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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第三話 妖霊調査官と大きな声では言えない依頼人 

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4 市場の人気者?

 城壁に設けられた門口で駱駝を預け、アマルたちは円城都市(えんじょうとし)へと入った。その途端、喧騒が塊となって押し寄せて、思わず両手で耳を覆う。


市場(スーク)だよ」


 目を丸くするアマルの田舎者じみた様子を嘲ることはなく、アリがにこやかに言う。アマルは恐る恐る耳を解放し、周囲を見回した。


 砂漠では肌を焼くように猛烈に降り注いでいた陽光が、ここではアーチ型の天井に遮られ、明り取りの窓から細い筋となり差し込むだけだ。自ずと、辺りは炎天下よりも涼しくなるはずなのだが、実際はそうでもない。人の熱気がこもり、むしろ蒸し暑いほどである。


 道の両側には所狭しと商店が軒を連ねており、見たことのない独特な形状の果物や目を疑うほど色鮮やかな陶器、趣向を凝らした装身具などが並んでいる。決して広くはない市場スーク内。行き交う人々とすれ違えば、肩が触れることもある。その度に、異なる種類の香油の香りが層をなして漂ってきて、耳ばかりではなく鼻も忙しい。


 あまりの人込みに目を回しかけたアマルを見かね、本物の犬を装ったスライマーンが前を歩き、人垣を切り開く。隣にはマシュアルが並び、案ずる声をかけてくれた。


「大丈夫か? 早くここを出て宮殿に向かおう。長居は無用……って、おいアリ」


 気遣いを見せたマシュアルの言葉は、半ばできつい調子を帯びる。彼の視線を追えば、背後でアリが織物屋の女店主に絡まれていた。


「やあ、久しぶりだね奥さん。旦那はまだ行商に? え、もう三月も戻って来ない? 君のような魅力的な女性を放っておくなんて、罪な男だ。今度お茶でもどうだい」


 前言撤回。絡んでいるのはアリの方だった。


 マシュアルが顔をしかめ、苛立ちを露わに大股でアリの側へと戻り、腕を掴む。


「おいアリ。遊びに来たわけじゃないんだぞ」

「やだなあ、ちょっと知り合いと話しただけじゃないですか。野暮なこと言わないでくださいよ」

「お前なあ」

「あれ、マシュアル様。お戻りだったんですか。ジーニヤーナ地方に行っていたとお聞きしましたけど」


 隣の店から禿頭の男が顔を覗かせて恭しい一礼をした。明らかに貴人を前にした所作に、周囲の視線が集まり始める。商人も買い物客も、皆がマシュアルに注目している。


「マシュアル様って誰?」「ほら、将軍の嫡子の」「聖王の友人であり側近よ。しかも結構綺麗な顔をしているの」「妾にでもなれれば安泰ね」「うふふ、言い寄ってみようかしら」「ちっ、金持ちだからって調子に乗りやがって」「ああ、昔妖霊に木から落とされた子か」「不運体質の」「すっかり大きくなって」


 押し寄せる囁き声の波に揉まれつつ、アマルは噂の的であるマシュアルの横顔を見上げる。表情の消えた作り物のような頬だった。


 何と声をかけるべきか思案しているうちに、果敢にもしなを作りながら声をかけてくる人物がいた。


「マシュアル様。お久しゅうございます。私のこと、覚えていらっしゃいますか?」


 たおやかな娘だ。目元以外は絹の面紗に覆われている。覚えているも何も、半ば顔が隠されているのだから、誰だかわからないのではなかろうか。案の定、マシュアルはろくに見もせずに首を振り、アリの腕を再度引いた。


「あ、お待ちを」


 さすがに冷淡過ぎる。アマルは思わず、マシュアルを引き留めようと腕を伸ばした。その時ちょうど、人込みの中から都会的な衣服を纏った大柄な男が近寄って来た。


「何の騒ぎかと思ったら、マシュアルじゃないか! おお、アリも一緒か!」

「げ」

「将軍! ご部沙汰しております」


 マシュアルが潰れたような声を漏らし、アリが顔を輝かせて優雅な一礼をする。聖国の将軍ということは確か。


「父上、遠征に行かれていなかったんですか」


 そう、マシュアルの父だ。将軍は闊達に笑い、息子の肩を抱く。


「ああ、先日ジーニヤーナ地方が平定されてから、軍もしばしの休息期間でな。それはそうとマシュアル、妖霊調査官の仕事は順調か?」

「ええ、まあ」

「おまえは昔から妖霊に縁があるからな。ほら、木から落とされたり食人鬼(グール)に食われかけたり」

「……」

「妖霊に取って食われないか心配だが、筆頭宮廷占星術師の弟子アリがいれば、まあ安全だろう。アリ、幼馴染でもあるしわけだし、まあ引き続き面倒をみてやってくれ」

「ははは、将軍にそのように言っていただけて光栄です」

「それで、そこの彼女は?」


 武張った大柄な男からにこやかな笑みを向けられて、アマルの肩が覆わず跳ねる。


「あ、アマルといいます。人間と妖霊の諍い仲裁人で」

「ほう」


 おずおずと見上げるアマル。


 将軍は、誰からも気味悪がられるアマルの薄紫の瞳へと真っ直ぐに視線を返し、ほんの僅かな怯えも見せずに頷いた。さすがは歴戦の武人というべきか。そういえばマシュアルの食人鬼(グール)事件では、軍を率いて食人鬼(グール)と直接対決したほどの豪傑だったはず。


「そうか、これからも息子を助けてやってくれ」

「きょ、恐縮です」

「マシュアル、後で家に寄りなさい。母さんも心配しているし」

「時間があったらな。悪いがそろそろ行かなければ。さあ、アリ、アマル」


 マシュアルは淡泊に言い、父に背を向け雑踏を割る。


「あ、待ってくださいよマシュアル様。将軍、すみません。また後日ご挨拶を」

「気にするな」


 将軍は苦笑を浮かべて息子の背中を見送っている。その目元にはどこか、寂しげな色が浮かんでいた


 美女の声かけにも実父の誘いにも取り合わず、足早に市場スークを抜けようと進むマシュアル。その隣に並び、アマルは純粋に問いかけた。


「マシュアルさん、お父さんのこと、良いんですか? それにさっきのお嬢さん、知り合いかもしれませんよ。面紗を取ったらもしかすると」

「マシュアル様はね、父上が有名人だからって、ちょっとこじらしちゃってるんだよ。あと、色目を使ってくる女性にはものすっごく冷淡でさ」

「こじらせ? 色目?」


 何度か瞬きをする間にアリの言葉を咀嚼してから、アマルは思わず、うんうんと頭を前後させた。


「マシュアルさん、何だか大変ですねえ」

「特に女性関係はね」

「別に、俺個人を好いて女性が寄ってくるわけではない」


 マシュアルは全く嬉しそうではない。むしろ、灰青色の瞳には嫌悪が浮かんでいる。


「またそんなこと言っちゃって。あんなに良い父上がいて、女性も引く手数多なのに、贅沢だ。……無条件に人から愛されるなんて、うらやましい限りだけどね」


 マシュアルの言葉と微かに影を帯びたアリの声。その真意が掴めず首を傾けるが、彼らが言葉を続けることはなかった。

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