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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第三話 妖霊調査官と大きな声では言えない依頼人 

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3 いざ、円城都市へ②

 視線を感じたのだろうか、アリは進行方向に向けていた顔を少し横に向ける。アマルと目が合うといっそう目元を緩ませて、妙に潤んだ瞳でじっと見つめてきた。


 意図の読めない凝視を受け、自分の顔面に何か付いているのだろうかと心配になり、ひとまず砂除けの布で少し顔を隠してみる。するとなぜかアリは頬を綻ばせた。


「いやあでもびっくりしたよ。あんな砂漠の真ん中に、うら若い女性が一人暮らしとは」

「あ、いえ。スライマーンがいるので一人暮らしでは」

「過去、危険な目にも遭ってきたでしょう。どうかな、もし良ければ円城都市の城壁の側にある家を貸してあげようか。そうすれば今よりは安全だろうし、僕も時々会いに行けるからね。ああ、もちろん女性の家に頻繁に男がやって来るのは外聞が良くないから、ちゃんと宵闇に紛れて……ね」


 アマルは、古びて穴が空きかけた生成り色の布の端から瞳を覗かせて、アリの端正な横顔を窺った。


 出会ったばかりにもかかわらず、なぜそのように親身になってくれるのか。世間知らずなアマルだが、さすがに怪訝に思う。しかし、アリからは、害意のようなものは感じられない。アマルはひとまず訊いてみる。


「私のことが、怖くないんですか?」

「怖い? まさか。あなたのような美しい女性を恐れるなど」


 アマルの目が、次第に見開かれる。生まれてこのかた十八年。人間から避けられ続けてきたが、マシュアルと出会ってからの約一月で、人生は急展開を見せ始めたらしい。


 アマルは、柔和に煌めくアリの夕日色の瞳を見つめ、感極まって涙が浮かぶのを感じた。洟をすすり、唾液を嚥下して気持ちを落ち着かせてから、砂除けの裾をぎゅっと握り締めて言った。


「アリさん、それって、私とお友達になってくれるってことですか?」


 微笑みの形のまま、アリの顔が硬直する。並んだ駱駝の鞍上から、マシュアルが思わずといったように鼻で笑う気配がした。アリはしばし石になった後、乾いた笑い声を上げる。


「ああ、そっか。アマルちゃんにはもうマシュアル様が」

「はい、マシュアルさんもお友達になってくれましたよ」


 同意を求めて視線を向ければ、マシュアルは苦いものを食べたような、それでいて笑いを堪えるかのような、何とも形容しがたい表情をして、曖昧に頷いた。それから取り繕うように咳払いをする。


「アリ、彼女はこういう人なんだ。諦めろ。あと、女性と出会う度に口説くのはやめてくれ。見ている方が薄ら寒い」

「灼熱の砂漠で寒くなれるなら大歓迎じゃないですか。でもまあこれで、女性嫌いのマシュアル様がアマルちゃんと一緒にいられた理由がわかりましたよ」

「あれ、マシュアルさんって女の人が嫌いなんですか?」


 思わず口を挟むと、マシュアルは心底不本意そうな顔をして吐き捨てた。


「別に嫌いじゃない。アリ、誤解を招く言い方はしないでくれ」

「マシュアル様、もっと人生楽しみましょうよ」


 気楽な声が蒼天に吸い込まれていく。気づけば空が頭頂に迫っていた。砂丘の頂上が近づいたのだ。


 やや前方を進んでいたスライマーンが砂丘の頂で立ち止まり、犬らしくワンと吠えた。


「スライマーン、どうしたの」


 駱駝の足を速め、養父の隣に並ぶ。途端に視界が開け、眼下に現れた壮大な景色に、アマルは感嘆の声を上げた。


「わあ……すごい。円城都市だ」


 アマルたちの足元から続く広大な砂の斜面。丘を下れば、砂漠の真ん中から突如として幅広の道が現れる。


 整備された街道に沿って植えられたナツメヤシの木が、大きく葉を広げて風にそよいでいる。木々のさらに外側には農地が広がっており、立ち働く人々の姿がちらほらと見えた。


 先ほどまで砂と天ばかりであった世界は今や、細々とした人の営みを乗せ、鮮やかな彩りに溢れている。


 そして何よりも目を引くのは、街道の終点に位置する三重の城壁。さらにはその中央に屹立する宮殿の、緑色の円蓋だ。


 あれこそが、神の声聴く聖王がおわす円城都市である。


「もうすぐだな」


 気づけばマシュアルの駱駝が轡を並べている。アマルは円城都市を見つめたまま頷いた。


 養父や妖霊の友人と共に過ごす気楽な砂漠暮らしは好きだが、以前より、人間の世界には淡い憧れを抱いていた。


 もちろん、未知の場所への不安もある。妖霊のようだ、と不快気な眼差しを浴びないだろうか。アマルと一緒にいることで、マシュアルやアリが非難されやしないだろうか。


「どうしたんだ?」


 怪訝そうなマシュアルの声がして、知らずのうちに砂除けを握り締めていたことに気づく。アマルはぱっと手を放し、努めて明るい声音で言った。


「いえ、ちょっと感動しちゃって。……さあ、気張って行きましょう!」


 駱駝を歩ませ、一行を先導するようにアマルは進む。


 これまで出会ってきた人々によれば、アマルの側にいると、まるで妖霊が近くに潜んでいるかのように落ち着かない気分になるのだという。


 ただでさえこの瞳は妖霊のような紫色を帯びているのに、その上、陰気な思考に沈んでいることが知られれば、いっそう人が離れていくに違いない。やっとできた友人たちもきっと、去ってしまう。


 アマルは胸に沈殿する不安に砂をかけて封じ込め、熱風を切って砂丘を駆け下りた。

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