夜の帝王のアリア
夜の森を、少女が駆けています。
月は出ていますが、足元は暗く絡みついている木の根などはよく見えません。
少女は何度か転びかけました。幸い身体が地面に叩きつけられることはこれまでありませんでしたが、時間の問題でしょう。
森の木の間から漏れてきた月の光が、少女の顔を照らします。それは月光に照らされた雪のような青白さでした。
髪の毛は月の光に照らされてもなお、真っ黒です。
着ている服はあちこち破けていましたが、どうやらゴスロリのドレスのようです。
そう、少女は屍羅幽鬼姫でした。
継母から追放されて、泣きながら森の中をさまよっていたら、いきなりナイフを持った怖い顔のおじさんが出現し、彼女を追いかけてきたのです。
その怖い顔のおじさんは、すぐ背後まで迫っています。
手を伸ばしました。
屍羅幽鬼姫は髪の毛をつかまれ、その場に引き倒されます。
「痛い」と泣き叫ぶこともできませんでした。
大きく見開かれた屍羅幽鬼姫の瞳に振り下ろされるナイフの刃が映りました。
ナイフは無情にも、屍羅幽鬼姫の小さく平らな胸に吸い込まれます。
このまま変態猟師が、手首をわずかにひねると、屍羅幽鬼姫の命は失われます。
手首をひねらずにそのままにしていても、大量の血が流れて屍羅幽鬼姫は死んでしまいます。
猟師はどちらもよいな、と思いながら、どちらにするか決めかねていました。
と、その時。
「余の統べる森の中で不埒な殺生を働こうというのは何者か」
オペラ歌手のようによく響く、太い声が聞こえました。
猟師は声のした方向に振り向こうとしましたが、首を回しきる前に頭の上半分を鋭い刃物のようなもので切り飛ばされてしまいました。
「この森のすべての生き物の生殺与奪の件は余が握っている。人間風情が勝手に殺生を働くことは許さん」
声の主はヴァンパイアの男性でした。いわゆる「真祖」と呼ばれる存在です。
猟師の命を一瞬で奪い、己の力の程を確認したヴァンパイアは、不埒な猟師が手に掛けようとしていた少女に視線を落とします。
まだ生きていました。
「ふむ」
ヴァンパイアはつぶやきます。
「あの男がしようとしたことをすべて無に帰させるというのも、また一興か」
ヴァンパイアは気まぐれで、小さな胸から溢れる屍羅幽鬼姫の血を飲んだのです。
多分次で最終回です。