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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第二話 妖霊調査官と妖霊憑きの遊牧民

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15 次なる騒動の気配

 経年劣化のため少し歪んだ格子窓から、白い陽光が差し込んでいる。室内であっても薄っすらと浮かぶ砂埃が光に照らされて、ちらちらと視界を曇らせる。その向こう側に、日干し煉瓦を土で上塗りしただけの素朴な壁面が見えた。ここは、アマルの家だ。


 マシュアルは痛む頭を抱え、呻きながら上体を起こす。昨日よりは身体が楽だった。


 遊牧部族の集落にて、半妖ナジュワの渾身の一撃を浴びたマシュアルはその晩、悪夢にうなされた。しかし、妖霊の気配に鈍感なことが幸いしたのか、他の者では三日は寝込むだろう量の妖力を浴びたにもかかわらず、翌朝には自力で駱駝に乗るという、驚異の回復力を披露した。


 とはいえ、全快したわけではない。打たれた後頭部は腫れ、なお痛む。結局、無理しないでくださいと気遣わしげにするアマルと共に、ゆっくりとした速度で駱駝に揺られ、つい昨日、イシュラ河近くにあるアマルの家に帰宅したのだった。


「あ、もう起き上がれます? 体調はいかがですか?」


 ぼんやりと壁を眺めていたマシュアルに気づき、柘榴ざくろの枝を抱えて座したアマルが言った。塩の詰まった壺の横で、枝から枯れ葉を取っていたところらしい。


「ああ、だいぶ良くなった。……その、何というか面目ない」

「マシュアルさんのせいばかりじゃないですよ。それにちょっと嬉しかったです。妖霊のナジュワさんを助けようとしてくれたこと」


 アマルは朗らかに微笑み枝を壁に引っかけて、水瓶を開けた。


「お水飲みます?」

「ありがとう」


 ひび割れた素焼きの杯に柄杓で注がれた水を口に含む。ぬるい。


 しかし、水分が喉を下り胃を潤わせた途端、全身に生気が満ちてくる。次第に意識が明瞭になってきた。


 その一方、集落で倒れてから駱駝に揺られるまでの記憶は途切れ途切れであり、マシュアルは額を抱えながら訊ねた。


「あの家族は結局どうなったんだ」

「あ、そうですよね。マシュアルさん、ずっとぼんやりしてましたし、やっぱりあんまり覚えていないんですね。ウトバさんとハルシブさんたちの口論は、マシュアルさんのおかげで終わったんですよ」

「俺の?」


 まったく記憶にない。


「ほら、あそこでマシュアルさんが妖力に打たれて倒れちゃうなんて、予想外だったでしょう? だから皆びっくりしちゃって、毒気を抜かれたって感じだったんです。それよりも、マシュアルさんを介抱しないといけなかったし」


 あの円陣の中にいる者は、妖霊から認識されづらくなるのだという。つまり、突然飛び出したマシュアルの姿は、ナジュワの目には、急に出現した暴漢のように映ったのだろう。結果、予想だにしない方法で場を和ませることになったのか。


「それに」


 アマルが右手を挙げて、指輪を示す。


「この指輪がナジュワさんの罪を裁かなかったということは、神のお墨付きを得たということです。ウトバさんも、妖霊だからというだけで全員が悪だというわけではないと認めてくれました」


 渋々といった様子でしたけれど、と苦い笑みを浮かべ、アマルは続ける。


「でも、集落で一緒に暮らすのは、まだ無理みたいでした。ハルシブさんとナジュワさんは二人で砂漠に出て、どこかに定住地を探すんですって」


 過酷な環境下、父と子だけで放浪の旅に出る。それは決して容易な道筋ではないだろう。だが、大切な存在と引き離されることなく、共に歩む未来はきっと、彼らにとっての幸福で満たされているはずだ。そう願って止まない。


「君は、ナジュワが指輪に裁かれることはないと確信してたんだな」


 だからあの時、わざとナジュワに指輪を突き付けた。ナジュワが悪ではないと、ウトバに示すために。


 つまりあの時、突然円陣から飛び出したマシュアルは、いらないことをした挙句、失神したという、目も当てられない結末を迎えたのだ。


 マシュアルは羞恥に全身を茹でられたようになり呻く。それから、別のことを考えて平静を取り戻そうと努め……ふと疑問が浮かんだ。


「指輪にとって、悪とは何なんだ」

「私にもわかりません」


 いつかと同じようなやり取りが交わされる。だが、今回の事件を経てマシュアルは、罪ある者を焼くという指輪に対し、疑問が湧き上がるのを感じた。


「最初、ウトバ殿にとってナジュワは悪だった。だが、ハルシブ殿にとっては悪ではなく、慈しむべき我が子だった。誰かにとっての悪が、他の者にとっても同様とは限らない。ではその指輪はいったい、誰の判断基準で……」


 その時だ。戸口の外で、けたたましい犬の鳴き声が響いた。


 野犬か、と思ったが、どうやらスライマーンらしい。犬扱いすると不機嫌になるくせに、なぜ吠える。


 呆れるマシュアルと視線を交わしたアマルは、首を傾けながら戸を開いた。


「どうしたのスライマーン」

「やや、これは驚いた。あのマシュアル様が、本当に女性と一緒とは!」


 どこかで聞き覚えのある青年の声に、マシュアルは少し眉を上げる。声の主の正体を思い出す前に、客人は無遠慮に室内に踏み入った。


「あ、ちょっと」

「マシュアル様、ご無沙汰しております」


 開け放たれた扉から差し込む陽光を背に、亜麻色の巻き毛をした男が立っていた。


「陛下からの勅命です。すぐに円城都市えんじょうとしにお戻りを」

「アリ、どうしてここに。それにまだ、災禍の星とやらの調査が」

「あなたから陛下に宛てられた報告書の内容には僕も目を通しました。まだ任務の途中とは知ってますけど、緊急のことなんです。どうか、優秀で口の固い信頼のおける退魔師と共に、至急宮殿へ参られよとのことです。報告書によれば、近くにいるんですよね、退魔師が」


 マシュアルは眉根を寄せて、思わずアマルの顔を見た。自称仲裁人である若い退魔師は、目を白黒させながらマシュアルの視線を受け止めた。


第二話 終

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