ナンバルゲニア・シャムラードの日常 45
「ナンバルゲニア……中尉!」
「うわ!」
粘りつくような男の声に思わずシャムは飛びのいた。そこに立っていたのはシャムの出てきた実働部隊の詰め所の隣に並ぶガラス張りの小部屋、部隊管理部の経理主任である菰田邦弘主計曹長。そのなんとも表現しがたい脂ぎった顔に思わずシャムの顔がゆがむ。
「なに……菰田曹長……」
「いい加減書類のほう、提出してもらわないと困るんですよね。部隊の経営関連の書類を三日も四日も数百円の伝票のために止めるなんて事態はどう見ても異常じゃないですか……」
そう言うとその無表情でありながら目だけ笑っている菰田の視線に思わずシャムは目をそらしたくなる。だがそういうわけにもいかない。文房具の出金伝票の不備を作ったのはシャム自身。菰田はあくまで仕事の責任者としてその書類の処理に困っているのは事実。それを否定することはシャムにもできずただ姿勢を正すとちらちらと管理部の部屋のほうに目をやった。粘着質でさっきまで大声で部下を怒鳴りつけている割には人望のある島田とはことごとく対立する下士官の中のトップ。だがその人望は菰田自身が作ったスレンダーな女性を崇拝するカルト宗教『ヒンヌー教』の教徒の間だけに限られ、明らかにその趣味に嫌悪感を隠さないガラスの向こうの女子職員達は粘りつくような菰田の視線の餌食になっているシャムに同情の視線を送ってきていた。
「お願いしますよ……遊びに行く暇があったら伝票を……」
そこまで言いかけて菰田の目がシャムの顔から上へと走った。すぐにその顔が青く変わり始める。
「またか……」
シャムは思わず反り返って菰田の視線の先を追った。
背広姿の小太りの男が困ったような顔をしてシャムと菰田を見つめている。
「高梨参事……」
高梨渉参事。部隊長嵯峨惟基特務大佐の腹違いの弟であり、東和共和国の高級官僚養成課程出身のバリバリのキャリアとして知られる管理部部長。上司に呆れられたような表情でにらまれればさすがの菰田も目を白黒させて立ち往生するしかなかった。
「伝票の処理くらい経理主任の権限でなんとかなるだろ?それに君には新型の運用経費のシミュレーションを頼んでおいたはずだけどそちらの方は……どうなんだね?」
「ああ……あれは吉田少佐に損害が出た場合の予備部品の供給の調査データを……」
「ならナンバルゲニア中尉とこうして無駄話をするくらいなら吉田少佐と会議でもしていたほうがよっぽど生産的な仕事をしていることになるわけだね」
叱り飛ばすわけでもなくにっこりと笑い勤務服姿の制服組の部下を見あげるキャリア官僚。その言葉に何一つ反論できずにただ制服のネクタイを締めなおすだけの下士官。その対比が面白くて思わず噴出しそうになるシャムだが、再びあの粘りつくような菰田の視線に口を閉ざした。