8 この台詞、一度言ってみたかったんです
アマルが目覚めたのは、翌朝のことだった。
燃えるような太陽が砂漠を赤く染め上げて、家畜らが目覚めの時間を迎える。その騒めきに促されるようにして、彼女は夢の世界から帰ってきた。
「マシュアルさん」
寝具の上に長座になったアマルはマシュアルの姿を認めると、パン生地がふにゃりと歪むような、何とも言い難い笑みを見せた。
「お怪我はありませんか」
「ない。それよりも君の身体は問題ないなのか。その」
どのように表現するべきか逡巡し、言い淀む。二人の間に生まれた気まずい間を埋めるようにして、アマルが勢い良く言った。
「ごめんなさい! 気味が悪かったですよね」
「は?」
アマルは腿の上で掛け布を握る。布地にぎゅっと皺が寄り、言葉が落とされた。
「あ、もしかして失望した方ですか? 急に取り憑かれちゃって、仲裁どころじゃなかったですし、それともやっぱり」
「いや、そんなことはない」
マシュアルは断言して、痛々しい声を遮った。
「元気なら別に良いんだ。それよりも、いつもあんな危険なことを?」
アマルは意外そうに少し眉を上げた。
「あ、いえ。倒れてしまったのはたまたまです。何でだろう、妖霊と私の親和性が高かったのかも」
「親和性?」
「あのひとが執着しているものと私に何か関連があるのかもしれません。心当たりはないですが。とにかく、早くあのひとを探さないと」
両手を寝床に突いて身体を持ち上げるアマル。その動作にぎこちないところはなく、自己申告通り、すでに心身は回復しているのだろう。
寝癖でやや跳ねた横髪を撫でつけながら活動を開始するアマルに、マシュアルは首を傾けた。
「探す? 妖霊はハルシブ殿から出て行っただろう。どうしてわざわざ探すんだ」
「多分あのひとはまた戻って来ます。マシュアルさんとスライマーンにびっくりして思わず飛んで行っただけですから、私たちがお家に帰ったらまた取り憑くと思います」
「じゃあどうすれば」
「説得するんです。そのためには、あのひとを捕まえないと」
なるほど、確かに一理あるのだが。
天幕を出て両手を蒼天へ向け伸びをするアマルの人差し指で、陽光を反射して鉄色の光が閃いた。先日、妙な壺に閉じ込められた後、マシュアルの眼前で白光を放ち妖霊を焼いた指輪だ。
「回りくどいことなどしなくても指輪で祓ったら良いんじゃないか?」
「だめです」
背を向けたまま、答えが返ってくる。ひとしきり全身を伸ばした後、肩越しに振り返った彼女の瞳は、芯の強い色を宿していた。
「だめなんです。生まれつきの悪なんて存在しません。あのひとにはきっと、何か事情があるはずです」
「だが」
マシュアルは思わず言う。
「ハルシブ殿に取り憑いて苦しめていただろう」
「マシュアルさん、私は仲裁人です。判事でも刑の執行官でもないんです」
いつの間にか、アマルは身体ごとマシュアルの方へと向き直っていた。唇を引き結び、強い眼光からは信念を感じさせる。
ウトバの言葉通りだとすれば、アマルはただそこにいるだけで人間から恐れられ、同族の代わりに妖霊を友として育ったのだろう。それならば、妖霊の肩を持ち、安易な断罪を善としないというのも理解ができる。
芯のある娘だ。強風に揺られても砂に打たれても、決して折れることのない信念を抱いている。彼女の振る舞いの表層はふわふわとして掴みどころがないのだが、深く知れば知るほど、その意外な頑固さにはいつも驚かされるのだ。
マシュアルは、アマルの強固な意志に眩しさを感じ目を細めてから頷いた。
「わかった。一緒にあの妖霊を探そう」
アマルの目が、次第に見開かれる。やがて青紫色の瞳に塩水の膜が張り、喜色で全顔が染め上げられた。
「ありがとうございます! やっぱり、持つべきは友ですね。……うへへ、この台詞、一度言ってみたかったんですよ」
「そ、そうか」
もはや、調子を狂わされることが当然となりつつあるマシュアルだった。




