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妖霊調査官の受難記 ~砂漠に昇る災禍の星~  作者: 平本りこ
第二話 妖霊調査官と妖霊憑きの遊牧民

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2 次なる事件の始まりは②

「神の御許で罪を償わせるというからには、神に背く行為が悪の表れということではないのか」

「たとえば、盗人とか嘘つきとか?」


 マシュアルは顎を撫でて考え込む。


 世界が創造された時、神は人間と妖霊を同等の存在とみなし、両者に同じ言葉を授けた。複雑な意思疎通を可能にする言語は、神からの賜り物。だからこそ皆、言葉を大切にして暮らしている。


 神から賜ったものを蔑ろにすることは許されない。それゆえ、嘘をついたり他者を罵倒したりすることは、神に背く行為と言われ、避けるべきとされている。


「言葉を軽んじる者は、偉大なる神にとっての悪だからな。一理ある」

「でも、嘘つき相手でも指輪から裁きの光が出ないこともあるんです。やっぱり仕組みはあまりわかりません」


 マシュアルとて嘘をつくことはあるし、好ましくない相手を悪し様に言う日もある。日々の些細な発言ですら断罪されるのであれば、この砂漠からは人間も妖霊もとっくに姿を消しているだろう。


「指輪は罪を犯した者を認識すると、裁きを下します。悪の基準はわかりませんけど、全部指輪が判断してくれるんです」


 それきり、答えは出ずに話は終了してしまった。


 ともかく理解したのは、あの指輪は魔を断罪するためのものらしいということだ。あまりに常識離れした話なので、聖王へ向けた報告書にどのように記すか、悩ましい。そもそもこのような胡散臭い話、誰が信じるというのか。


 いっそのこと、アマルのことはただ妖霊に詳しい世捨て人とでも報告するべきか。いやしかし、幼馴染でもあり敬愛する聖王に隠し事をするなど、正義に反する。


 だがそもそもマシュアルは、妖霊調査官の証書を危うく海の藻屑にしかけたという報告すらしていないのだ。今さら少しくらい秘密を抱えても、大差ないのでは。嘘をついているわけではないのだし……いやいや、後から指輪のことが知れれば面倒なことになりかねない。


 マシュアルは呻きながら額を抱え、休憩でもしようと考えて乾燥ナツメヤシを齧った。


 口内にじんわりとした甘味が広がり、強張っていた身体が少しずつ和らぐ心地がしたが、それも束の間のこと。目の前にある書きかけの報告書の遅々とした進捗に焦燥を募らせて、苛立ち紛れにナツメヤシの種をぽいと放り投げた。


 それと同時に背後で扉が開き、朝日の下に現れた寝起きのアマルが「あ」と声を漏らす。


 なんと間が悪い。食べかすを投げるだなんて行儀の悪いところを目撃されるのは、気まずいことこの上ない。マシュアルは取り繕うように咳払いをした。


「おはよう。昨日はよく眠れ」

「だめですよっ!」


 突然発せられた大声量。目を丸くしたマシュアルの理解が追い付くより前に、アマルは捲し立てるように言った。


「こういうことをしたら危ないんです。お役人さんはただでさえ妖霊に出くわしやすいんですから、気をつけないと」


 種を投げることと、いったい何の関係性があるのだろうか。半ば口から飛び出しかけた疑問はしかし、慌ただしく割り込んだ第三者の低い声に妨げられた。


「失礼、アマル殿というのは君か」


 黄色い太陽を背に、駱駝に乗った壮年の男が現れた。


 アマルは、マシュアルに半ば掴みかかった体勢のまま、壮年の男を見上げる。何度か瞬きを繰り返した後、こくりと頷いた。


「あ、はい、そうです」


 男はアマルを認めると微かに目を細めて、やや身体を引いた。旅装のため、目元以外を砂除けの布で覆い隠しているので、表情は判然としない。


 アマルは彼の態度から何かを感じ取ったらしく、一瞬だけ儚げな笑みを浮かべたが、それは瞬時に消え去って、いつもの天真爛漫な顔になる。


 マシュアルは拳で目をこすった。もしかするとアマルが覗かせた束の間の機微は幻覚だったのかもしれない。


「どうかなさったんですか。私を訪ねて来られたということは、妖霊絡みの事件ですよね」

「ああ、話が早くて助かるぜ。俺はウトバ。遊牧民だ。実は、弟が妖霊に憑かれたようでな。君は腕の良い退魔師だと聞いた。どうか助けてくれねえか」

「もちろんです、ウトバさん。でも私は退魔師ではないですよ。ただの仲裁人です」

「それは悪かった。では仲裁人アマル殿、仕事を頼めるか。もちろん報酬は弾む。このくらいでどうだ」


 ウトバが開いた革袋の中身を覗き込み、アマルは目を輝かせてから跳ねた。


「はい、ぜひお引き受けします! お役人さんも一緒に行きますよね。なんとかの星の調査に進展があるかも」

「お役人?」

「あ、いや」


 マシュアルは、怪訝そうなウトバに曖昧な笑みを送り誤魔化してから、準備のために室内に戻ったアマルを追った。


「おい、俺の名はマシュアルだ。この前の事件の後、ちゃんと名乗っただろう」


 背中で声を受け止めたアマルは、塩を取り出そうとして壺に両手を突っ込んだまま硬直する。やがてぎこちない動作で肩越しに振り返った。驚きに染まった瞳が次第に潤み始める。


「名前、呼んで良いんですか?」

「はあ?」


 アマルは何かを噛み締めるように目を閉じた。たっぷり数呼吸の間が空いた後、再び現れた青紫色の瞳は、歓喜で輝いていた。


「私、夢だったんです。人間のお友達を名前で呼ぶのが!」

「は、はあ……」

「じゃあ、マ、ママ、マシュアル、さん。気合を入れて仲裁に行きましょう!」


 塩まみれの両手に右手をがっしりと掴まれる。


 マシュアルの容貌や身分は、これまで意図せず数多の女性を惹きつけてきたが、力強く触れたアマルの指には色気がない。まるで、親兄弟の命の恩人を前にしたかのように慕わしげな目で見つめられ、どうも調子が狂うマシュアルだった。

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