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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ブラック戦士の俺が本物の戦士に転生したので勇者として世界を救いません

 どんよりとした空が重く肩にしなだれかかってくる。

 無意識に唇の逆剥けをちぎっていたらしく、血の味が口の中にじわりと染み出した。

 

 本田裕司、38歳。

 趣味なし。

 彼女なし。

 貯金なし。


 長年のブラック企業が油染みのようにこびりついていて、世界に対して希望を見出す方法をすっかり忘れてしまった。

 ハンドルを握った手が冷え切っている。

 口の中がねばつく。先ほどから吐き気が止まらない。

 

 車を路肩に止めた。

 わかっている。薬の飲み過ぎだ。加えて二日酔い。

 ハンドルの上に頭を預けて項垂れた。鞄の中から袋を引っ張り出して口元に当てる。



「はーっ、はーっ」 

 

 吐こうと思っても吐けない。

 ただじっと、苦しみが過ぎ去るのを待つ。

 

 まるで俺の人生みたいだな。

 

 自嘲的な気分になった。


 瞬間。

 

 後ろから衝撃が走って、俺の体はぐちゃぐちゃになった。

 

 享年38歳。

 

 ダンプカーに追突された俺は、ブラック企業戦士としての人生に、あっけなく幕を下ろした。

 

 

 

「——ま、アルス様」


 肩をゆすられる感覚で目を覚ました。


「よかった……! お目覚めになられたのですね」

 

 俺は慌てて飛び起きる。

 体を確認した。

 吐き気を催して車でダウンしていたところを大きい車に突っ込まれた。痛みを感じる間もなく俺はぐちゃぐちゃになって死んだはずだ。


 それがこんなに完璧に治るなんて。

 現代医療すげえな。


 むしろ筋肉が増している気が———いや、増しすぎてないか?

 あの不健康にヒョロヒョロの体はどこへ?

 

「アルス様?お体はいかがですか?」

「アルス……?」


 声をかけられた方を向くと、真っ白な髪の、ものすごい綺麗な女の子がこちらを見ていた。


「あ、あんた誰だ……?看護師さん?」

「カンゴ……?」


 女は首を傾げる。


「何を言ってらっしゃるのですか?まさか私のことお忘れなの?」

「忘れるも何も、俺にはあんたみたいに綺麗な知り合いはいないと思うんだが」


 女は持っていた大きな杖のようなものをとりおとして、まさに絶望、といった表情を浮かべる。


「き、記憶喪失……!」 

「え、いや多分ちが」

「皆様ーー!!アルス様が記憶喪失です!!」


 女は叫んで部屋を飛び出て行ってしまった。


 俺は寝台からのそりと起き上がる。木造りでカビ臭い部屋だ。見たこともない。

 

 横開きの扉を開くと、そこには男女が頭を抱えて座っていた。


「あ、アルス……」


 俺に最初に気づいたのは髭面で鎧を着たおっさんだった。おっさんと言っても俺と同い年くらいか。

 さっきの女は一番奥で頭を抱えてうずくまっている。

 なんだここは?コスプレ大会会場か?


「アルス、あなた記憶喪失って……」


 傍らの、黒髪の女が俺に話しかけた。


「いや、人違いじゃないですか?」

「本当だわ。まずいわね」

 

 髭面で鎧を着たおっさん。

 黒髪のセクシーな女性。

 そのまた隣には金髪のチャラそうな男。

 そして真っ白な髪の女。

 

 俺は気づいた。

 中学か高校の頃やっていたゲームのキャラクターに全員そっくりなのだ。

 剣士のヴァン。黒魔道士のラーラ。盗賊のロディ。そして、白魔道士のフレイア。


 間違いない。


 ならば「アルス」と呼ばれている俺は……。


 急いで寝室に駆け戻った。もしも俺の推測が正しいなら、ここの寝室のベッドサイドには、鏡があるはずだ。

 

 主人公の、憂国の戦士、勇者ということになる。

 当時は名前「あああああ」でやっていたから、気づかなかった。


「よくぞここまで辿り着いた、あああああよ」


 と魔王に言われて興醒めしたことを思い出す。主人公の名前の初期設定は……確かにアルスだった。


 本田裕司(ブラック企業戦士)はアルス・フォスター(憂国戦士)に進化した!


 まったく信じ難いことである。

 あんな人生の来世がRPGの世界とは……。


 夢か?

 夢でもいい。


 この世界に来たならば、俺にはやらなければいけないことがあるのだ。

 

