2 いざ、円城都市へ①
「……アマル、居眠りをすると落ちるぞ」
スライマーンの忠告で微睡の淵から引き戻されて、アマルは弾かれたかのように顔を上げた。
一面、砂の世界。連なる砂丘の稜線が、雲一つない蒼天を橙色に切り取っている。目に痛いほど降り注ぐ陽光と照り返しで、視界が強烈に明るい。砂には、三頭の駱駝とそれに跨る人間、そして羊ほどに大きな犬の影がくっきりと現れていた。
それら世界の全てが、ゆらゆらと揺らめいている。アマルの尻の下で、駱駝が足を動かしているからだ。
「あ、ごめんごめん。ちょっと昔の夢を見てたの」
「寝ていたのか」
隣を歩く駱駝の鞍上から、呆れを隠そうともしないマシュアルの声が降ってくる。
「よくこんな暑さで居眠りできるな。それで、昔の夢とはどんな夢なんだ?」
アマルは深刻にならないように軽く笑って、頭を掻いた。
「いえ、大した夢じゃないですよ。小さい頃の夢です。昔、私を円城都市に連れて行くと提案してくれた旅人さんがいたんです。ほら、私たち、今まさに円城都市に向かってるじゃないですか。だからきっと昔の記憶が刺激されたんです」
「旅人……君に指輪をくれたという人か?」
「わあ、マシュアルさん、ちゃんと覚えていてくれたんですね。そう、その人です」
手を叩いてみれば、マシュアルはいつも通り、少しだけ苦い笑いを浮かべる。灰青の瞳に嘲りの色はない。彼は感情が顔に出やすいだけなのだ。
「いやあ、でもびっくりしましたね。あの調査官証、追跡できるようになっていただなんて」
自身の過去の話題はアマルにとって、決して楽しいものではない。アマルは意識して話題を変えた。
唐突な発言を怪訝そうにしたマシュアルだが、素直に同意が返ってくる。
「そうだな。最初から知っていれば、下手に捜索して妖霊の壺に引きずり込まれる必要などなかったのに」
実は、調査官の証書には追跡の術が刻まれていたらしいのだ。宮殿からやって来た巻き髪の青年はそれを目印にしてマシュアルを探し出したらしかった。
「そもそも、壺の奴が証書を盗んだのが災厄の始まりだった」
「災厄だなんて、言い過ぎですよ。あのひとはマシュアルさんにもう一度会いたかっただけじゃないですか」
「しっかり罰を与えたくせにそれを言うか。そもそも、聖王から賜った勅書だぞ。おふざけで済む問題か?」
「まあまあお二人とも」
青年の柔和な声が割り込んだ。
「結局、証書は見つかったんですから、もう良いじゃないですか。おかげさまで、アマルちゃんにも出会えたことだし」
「アリ、お前は呑気すぎる」
マシュアルに窘められた青年アリは、亜麻色の巻き毛を風になびかせながら、人好きのする笑みを浮かべている。やや軽薄な感じが否めないものの、柔和でどこか中性的な顔立ちだ。
アマルは彼と目が合う度に、マシュアルに感じるのとは少し異なる親近感を覚える。単にアリの人柄によるものだといえばそれまでだが、もっと深いわけがあると言われれば、そうであるような気もする。何とも表現の難しい感覚なのだ。
「だってマシュアル様。過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないでしょ」
アリは、マシュアルの補佐をする占星術師だという。以前マシュアルが言っていた「急遽円城都市に呼び戻された占星術師見習いの相棒」とは彼のことらしい。今回は、宮殿で妖霊に関わる事件が発生し、マシュアルを呼び戻すために聖王から派遣されたそうだ。
聖王の側近とはいえ、退魔師でもないマシュアルがわざわざ呼び出されるのは妙だ。理由を問うてみれば驚くことに、宮廷は、マシュアルと行動を共にしているアマルに興味を持ったのだという。
何だかんだとマシュアルは、自身の妖霊調査官としての職務を真面目にこなし、聖王へと定期報告書を送っていたらしい。その中に、アマルのことも書かれていたようだ。
円城都市にて対処すべき事案とはどのようなものなのか。アリに訊ねてみたが、明確な答えはない。一面の砂漠地帯。当然、人間の姿はほとんどない。だが、姿を消した妖霊がふよふよと浮かんでいる可能性は無きにしも非ず。誰が聞いているかわからない場所では、詳細を語ることができないとのことだ。
それほどに秘匿性の高い、いかにも厄介な気配がする任務。にもかかわらず、アリには深刻さが欠片もない。
一方で彼の相棒にあたるマシュアルは、妖霊が関わると、清々しいほど抜けたところがある男だが、その本質はどちらかというと生真面目だ。不足を補い合える良い関係性なのかもしれない。
これまで人間と縁の薄かったアマルは、世の中には色々な人がいるものだなと感心して、アリをまじまじと観察した。




