第49話 マシュマロ彼女と甲子園(後編)
数日経ち、甲子園で準決勝の光星学園高校vs奈良神鹿高校が始まろうとしていた。
(いよいよだな)
優が相手側のベンチを見ると大和がメンバーと話し合いをしていた。
(これに勝てば決勝進出……)
いや、違う。目標は決勝に進むことじゃない。優勝だ。
ここは目標の通過点に過ぎない。
皆がマウンドのそれぞれのポジションに向かう。
(頼んだぞ。皆)
ピ~!という笛の合図で試合が始まった。
「……マジかよ」
優はマウンドを見つめていた。先発の三年・谷口がまさかの乱調。
ヒット、四球、エラー、そしてまたヒット。
スコアボードにはまだ0が並んでいたけど、それは運が良かっただけだ。
守備の好プレーと、相手打者の凡ミス。
球場全体がいつ点が入ってもおかしくない空気に染まっていた。
谷口の制球が定まらない。ストレートにも伸びがない。
「谷口のやつ……調子悪いな」
「準決勝だから緊張してるんだよ」
「だからって……」
先輩たちがベンチでこそこそ話す。
「山城。いつでも出れる準備をしておけ」
「……はい」
ピッチャーマウンドでは、谷口が帽子のつばを下げ、呼吸を整えていた。
打者は大和だ。谷口は緊張するが思いっきり投げる。
高めに抜けたストレート。しかし打者のスイングは迷いがなかった。
カキーン!
打球はセンターの頭上を越え、フェンス直撃のツーベース。
走者二人が還って、ついに先制を許した。三塁ベースコーチの腕がぐるぐると回る。応援席から湧き上がる歓声。
センターからの返球が戻る頃には、スコアボードの0が2に変わっていた。
谷口は、グラブで顔を隠したまま立ち尽くしていた。
「マジか……」
「でもまだ2点だ。巻き返せる」
「……」
しかし、次のバッターも、待ってくれない。
甘く入った変化球を、今度はレフト前に弾き返され、さらに1点。これで0-3。
マウンドに、監督が向かう。
何を言っているかは聞き取れなかったが谷口はゆっくりと、静かに首を縦に振った。
その瞬間、谷口はうなだれ、マウンドを降りる。
重たくなった空気を引き裂くように、監督がベンチに向かって言った。
「山城。頼んだぞ」
「はい!」
優は帽子をかぶり直し、グラブを握りしめた。
「優!」
振り向くと穂乃花が応援のポーズをしていた。
「行ってくる」
優はマウンドに向かった。
「……すまない」
谷口はタオルで汗を拭きながら水筒に入った水を飲む。
「お前はよくやったよ谷口」
「準決勝に出れると思わなかったから緊張ぐらいするよな」
メンバーが励ます。
優がマウンドに立つとキャッチャーの茂雄がミットを構える。
優は球を持ち、右腕を振る。構えたところに、まっすぐ。
「ストライク!」
主審の声が背中に響いた。完璧なコース。
自分でも今のはいい球だったとわかるくらいのボール。
打者が、少しだけ目を細めた。舐めてかかってたのかもしれない。
でも、今ので少しだけ“警戒”に変わったのがわかった。
優は2球目を投げる。
「ストライク!」
優はゆっくりと息を吐く。そして3球目……
「ストライク、スリー!」
甲子園の空に、主審の声が突き抜けた。
「優。この調子で頼むぞ」
「あぁ!」
6回表、光星学園の攻撃。
先頭バッターは、二番・高瀬。
小柄な体を小さく構えながら、フルカウントからファウルで粘る。
相手投手がいらつき始めたところを見逃さず、四球をもぎ取った。
続く三番・茂雄。打った打球は、鋭くライト線へ。
カーン!
高く跳ねるワンバウンドのツーベース。ランナー二、三塁。
そして四番・主将の柴崎。柴崎は相手ピッチャーのストレートを、見逃さなかった。
打球は、レフトスタンドに突き刺さった。
ホームラン!逆転スリーラン!
ベンチが総立ち。甲子園の歓声が、一気にこっちのものになる。
スコアは4-3。光星学園が逆転した。
最終回、九回裏。
先頭打者を抑え次のバッターも、縦カーブで三振。
(あと一つ……)
そして次の打者は大和だった。
県大会で打率.500。圧倒的な勝負強さを誇る男。
その目は、ずっと冷静で、何点差だろうが崩れることがなかった。
ここで決めれば、光星学園の勝利だ。優は勝負の一球を全力で投げた。
カキーン!
低く、鋭い打球が右中間を抜けた。外野が必死に追いかける。だけど間に合わない。
二塁打。ツーアウトランナー二塁。
そして次の打者が、意地のヒットを放ち、同点、4-4。
(まずい……!)
優は焦りを覚える。
スコアが並んだ今、あと一球、あと一人抑えれば延長に持ち込める。
(落ち着け、あと一本だけ……)
優は深呼吸して球を投げる。
だが、その瞬間……ほんの少し、指先がずれた。
ボールは予定より甘く、内に入った。
「……!」
振り抜かれたバットが、乾いた金属音を響かせた。
カキィィィィン!
打球は弾丸のように、左中間の深部へ。
レフトとセンターが全力で交差するように追いかける。
……だが、間に合わない。ボールは一直線にフェンスを越えた。
サヨナラの、ツーランホームラン。
相手ベンチが爆発したように沸き立つ。
甲子園のスタンドの一角が、地鳴りのような歓声に包まれる。
その間、優はマウンドで動けなかった。
手の中のグラブが、信じられないほど熱くて、重かった。
最後の球……自分の手をすり抜けていったその一球が、試合を終わらせた。
「……っ」
視界が滲む。負けた。あと一歩、あと一球のところで……
『光星学園高校vs奈良神鹿高校の試合は奈良神鹿高校が勝利しました』
アナウンスが優に現実を突きつけた。




