さいごのヒト
世界は終わった。
終わったのは数百年前だろうか。
気付いた人もいれば、気付かないまま終わった人もいる。
でも終わった。それだけは確かだった。
この世界に今、"人"と呼べるものはひとりだけ。
けれど彼ももう、自分を人とは呼ばない。
たまに「声」みたいなものと話すことはあるけれど、それがどこからなのか考える気もない。
ある日、彼は白紙のノートを見つけた。
何十年かぶりの紙の感触。
何かを書こうと思ったが、何も書かなかった。
ページを一枚ずつめくっていく。
ただそれだけ。
ページとページの間にある空気がやけに柔らかく、その手の動きが世界の輪郭を撫でているようにも思えた。
思えば世界が壊れる前、人々は何かを埋めすぎていた。
意味、主張、感情、欲求、帰属、定義…。
けれど今は違う。
風だけがページをめくり、彼だけがそこにいる。
「そうか、僕たちは空白の先に還っていくんだ」
誰に向けたわけでもない言葉が、余白の中に吸い込まれていった。
彼はその日、何かを見つけた気がした。
それが何だったのかは、結局最後まで形にはできなかった。
彼の手の中に、白紙のノートだけが静かに残っていた。