12 あたしはただ……
単身者が暮らすにしては広すぎるとアマルが指摘したハルシブの天幕は、改めて見ればなるほど。確かに異様に大きい。集落内に点々と散らばる黒い天幕は大小様々だが、ハルシブの家のように内側に仕切り幕があるのは、複数人の家族で暮らす者らの天幕だけだった。
初めてハルシブの元を訪れた時、アマルは天幕の外観をじっと眺めていた。恐らく あの時から違和感を覚えていたのだろう。
特命とはいえ妖霊調査官であるマシュアルだが、不審点には全く気づけなかったので、何やら気まずい思いもある。このようなことでは、災禍の星など見つけられまい。
つくづく己の不注意が恨めしいのだが、何はともあれ、今はそれどころではない。
例の天幕内、奥の部屋の中央に、険しい顔をしたハルシブが横たわっている。一度は逃げ去った妖霊だが、アマルの読み通り数日で舞い戻り、再びハルシブに取り憑いたのだ。
妖霊が現れるまでの間、彼女を警戒させないように集落から離れていたマシュアルたちだが、ハルシブが再び魘され始めたと報せを受けて、集落へ戻ってきたところである。
「近くにいて本当に大丈夫ですか?」
柘榴の枝を抱えたアマルが気遣わしげな目で訊いたので、埃っぽい砂上にウトバと並んで立つマシュアルは力強く頷いた。
「もちろん問題ない。君が描いてくれた円陣もあることだし」
「今回は絶対に飛び出しちゃだめですよ。ウトバさんも、私が合図するまで防魔の円陣から出ないでくださいね。それ、描くの大変なんですから」
努力を無駄にしないでくださいね、とわざとらしく頬を膨らませてから、アマルは天幕の奥へと向かいハルシブの隣に膝を突いた。
「では、始めます」
先日と同様に、アマルは柘榴の枝をハルシブの胸から腹へと沿わせる。上下する胴部を新鮮な若草色の葉が撫でるようにして叩くと、男の喉から引き絞るような呻きが漏れた。
マシュアルと共に円陣内に立つウトバが、思わずといった様子で足を一歩踏み出そうとする。マシュアルはそれを、肩を掴んで引き留めた。白い陽光に照らされ影が落ちたウトバの半顔が、精気を欠いて青黒く見えた。
やがて、ハルシブの全身から灰色の煙のような靄が滲み出る。眉根を険しく寄せたアマルの額から、汗が一筋流れ落ちた。その瞬間。
顎先から零れた水滴の煌めきに触発されたかのように煙が収斂し、微かな圧力が波動となって押し寄せる。
マシュアルは胸部に圧迫感を覚え、胸を押さえた。妖霊に鈍感なマシュアルですらそうなのだ。人並みに敏感なウトバは、全身に玉のような汗を浮かべ、自分の腕を抱くようにして摩っている。
「大丈夫か?」
今にも倒れそうな顔色を目にして心配になり、声をかける。ウトバは弟の方へと視線を固定したまま、唸るように言った。
「やはり生きていたのか、ナジュワ」
ナジュワ。
その名が砂漠の熱気に溶けた時、凝縮された煙の中央部に小柄な人影が現れた。やがて煙幕が霧散すると、膝立ちになったアマルと同程度の身長を持つ女児が、眠るようにして佇んでいるのが露わになった。
しん、と張り詰めた静寂はその直後、勢い良く瞼を上げた女児により引き裂かれた。
「何で」
女児ナジュワは、飛び出さんばかりに見開いた眼に烈火のごとく憎悪を滲ませる。その瞳は、深く暗い紫。
「何であたしたちの邪魔をするの!」
半ば瞑想状態に入っていたらしいアマルは、寝起き直後のようなぼんやりとした目でナジュワを見る。呑気な様子が気に障ったのだろう。ナジュワは苛立ちを爆発させた。
「あんた誰なのよ。部外者は引っ込んでてよ! 帰って帰って帰って帰って!」
ナジュワに胸倉を掴まれたアマルはしばらくされるがままになっていたが、やがて何度か瞬きをしてから我に返り、穏やかな声音で言った。
「落ち着いて、ナジュワさん。私はあなたの敵じゃない。どうしてハルシブさんに取り憑いているのかお話を聞きたいだけなの」
「嘘だ! だってこの前のおじさんも、僕は敵じゃないよって言っていたのに、あたしにひどいことしたもん」
「この前の……それって退魔師?」
「そうよ。人間なんてみんな嘘つき!」
おそらく、ナジュワの持ち物であった人形に鉄剣を刺して井戸に放り込んだ者のことだろう。アマルは瞳に微かな憐憫を覗かせて、首を振った。
「辛い思いをしたんだね。でも私は、その人とは違うわ」
「信じられるわけがない。人間はみんな、妖霊を嫌うから」
「そんなことない。見て」
アマルは、傍らに立っていた黒い犬をぐいっと引き寄せる。
「このひとはスライマーン。私のお父さんなの」
ナジュワの瞳の中で燃え盛っていた激怒の炎がやや勢いを失って、困惑を帯びた。
「あんたも半妖なの?」
「ううん。私は人間だけど、妖霊に育ててもらったの。だから妖霊のことが好きなのよ。ナジュワさんは半妖なんだね。お父さんはハルシブさんで、お母さんが妖霊なの?」
「……うん、そうだよ」
「何があったのか教えてくれる? ちゃんと事情を聞いた上で、ナジュワさんにとってもこの集落の人たちにとっても最善の方法で和解してほしいの」
ナジュワは口を閉ざし、値踏みするような目でアマルとスライマーンを観察した。やがて心を決めたのか、素直に頷いて語り始めた。
「あたしはただ、パパと一緒にいたかっただけなの」




