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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第一話 妖霊調査官と壺の妖霊

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2 おんぼろの家と妙な父娘①

「あいつはきっと、生まれた瞬間に全ての幸運を使い果たしたのさ」


 妬み嫉み、身分ある者への媚びへつらい。マシュアルの周囲はいつも、どす黒い感情に染め上げられた邪悪な視線で満ちていた。


 それらは主に、奴隷出身ながら武勇に秀で、将軍にまで上り詰めたマシュアルの父に向けられたものだったが、隙のない武人である父を表立って貶す者はおらず、悪意の矛先はたいてい息子のマシュアルに向けられていた。


「あいつの骨折理由を聞いたか? ナツメヤシを取ろうとして木に登ったらな、妖霊が化けた実があって、木から突き落とされたらしいぜ」

「うわ、相変わらず運がねえな。木の実に化けた妖霊なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないだろ。そういえば少し前なんて、砂漠で泣いている母子を助けたら、食人鬼グールだったんだって。将軍が小隊を動かして血眼になって探し出したから助かったものの、そうでなけりゃ、もう骨になっていたかも」


 名前も知らない者どもが、好き勝手に噂する。不愉快な環境に晒されて育ったマシュアルは、いつしか他者に迎合しない性格となり、不遜やら傲慢やらと陰口を叩かれるようになった。


「やっぱりマシュアルは、不運だな」

「将軍の一人息子で命拾いしたよな」


 とはいえ、上辺だけを見れば、マシュアルは幸運だ。


 父は聖王せいおうの信頼厚く、部下にも愛される人柄で、国の中心である円城都市えんじょうとしに豪勢な屋敷を構えている。母は名家出身の信心深い淑女であり、時に優しく時に厳しく一人息子を育てた。


 それだけではない。マシュアルは幼少の頃より眉目秀麗ともてはやされ、勉学で躓くことのない明晰な頭脳と骨折しても数週間で元通りになる壮健な身体を持っている。地位に富、肉親からの愛情や、健全な心身すらも、全てにおいて恵まれている。


 だがそれらは全て、生まれた瞬間に大いなる神が与え給うた恵みであり、マシュアルの運命は揶揄の対象になるほど数奇な星の下にあるらしい。


 特に、人ならざる者らが絡むと顕著なのだ。


「うーん、可愛い男」


 視界がふと暗くなり、眼前に見覚えのある紫のぎょろ目が迫る。洞穴で出会ったあの妖霊だ。


 ずん、と全身に重たくのしかかる、何とも形容しがたい重圧。全身を四方から柔らかいもので強く押し潰されるかのような圧迫感に襲われて、マシュアルは身体の自由を失った。


 妖霊の、血色の悪い顔が視界一面を埋め尽くす。


「また来てくれたということは、そういうことよね。何して遊ぶ? あんなことやこんなことや」


 ひんやりとした指先がマシュアルの頬を撫でた。言い知れぬ嫌悪に、毛穴という毛穴が引っ繰り返る。マシュアルは必死に声を上げようと試みた。渾身の力を込めて唇を蠢かせ、声帯を絞るようにして息を吐く。


「やめ……ろ……、はなれ、ろ!」


 その瞬間。全身を拘束していた重苦しい空気が晴れて、マシュアルは勢い良く上体を起こした。


「やめてくれー!」


 ばさり、と足先の方に掛け布が飛んだ。


 マシュアルは体中に汗をかき肩で息をして、目の前に浮かぶ薄暗い光景を眺めた。


 日干し煉瓦を土で固めただけの剥き出しの壁面。そこに据え付けられた棚には、彩色が褪せてひび割れかけた食器が積み重ねられていて、棚の縁には枯れかけの葉を付けた木の枝がぶら下がっている。その真下の床には粘土を焼いた壺が二つ並び、横には煤けた小さな竈がある。ここは調理場だろうか。


 マシュアルは自身の脚に目を向ける。どうやら、旅装のまま硬い長椅子に横たわっていたらしい。いや、信じ難いほど質素だが、これは寝台か。なぜ調理場に寝床が?


 マシュアルは混乱する頭を片手で抱えて呻いた後、視線を右側にずらす。そこで、紫色の瞳と視線がかち合った。


「あ」


 格子窓から差し込む陽光が室内に舞う埃を煌めかせる中に、熟れたナツメヤシのような茶褐色の髪をした背の高い女が目を丸くして立っている。何度か瞬きをする間を空けてから、彼女は溌剌とした笑顔を浮かべた。


「よかった、目が覚めたんですね」

「君は先ほどの」


 女は腕に抱えていた籠を壺の隣に下ろし、マシュアルに駆け寄る。


「はい、アマルといいます。大丈夫ですか、頭は痛みます? 吐き気や眩暈はありませんか?」

「あ、ああ。打ったところが少し痛むが問題ない」

「ふう、安心しました。スライマーンが失礼なことをしてすみませんでした。このひと、ちょっと短気で」

「誰が短気だ」


 アマルと名乗った女の足元から、黒い影が現れた。洞穴でマシュアルを突き飛ばした、羊ほどの大きさの大型犬だ。「このひと」とは言うが、どう見ても人間ではない。


「スライマーン。それが犬の名か? いや、そもそも喋るのか?」


 理解が追い付かないし、獣にしてはあまりに立派な名前である。


「犬とは失敬な」

「スライマーンは偉い妖霊なんです。生まれたばかりの頃に捨てられていた私を育ててくれた、お父さんみたいな存在で」


 それはそれで、いっそう困惑する。一昔前に、スライマーンという名の高名な退魔師たいましがいたのだ。妖霊を祓う者と同じ名の妖霊とはなんという皮肉か。いや、それよりも。


 マシュアルは眉根を寄せて、犬とアマルを交互に見た。共に、紫色の瞳が特徴的だ。紫は、人の持つ色彩ではない。妖霊など、魔に属する者らに特有の色。マシュアルはやや身を引いて女に問うた。


「君は、妖霊か?」


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