ナンバルゲニア・シャムラードの日常 76
「あ!」
アンの声が響いて黄色いコードを踏みちぎりそうになったシャムが前を向いた。そこには先ほどは無かったコードの滝のような情景が広がっている。
「アン君、迂回できる?」
シャムの言葉にしばらくアンは左右を見回している。そして静かに振り向き首を振った。
「さっきの作業の時に動いたのかな……どうしよう」
「とりあえず戻りますか?」
そんな弱気なアンの提案にシャムはしばらく沈黙した。周りを見回す。通路を越えて伸びる黒いコードの列の間に隙間がある。良く見ればシャムやアンくらいなら入れる程度の広さがあった。
「正人はああ言ったけどやっぱりこっちから行くしかないよね」
シャムはそう言ってその隙間を指差す。泣きそうな顔を浮かべたアンを見るとなぜかサディスティックな気持ちになったシャムはそのまま体を隙間へとねじ込んだ。
コードの森から身を乗り出すとハンガーの中の冷気が身にしみる。コードの周りの塗料が染み込んで黒くなった手をこすりながら下を見るとちょうどスロープのようにコードが階下の大型の機械に向けてなだらかに続いているのが分かった。
「アン君。行けるみたい」
シャムはそう言うとそのまま体をコードの間から引き抜いた。作業中の整備班員達はそれぞれの仕事に忙しいようで自分に気づいていないところがシャムには面白く感じられた。そしてそのまま一本の頑丈そうで手ごろなコードを握りながらラベリング降下の要領で静かに降り始める。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって!」
心配そうにコードの間から頭を出しているアンに声をかけるとシャムは再びするすると地面に向けて降り始めた。
『早くしろ!シャム!』
相変わらず吉田が叫んでいるのが聞こえるがシャムは無視してそのままコードを伝って降りていく。頭上のアンも覚悟を決めたというようにシャムを真似て降り始める。シャムとは違いレンジャー部隊での勤務経験の無いアンはいかにもおっかなびっくりずるずると降りてくる。その様がシャムには非常に滑稽に見えて噴出しそうになるのを必死になって堪えた。
ようやく足が大きな唸りを上げる機械の上についた。シャムは静かに着地すると周りを見渡した。
「ナンバルゲニア中尉……」
最初にシャムに気がついたのはその機械に取り付けられた端末に何かを入力していた西だった。
「これって何の機械なの?」
「知らないで乗っかったんですか?」
シャムのあまりに素直な質問振りに呆れながら西は周りを見渡して口元に手を当ててシャムに静かにするように合図した。