14 つくづく無様を
「……それで、私が呼ばれたということですね」
アマルの言葉に、ウトバは頷く。
「ああ。妖霊を封じる術を会得していると耳にして、アマル殿を訪ねたんだ」
「封じるというか、私は仲裁人ですよ」
アマルは右手の親指で、隣の指にはめられた指輪を撫でた。
「でも、お話はわかりました。ねえ、ナジュワさん。どんな事情があっても、人に憑くのはいけないわ。強すぎる妖力にさらされ続ければ、人間は次第に衰弱してしまうの。お父さんが病気になったら悲しいでしょう?」
ナジュワは息を呑み、険しい顔で横たわる父へと視線を落とした。それから、震える声で言う。
「そんな。あたしはただ、パパに言われて」
「何を言われたの?」
「パパを妖霊憑きにすれば良いって」
「詳しく聞かせて?」
「……あのね、退魔師のおじさんが集落から消えて嫌な気配がなくなった後、あたしはパパのところへ帰ったの。パパは喜んでくれたけど、ママじゃない誰かと結婚させられそうになっていた。そうなればもう、あたしとは一緒に暮らせないんだって。そんなの嫌だよって言ったら、パパも同じ気持ちさって言ってくれて。パパはね、妖霊憑きになれば結婚はなかったことになるだろうって言ったの。だからあたしはパパに」
「そんな戯言、信じるもんか!」
ナジュワの言葉を断ち切るように、ウトバが割り込んだ。
「卑しい妖霊め。もっともらしい言い訳を並べても無駄だ。おまえは俺たちを憎んでいるんだろう。だから、ハルシブに取り憑いて衰弱死させようとした」
「違う!」
「違うもんか。弟は、妖霊女に誑かされ、人生を狂わされたんだ。これ以上、てめえらの好き勝手はさせない」
「違う違う違う! あたしはっ!」
ナジュワの肩から、紫色の火花が散った。妖霊の魂から生まれる妖力の発露だ。
ナジュワは、激情に喉元を圧迫されたように言葉を詰まらせる。深い紫色の瞳が潤んで涙が零れ落ちた。
半妖とはいえ、まだ幼い女児が涙を流す様子に気勢を削がれたらしく、ウトバは歯を食いしばり罵倒を吞み込んだ。
しばし、沈黙が場を支配する。見かねたマシュアルが言葉を発しようとした時。別の声が立ち上がる。
「本当ですよ、兄さん」
掠れた声だった。アマルの膝元で、ハルシブが呻いて肘を突き、上体を起こす。ウトバは円陣から出て、弟を助け起こした。
「あ、出ちゃだめ……いや、もう大丈夫かな」
アマルは頬を掻いて呟いてから、ウトバに場を明け渡した。
「ハルシブ、無事だったか」
「もちろん無事です。だって、取り憑くようにナジュワに頼んだのは僕自身なのですから」
「おまえ、娘を守ろうとしてそんな見え透いた嘘を」
「嘘ではありません。兄さん、どうか、自分の価値観を押し付けないでください」
落ち窪んだ眼窩で、ハルシブの黒い瞳が爛々と光っている。
「彼らは悪ではありません。神は妖霊と人間を同等のものとして創造し、同じ言語を授けました。彼らも、人間と同じように暮らし、他者を愛します。もちろん、傷付きだってします」
「妖霊が俺たちの両親に対して働いた悪事を、忘れたわけじゃねえだろ」
「ええ。二人を食った食人鬼は憎い。できることなら今すぐに捻り潰してやりたい。ですが、ナジュワや僕の愛したひとが、いったいどんな悪事を働きましたか? 妖霊だからという理由だけで、全員が人と相容れないだなんて、あり得ない。人間にも悪人と善人がいます。妖霊だって同じです」
「ハルシブ、だがな」
「じゃあ試してみませんか」
所在なげに見守っていたアマルが、不意に口を挟んだ。彼女は右手を持ち上げて、鈍い色に光る指輪をナジュワの額に突き付けた。
突然のことに誰もが啞然とする中で、マシュアルだけがその行為の意味を理解していた。思わず円陣から飛び出して、アマルに駆け寄る。
「おい、アマル。それは……」
悪を焼く神の指輪。
前後の流れを冷静に反芻すれば、アマルが何を意図したのか察することができたはず。だが、この時は混乱していた上に、アマルにナジュワを祓わせてはならないと思い必死だった。
マシュアルはナジュワの正面に身体を滑り込ませて鋭く言う。
「アマル、だめだ」
凛とした声が響き、アマルが目を丸くする。しかし。
「ひぃっ⁉」
悲しいかな、ナジュワを庇い壁となった背を「いやあああああ!」という引きつった叫びが打った。直後、強烈な火花を帯びた空気の塊が後頭部を襲う。
「ぐっ⁉」
頭がぐわんと揺れ、雷に打たれたかのような衝撃が全身に走る。打ち付けられたのは妖力だ。
肩越しに振り返れば、ウトバやハルシブは本能的に妖力の迸りを察したようで、身を屈めて己を守っていた。
一方のマシュアルは案の定、何の前触れも察することができなかった。視線を前方に戻せば、アマルが大慌てで何かを叫んでいる。
ああ、またもや不覚。糸が切れるように、意識がぷつんと途切れた。
つくづく、妖霊が絡むと無様をさらしてしまうマシュアルであった。




