女の名はムルジャーナ。聖王の第二夫人だ。触れた手のひらは絹のように滑らかで、日焼けを知らずに白い。年齢はマシュアルより少し年上か。小柄で柔らかそうな体格をしている。向かい合うアマルは女性にしては長身の上、貧乏暮らしの影響で肉付きが悪いので、悲しいかな対照的な容貌だ。
ムルジャーナは金色の睫毛に縁取られた目を笑みの形に細める。意外にも、新緑色の瞳に歓迎の色が浮かんでいるのを見て、アマルは反応に困り若干挙動不審になった。
「あ、あの、光栄です」
「ふふ、緊張しなくて良いのよ。さあこちらへ」
一つ段を上がり、精緻な草木の文様が織り込まれた絨毯の上に腰を下ろすように促される。ムルジャーナは壁際に沿って備え付けられた長椅子に腰かけて、アマルを柔らかい表情で見下ろした。
「ねえ聞かせて。いつから退魔師になったの? もしかして、そういう家系の生まれなのかしら」
ムルジャーナの膝がすぐそこにある。いささか親密すぎやしないだろうか。困惑するアマルの背中を打つように、背後に控えていた女官が諌める声を発した。
「ムルジャーナ様。かような者と親しく触れ合われてはなりません」
「まあ、どうして」
「だって」
見れば、赤髪の女官が青い顔をして両腕を摩っている。アマルに怯えているのだろう。慣れた反応だ。
「あはは、そうですよね。お妃様、ご無礼を」
アマルは感情を消し、笑みを張り付けて膝をずらす。そのまま高貴な夫人から距離を置こうとしたのだが、不意に伸ばされたたおやかな手に、腕をがっしりと掴まれ引き留められた。
息を呑んだアマルの瞳を真っ直ぐに捉え、ムルジャーナは安心させるように愛情深い笑みを浮かべた。それから一転、形の良い眉を険しく怒らせて、赤髪の女官を叱責する。
「無礼者はあなたよ。アマルは、陛下の側近であるマシュアルが連れて来た信頼のおける退魔師。彼女を軽んずるということはマシュアルを軽視するということになり、ひいては陛下を侮辱することになる」
聖王の妃が発したあまりにも重たい言葉に、女官はいっそう青ざめて、虫が鳴くような声で「申し訳ございません」と呟いた。
ムルジャーナは眉間の皺を緩めて頷くと、アマルに向き直る。
「ごめんなさいね。びっくりしたでしょうけれど許してあげて。彼女に悪気はないのよ」
「いえ、お妃様の側近の方にそのような。むしろ恐れ多いです」
「まあまあ、謙虚ね。ふうん、そうなの。へぇ……」
ムルジャーナはふわふわとした仕草で小首を傾げ、何やら可愛らしく唸ってから、唐突な質問を浴びせてくる。
「ねえ、マシュアルとはどういう関係なの?」
「へ、関係ですか」
ムルジャーナは興味津々といった様子で新緑色の瞳を輝かせている。
「あの人、家柄も良いし嫡子だし、容姿も整っているでしょう? だから、世の女性に好かれるのが当たり前で、反対に同世代の男性からは忌々しく思われることもあるようなの。そのせいか、ちょっと不遜なところがあるのよね。進んで他人と親密になろうとはしないし、下心を持って近づいてくる人には本当に冷淡で。そういう媚びないところが男性からすると嫌味っぽく見えるのでしょうけれど。なんか孤高ぶっているというか、まあ要するに自分本位なのね」
「け、結構厳しいご評価ですね」
「人間だけでなく妖霊も引き寄せてしまうようだから、他人からの干渉にうんざりして冷たい反応をしてまう気持ちもわかるのだけれどね。そんなマシュアルが、一月以上も若い女の子の家に居候をしていたっていうでしょう? これは一大事ということで、ハレム中が沸き立っているところなの」
「ハレム中が」
「ここは女の園。男女の話題は、みんなが大好きな甘いお菓子なのよ。ね、そうよね」
ムルジャーナに水を向けられて、先ほどの赤髪お付き女官が同調して頷いた。
「はい。それはもう」
マシュアルの居候生活は、妖霊調査官の証書紛失に端を発する。その上、妖霊に対する危険察知能力の欠如が目に余り、一人で調査をさせるのが危なっかしすぎたという背景もある。つまり、不可抗力であり、貴婦人方が聞いて楽しい話は何もない。
「あの、ごめんなさい。マシュアルさんはお友達なんです」
「お友達? ああ、まだこれからということね」
「いいえ、そうではなく」
「あら、富、権力、容姿、全部揃っているのよ。あれほどの美形なのに好みではないの?」
「美形かどうか、判断もできていないんです。私、人間をあまり知らないので。それにマシュアルさんはちょっと抜けているところがありますし、格好良いかと聞かれても困る、といいますか」
壺に閉じ込められたり半妖から妖気の塊をぶつけられて失神したりした姿を脳裏に浮かべながら、正直に述べると、ムルジャーナは半分口を開いたまま硬直した。なにやら辺りが、しんと静まり返る。
「えっと」
沈黙に耐えかねてアマルが声を発すると同時、漂う生温い空気を、中庭で鳴いた小鳥の声が破った。それが合図だったかのように、ムルジャーナは小鼻をひくつかせてから、堪えきれずに噴き出した。
「そういうことね。通りでマシュアルが警戒しないわけだわ。あなた面白いわね」
目尻に涙を浮かべ声を上げて笑うムルジャーナに、どのように返すべきか困惑して、アマルは両手を揉みながらひたすら肩を縮めた。
そのままどんどん縮小してしまいそうな錯覚を覚えた時、泉水のように冷えた声が割り込んで、太陽のようなムルジャーナの笑声を断ち切った。
「薄汚く奇妙な女と親密に言葉を交わすなど、妃としてあるまじきこと。さすがはあの図々しい男の娘だ」




