10 調査をしましょう②
「あれ、二人とも、仲良くなったんですか?」
何か気の利いた言葉を述べようとした口は、飛び込んできた明るい声により閉ざされる。見れば、頬に泥を付着させたアマルが小走りで戻って来るところだった。
「アマル、無事に戻ったか……って、それは?」
「あ、これ」
マシュアルの問いに、アマルは何やら暗色の塊を掴んだ右手を持ち上げた。
「井戸の壁に引っかけてあったんです」
アマルの肘から手首ほどの長さの楕円形の物体だ。毛織物で作られているらしいそれの片方の端には、疎らに毛糸が植え付けられている。そして悍ましいことに、楕円の真ん中よりやや毛糸側に、鈍色の金属が深々と刺さっていた。
一歩近付きじっくりと観察しようとていたマシュアルは、あまりの禍々しさに、思わず上体を仰け反らせるようにして身を引いた。
「うわっ、何だこれは。呪具か?」
その塊は、壊れかけた人形であり、刺さっているのは鉄のナイフであったのだ。
悪趣味なことこの上ない塊を手に、アマルは気味悪がるでもなく、哀れむような目をしている。
「可哀想ですよね。こんなにボロボロになって」
「いったい何なんだそれは。しかも、井戸にあるなんて」
「妖霊騒ぎのある集落ですから、多分妖霊除けのために鉄を井戸に投げ入れたんだと思います」
「妖霊が潜みやすい水場に彼らの苦手な鉄を置こうとしたのか。理屈はわかるが、それなら単にナイフを内壁に刺すだけでいいだろう。どうして、わざわざこんな悪趣味な」
アマルは毛の塊をじっと見つめて思案げにした後、慈しむように人形の頭を撫でて顔を上げた。
「誰かに訊いてみましょう。気になることがあります」
言うなり歩き始めたアマルは、近くの天幕に歩み寄ると、垂れ幕の隙間に向けて呼びかけた。
「あの、すみません。ちょっと伺いたいことがあるんですが」
突然の声に驚いたのだろう、室内で何かが引っ繰り返るような物音がした。そのまましんと静まり返ったのだが、アマルがもう一度声をかけると、反応すべきか逡巡するような間が空いた後、警戒した様子の女が顔を覗かせた。
「何か?」
「あ、お忙しいところすみません。この人形に見覚えはありませんか?」
「ひいっ!」
鼻先に、呪いの人形にしか見えない塊を突き付けられて、女はぴたりと垂れ幕を閉じてしまう。だが、アマルは図太い。
「びっくりさせてごめんなさい。でも、ハルシブさんの事件を解決するために必要なんです」
「し、知らないわ。そんな人形」
「この一瞬で良く人形だとわかりましたね」
「たまたまよ」
「本当ですか? 困りましたね。せっかく手がかりを見つけたのに、また振り出しに戻っちゃいます。こうなったらこの集落に長期間滞在しないといけないかも」
アマルの声はあくまで無邪気だが、どうにも抗えない圧がある。
さらに、妖霊のような気配を漂わせていると噂のアマルが長期滞在を仄めかしたことも効いたのか、再び垂れ幕に隙間ができて、陽光の下に女が姿を現した。
三十手前だろうか、マシュアルよりもやや年上と見える神経質そうな印象の女だ。心底迷惑そうにしているのだが、笑えばもう少し若い印象を抱くかもしれない。
「……何が知りたいの。忙しいから、手短にして」
「わあ、ありがとうございます。この人形、誰の持ち物だったかご存じですか」
「知らないわ。だってうちの部族では女の子はみんな、それと似た人形を作ってもらうもの」
「子どもの玩具なんですね」
「そうよ」
「刃物を突き刺すのは風習ですか?」
女は眉をひそめる。
「はぁ? そんなわけないでしょう」
「ですよね。もしかしてこれ、ハルシブさんの娘さんの物では?」
掴みどころのない発言の後に核心を突かれた女が息を呑む。
一歩引いて見守るマシュアルは瞠目した。ハルシブは婚儀の前に妖霊に憑かれて狂ったという。娘など存在するはずがない。
