1 次なる事件の始まりは①
全てを焼き尽そうとするかのような黄色い陽光が無慈悲に降り注いでいる。
鼻が痛むほどの熱気が立ち込める日中は微風ですら肌を焦がすのだが、朝夕は比較的過ごしやすく、屋上や軒先に張った日除けの下で、風を浴びながら休息するのに適している。
残念ながら、アマルのあばら家は崩壊の危険があるため屋上に登れないので、マシュアルはもっぱら、軒先に絨毯を敷いて過ごしていた。
早朝とはいえ、季節は夏。日差しはすでに強い。しかしこの時間帯を逃せばさらに気温が上がり、仕事に身が入らなくなる。マシュアルは聖王へ向けた報告書に筆を走らせた。
――聖暦五百五十八年、巨蟹の月某日。悪しき妖霊の壺に囚われ水中に沈められる。壺は善き妖霊により水から引き揚げられて、人間と妖霊の仲裁人と名乗る女人により魔は裁かれ去った。ゆえに、未だ災禍の星が北東に上がっているのならば、この地には他にも悪しき存在が住まうのだろうと思われる。
いや、裁く、と表現するのは適切なのだろうか。マシュアルは筆を止め、顎に手を当てて回想した。
アマルの家に連れ込まれた壺の妖霊の末路は、悲惨だった。約束通り、マシュアルが壺に囚われていた時間分、壺を貸すことになった妖霊だが、アマルはなんとその壺を塩の貯蔵に利用したのだ。
妖霊が塩や柘榴、鉄などを嫌うのは周知のことだ。壺の妖霊は泣き叫びながら数時間過ごした後、「アマルなんて嫌いだ!」と捨て台詞を吐き、壺を抱えて飛び去った。
呆気に取られたマシュアルに気づいたアマルは頬を掻きながら、ふにゃりと笑った。
「やり過ちゃいました。でも、これくらいしないと、あのひとはまた度を越えた悪戯をしちゃうかもしれません。何より、しっかりとお仕置きしないと、お役人さんの気が治まらないかなと思って」
目には目を歯には歯をですよ、と快活に笑うアマルを見て、マシュアルは空恐ろしさを覚えた。
塩貯蔵壺事件がなかったとしても、マシュアルはイシュラ河のほとりで、もう一つ恐ろしい物を目にしている。アマルの指輪から奇怪な光が発せられ、もう少しで妖霊の胸を焼くところだったのだ。
あれは何事かと詰め寄るマシュアルに、アマルは最初、黙秘を貫こうとした。しかし、見られてしまったものは仕方がないと思い直したらしい。彼女は生真面目な顔で、人差し指に嵌めた鉄の指輪を用いることで、悪しき者を神の御許に送り改心を促すのだとか何とかと、突飛なことを語り始めたのだ。
「この指輪、子どもの頃に旅人さんからもらったんです。でもまあ、本当に誰かを神の御許に送ったことはないんですけど。多分、この地方には悪しき者なんていないんですよ。皆、きちんと話せば心を入れ替えてくれますもん」
「はあ」
「私、できるだけ乱暴なことはしたくないんで、まずは改心を促して説得するようにしているんです。指輪を使って脅したのだって、あのひとが久しぶりです」
何でもないことのように言うアマルに、マシュアルは疑いの表情を隠せなかった。アマルは少し頬を膨らませ、指輪の神秘は偽りではないと主張する。
「本当ですよ。私がこんな装身具を買えるほど裕福だと思いますか」
「いいや」
間髪を入れず声が出た。今にも崩れそうな家を思えば、確かに考えづらいことだ。しかし、悪を裁く指輪などという曰く付きの品、流浪の旅人が見ず知らずの子どもに与える物だとも思えない。
「その旅人はどうして君にこれを譲ったのだろうか」
アマルは少し考えた後、あっけらかんと言った。
「多分、妖霊と二人ぼっちで暮らしている子どもを哀れに思ったんじゃないでしょうか。この指輪があれば、悪意あるひとに遭遇しても安全ですし。おかげさまで、気づけば妖霊と人間の仲を仲裁するようになって、少しだけ稼ぎも得られるようになりました」
本当に心配するのならば、幼少期のアマルを保護して孤児院にでも連れていくべきだったのではなかろうか。しかし、どこか掴みどころのないアマルにそれを言ったとしても、首を傾けられて終わりそうだ。マシュアルは代わりに尋ねた。
「手荒なことをしたくないのであれば、そもそもその指輪を仕舞っておけば良いだろう」
「スライマーンがだめだって言うんです。万が一の備えだって」
「そもそも、悪しき者とは何だ。あの壺の奴は絶対悪意の塊だっただろう。あと、洞穴のぎょろ目は違うのか」
「壺のひとはお友達が欲しかっただけの寂しがり屋さんですし、洞穴のお姉さんは論外です。だって、ただ単にお家でゆったり過ごしていたら知らない人間が侵入してきたんですよ。仕返しにちょっと悪戯してやろうと思うくらい可愛らしいじゃないですか」
アマルは勢い良く返し、一呼吸ついてから少し遠い目をして言った。
「でも、指輪が何をもって善悪を判断しているのか、実は私にもわからないんです」




