ナンバルゲニア・シャムラードの日常 98
「変わったのかなあ。それとも元に戻った?」
「?」
それとない吉田の言葉。シャムはしばらく首をひねった。
シャムは遼南の森で暮らしていた以前の記憶が無い。吉田がシャムの脳派検査を見て『記憶が消されてるな』と言ったことを思い出した。今ではその森で何千人と言うレンジャー資格受験志願者にサバイバル訓練を課したから分かるが記憶の無い少女が一人で暮らせるほど森の暮らしは楽ではない。
冬は氷点下40度を軽く下回る大地はその巨大な木々をはぐくむ割には豊かとはいえないものだった。大きな得物を捕る技術が無ければ木の皮に生えるコケを剥がしながら飢えをしのぐのが常道だが、そのような状況になったときはシャムも受験者に棄権を言い渡すべく出動して救助するのが普通だった。
夏もまた過ごしやすいものではない。解けた山地の水から湧く蚊と格闘し、わずかに広がる木々の途切れた荒地に生える低木の木の実を食べることを覚えなければビタミンの補給はできない。そして巨大な森の主であるコンロンオオヒグマのテリトリーでの生活は常に緊張に包まれていて間抜けな闖入者の生存を許すほど甘くは無かった。
「いつもさあ、俊平」
「なんだよ」
考え事をしているようなシャムにめんどくさそうに吉田が返事をする。すでに吉田はゲリラの錬度に合わせて行動予定ラインの設定作業をするために画面を文字列が並ぶプログラム画面に切り替えていた。
「私……何者なのかな」
「なんだよ突然。お前はお前だろ?」
「そうなんだけど……」
吉田はシャムの不安そうな言葉遣いに作業を止めてシャムを向き直った。
「お前は今のお前以外の何かになりたいのか?」
珍しく真剣な調子の言葉だった。シャムは何も言えずに静かに首を横に振った。
吉田はそれを見て笑みを浮かべ、再びプログラム画面に目を向けた。
「ならそれでいいじゃないか。俺も今の俺で十分だ。かつての俺はかつての俺。遼南でお前さんに撃たれて死んだことになってる」
遼南共和軍の傭兵部隊のカスタムメイドアサルト・モジュールのコックピットでシャムのサーべルの一撃を受けて下半身をもぎ取られて生命反応が切れた吉田の姿を思い出すシャム。
だが今は吉田はここにいる。
「俊平はそれ以前の俊平には会いたくないの?」
シャムの言葉に口元に笑みを浮かべながら吉田は無視して作業を続ける。
「会いたくないね。できれば永遠に」
「できれば?」
どうにも引っかかる言い回しを気にしながらシャムは吉田の作業を眺めていた。