だが、アマルは平然と続ける。
「ハルシブさんには、親兄弟の他にも家族がいるんですよね?」
「ど、どうして?」
「あの天幕、単身用にしては大き過ぎます」
「そりゃ……婚儀を控えていたから」
「でも、妙ですよ」
アマルの瞳は揺らぎない。
「遊牧民ですから、天幕は結構頻繁に移動させますよね。それなら、お嫁さんを迎える直前に大きい物に建て替えれば良いはずですし、そもそもあの天幕は新婚さんが使うにしては古そうです。それと、横幕の低いところに、何かに噛まれたような綻びがありました。羊の仕業かとも思いましたが、ハルシブさんの天幕からはずっしり重たい妖力が溢れていますから、そもそも羊も近づかないのでは」
「つまり?」
「目の前の物を何でも噛んでしまう存在が、同居していたんじゃないですか? 例えば、幼い子どもとか」
女の頬から血の気が引いた。アマルは静かに続きを待って、女の背中を押す。
「真実を教えてください。話してくれたのがあなただということは秘密にします。神に言葉を捧げて」
しばし見つめ合った後、女の紫がかった唇が細く開いた。
「実は、ハルシブには、どこかの街にいる妾との間に生まれた娘がいたの」
「何だと? ……いや失礼、続けてくれ」
マシュアルは咳払いをして深呼吸をし、動揺を鎮めようと試みながら耳を傾ける。
「その子、急に体調を崩して、呆気なく亡くなったらしくて。死因は不明らしいけど、万が一流行病だとうつるでしょう? 集落の皆に広まるといけないからと言って、ハルシブとウトバだけで弔ったの。それから月が三度満ち欠けした頃になって、今回の婚儀の話が上がったのよ」
「その子どものことは、あまりご存じない様子ですね」
「ええ。この集落で生まれたわけではないし、母親から引き取ってすぐに病になってしまって、姿はほとんど見ていないの。最初は母親が街で育てていたらしいから、慣れない砂漠暮らしが身体に合わなかったんじゃないかしら。生まれが生まれだから皆から遠巻きにされていたし、優しくしてあげる間もなかったわ。きっと私たちを憎んでいるわね」
「その子の母親はどんな人です?」
「会ったことがないし、ハルシブも深く語らないから知らないの」
アマルは「そうですか」と呟き、顎に手を当てて思案した。
「そういえば、ハルシブさんの娘さんのこと、どうして言いづらそうにしたんです? 口止めされているんですか?」
「そういうわけではないわ。でも……恥ずかしいけど、少し怖くて。ほら、噂をすればやって来るかもしれないでしょう?」
「亡くなった子が?」
女は小さな頷きを繰り返した。話を聞く限り、集落の人々はハルシブの娘に対し冷淡に接していたのだろう。罪悪感を抱いているからこそ、死者の訪れを恐れるのだ。
アマルはしばらく虚空を眺めて何事かを考えてから一転。人好きのする笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「とても参考になりました。ありがとうございます」
自然と微笑みを返したくなるような顔だったが、女は尋問から解放された安堵に肩を脱力させ、そそくさと天幕の中に戻って行く。
つれない反応には慣れているのだろうか、アマルは平然としている。人間から徹底的に距離を置かれる様子が不憫になり、マシュアルは努めて明るい声を出した。
「それにしても君の観察眼には驚いた。まさかハルシブ殿に子があったとは」
アマルは弾かれたように振り返り、ぱっと朱が差した頬に手を当てた。
「えへへ、それほどでも。とにかく、何となく話が見えてきましたね」
マシュアルが目顔で促すと、アマルは緩んでいた表情を引き締めて、衝撃的な言葉を発した。
「多分、ハルシブさんに憑いていたひとは、この人形の持ち主だった女の子の母親です。つまりハルシブさんは、妖霊との間に子どもをもうけていたんですよ」




