3 やはり憑かれているのか
アマルの家にやってきたウトバという男は、やや内陸の砂漠で草地と水場を求めて遊牧する部族の長だった。
駱駝に跨り、羊と山羊の群れを連れて砂漠を転々とする彼らの住まいは、家畜の毛を固めた天幕だ。
ウトバに案内され、薄っすらと砂埃が立ち込める灼熱の中を進み、橙色の砂丘をいくつも越えると、谷間に沿って黒い天幕がぽつぽつと並ぶ様子が目に入る。
マシュアルは妖霊調査官。派遣される前に、この地方のことは座学で学んできた。精通とはいえずとも、領内の風俗への理解があるため、都では見慣れない景色に特段驚くことはない。駱駝を降りて天幕の間を歩くアマルの反応を窺うが、彼女もマシュアル同様に慣れた様子だった。
「遊牧民の集落にはよく訪れるのか?」
「頻繁にというわけではないですが、家の周りには人間が住んでいないので、生活に必要な物はだいたい遊牧の人たちから買っているんです」
「そういえば、君はどうやって生計を立てているんだ」
「乾燥ナツメヤシを作ったり、スライマーンが河で獲ってくれたお魚を加工したりして売っています。あとは、時々こうして仲裁の依頼を受けて謝礼をもらっていますね。どうしてもご飯がなくて困っているときには、見かねてお友達が分けてくれることもありますよ」
優しいですよね、と深刻さの欠片もない顔で笑ったアマル。その「お友達」というのは十中八九妖霊のことなのだろうなと思い、マシュアルは苦い顔をした。
「話中に悪いな。二人に診てもらいたい弟がいる天幕はあそこだ」
ウトバが足を止め、他の天幕からやや離れた場所に佇む黒い塊を指差した。様子を見に集まった集落の住人らも、件の天幕には近寄らず、険しい顔をして遠巻きに眺めている。
「大丈夫かしら」「あんなに若くてねぇ」「またおかしなことになるのでは」
潜めた声で囁き合う言葉の断片が耳に届く。怯えを孕んだ彼らの視線は、天幕と、なぜかマシュアルたちにも向けられているようにも思え、じわりとした不快が腹の底でうごめいた。呼び出したのはあちらだろうに。
しかしアマルは気にした様子もなく、妖霊に憑かれた男がいるという天幕を凝視している。
「アマル、どうした?」
微かに眉根を寄せて動かないアマルを怪訝に思い声をかければ、彼女は詰めていた息の塊を吐き出して首を振る。
「いえ、何でもありません。さあ、行きましょう!」
柘榴の枝が飛び出した荷袋を担ぎ直し、アマルは勇んで歩き始めた。
天幕の出入り口にあたる垂れ幕はほとんど隙間なく下ろされていて、持ち上げた途端、むっとする重苦しい空気が溢れ出した。
毛織物の天井はさほど高くなく、マシュアルでは頭頂が擦れそうになる。中央部に、長方形の室内を二つに区切る仕切り幕が垂れており、一部屋の広さは人が三人横になれば満員という程度だろうか。移動の多い遊牧民らしく調度品の類は必要最低限で、簡素な印象の部屋だ。
仕切りの奥、床にあたる砂地に敷かれた絨毯の上で、寝床に横たわる若い男がいた。一見、ただ眠っているだけのように見えるのだが、近づけばその異様さは明白だ。
閉じた瞼の下で眼球が忙しなく動いている。よく聞けば、頻繁に譫言を漏らしていて、時折四肢が小刻みに揺れる。横になりつつも、夢の世界で覚醒し活動をしている。そんな印象だった。
「……失礼します」
マシュアルの横をすり抜けて、アマルが男の枕元に膝を突く。
脈や呼吸を確認し、瞼を引っ張ったり口内を覗き込んだりと、まるで医者のような動作をした後、唇を引き結んだまま一言も発さずに立ち上がる。
いつになく気難しい顔をするアマルに、マシュアルは思わず声をかけた。
「どうだった。やはり憑かれているのか?」
「はい、おそらく」
アマルの声に、ウトバが息を呑み、憎々しげに呻いた。
「祓ってくれ、すぐに」
「その前に、まずはあちらでお話を聞かせてください。どうしてこうなってしまったのかを」
「そんなもん時間の無駄だ!」
怒鳴るように叫んだウトバの顔を、マシュアルは意外な思いで見た。彼を良く知るわけではないが、これまで会話をした印象からは、理不尽でも横柄でもない男だと思っていた。少なくとも、突然威圧的な怒声を発するような人物には見えなかった。
強く噛み締められたウトバの唇は青紫色になり、腿の横で握られた拳が小刻みに痙攣している。
突然の声に打たれたアマルが目を丸くしているのを見かね、マシュアルはウトバを窘めた。
「わざわざ遠くから招かれて来た客人に、その態度は無礼では?」
指摘されて我に返ったのか、ウトバは肩を震わせてから拳を解き、息を吐いて軽く頭を下げる。
「あ、ああ、悪かった。実は俺たちの両親は、食人鬼に食われたんだ。その上、ハルシブ……末弟までもが妖霊に苦しめられているのを見たらつい、な。だが、必要なならばアマル殿の要望通りにしよう。向こうで駱駝の乳でも飲みながら話そうか」
「わあ、駱駝ミルク! 搾りたてのやつ、美味しいんですよね。ありがとうございます」
先ほどの神妙さはどこへやら。アマルは手を叩き無邪気すぎるほど大らかな笑みを浮かべる。
その足元では、犬らしく口を閉ざしたままのスライマーンが、ウトバをじっと見上げていた。