 皆が集まっている部屋に戻る。


「おいおいアルス、急に走り出してどうしたんだよ」


 金髪のチャラ男——ロディが俺に声をかける。こいつもチャラ男に見えるしいけ好かないイケメンだが、俺はこいつがとてもいいやつだということを知っている。


「わ、悪い。正気を取り戻したよ」


 俺がいうと、ガックリと項垂れていたフレイアが顔を上げた。


「本当ですか……!?」


 フレイアが駆け寄ってくる。


「心配かけてすまない。もう平気だ」


 フレイアは青い瞳いっぱいに涙を溜めて抱きついてきた。


「アルス様……!よかった……!」


 フレイアの柔らかいものが当たる。元気になりそうだ。さすが白魔道士。


 当時の俺は彼女に完全、ガチ恋だったのだ。

 俺だけではない。同年代の男たちは皆彼女に骨抜きにされたものだ。フレイア派とラーラ派の諍いは絶えなかった。


「ホントよかったわよ。こんな時に記憶喪失なんて面倒起こされたらたまったもんじゃないもの」


 ラーラはちょっと毒舌だ。


「まあまあそういうな。でも本当によかったよ」


 対照的にヴァンは穏やかで優しい。


「ちょっと記憶が曖昧だから、いまの状況を説明してほしいんだ」


 俺が言うと、ロディは机の上に地図を広げる。


「お前、魔物に奇襲かけられてダウンしてたんだ。魔王城はすぐそこだって言うのにな」


 ロディは地図を指差す。


「俺たちは今ここにいる。もう二、三日も歩けば魔王城に着く」


 なんと。もうそこまで話は進んでいたのか……。

 そうなると気になるのは今の自身のレベル、強さである。

 魔王城の目の前だと言うのに雑魚敵に苦戦するほどだとは思いたくない。


「できるだけ早く出発したいわ。どうなの?」


 ラーラがいう。


「アルス様は今目を覚ましたばかりなのですよ。もう少し英気を養うべきです」

「ありがとうフレイア。でももう平気だ。出よう」

「そ、そんな!」

 

 まずは自分の能力を確認しないことには始まらないからな。

 

「ではせめて……」

 

 フレイアの小さな手が俺の手を握る。

 

「汝に精霊の加護が有らんことを……ヒーリング」


 体が軽くなるのを感じた。

 フレイアの本領発揮というわけだ。


「ありがとう。すごく楽になったよ」


 俺がいうと、フレイアは嬉しそうに頷いた。

 

 

 今までいた場所は宿屋ではなく教会だったようだ。

 外に出るとそこは街ではなく森だった。あと二、三日で魔王城に着こうという位置なのだから街など存在していないのは考えてみれば当然だ。


 熱中してプレイしていたと言っても二十年以上前の話だ。ところどころ忘れている。

 

「アルス、魔物よ!」


 ラーラに叫ばれて気が付く。横にいたフレイアが咄嗟に身構えた。

 

「フレイア、後ろに」


 フレイアは頷いて俺の後ろに回る。ヴァンとロディが駆け寄ってきて俺と並んだ。

 

 相対するのは犬のような顔にタテガミ、背中には紫色の翼が生えた獣だった。

 

 ベヒーモスか。

 

 魔王城の手前なのだからモンスターも当然強いだろう。

 

 俺は突然恐怖に襲われた。

 

 いくら戦士に転生したからって、ついさっきまで薬に負けて吐きそうだった俺に何かできるのか。


 こんな大きな生き物を殺したことなんてない。

 剣を握った手が震えた。

 

 その時、背中をぽん、と叩かれた。

 

「大丈夫か?アルス」


 ヴァンだ。


「い、いや……!俺……!」

「平気だ。お前ならできる」

 

 ヴァンの真摯な瞳に見つめられる。

 彼はこうやってアルスをいつでも勇気づけてくれるのだ。

 

 そうだ。

 俺ならできるさ。

 

 ベヒーモスの弱点は知っている。

 俺は駆け出してベヒーモスの裏手に回った。

 

 俺、速……!

 

 圧倒的に身体能力が増している。

 

 ベヒーモスの尻尾がわに回ると、高く跳ねた。

 

「とりゃあああああ!」

 

 剣の鋒を下に向ける。ベヒーモスの首の裏。

 直撃。

 

 急所を突かれたベヒーモスは、その場に倒れ込んで、しばらくすると跡形もなく消えてしまった。

 

「アルス……お前どうしたんだよ!」


 ロディが叫ぶ。


「え?」

「ベヒーモス一撃で倒しちまうなんてよ!」


 他の仲間を見渡しても皆呆然としている。


「え、え?」

「アルス様、すごいです!」


 フレイアが喜んでいる。


「昨日襲われて倒れたばかりなのになあ」

「気絶して中身でも入れ替わったのかしらね」


 ラーラが鋭い指摘をした。

 どうやら以前の俺——アルスはそこまでの戦闘力じゃなかったようだ。

 

 俺たち一行は歩みを進めた。

 度々襲いかかるモンスターは皆強力だったが、以前の知識——モンスタの弱点を利用して薙ぎ倒していく。

 元の俺の何百倍も高い身体能力と元々の知識。

 あの時読み込んでいたのが参考書でなく攻略本で良かった。


 ついこの間まで、あの時勉強しておけばなー、なんて後悔は絶えなかったのだが。

 

「スゲーなホント、どうしちまったんだよ」


 日が暮れてくると見渡しが悪くなる。

 俺たちは魔物が少ないエリアで休息することにした。

 キャンプなどしたことがなかったが、ヴァンたちに手伝ってもらって意外にもすんなりテントを張ることができた。

 体に染み付いていたのだろう。


 やくそうや干し肉を一緒くたに似たシチューを食べながら、ロディがそういった。


「気絶したからかもな」


 俺は何て答えればいいのかもわからずにそう言う。


「それに急におしゃべりになったわよね。正直とっつきづらかったのが嘘みたいだわ」


 ラーラもロディに賛同した。

 このゲームの主人公は基本「はい」か「いいえ」しか喋らなかったが、実際でも無口だったようだ。


 元のアルスがどういった男だったが、一番身近だったのに、プレイヤーにすぎなかった俺にはよく分からない。


 だが俺には、この世界でやらねばならないことがある。

 

 予定よりだいぶ早く旅が進んだ。明日には魔王城に到着するだろう。

 明日に備えて早く眠ろうと皆が眠りについた頃、フレイアが近寄ってきた。


「アルス様、起きていますか?」


 小声で話しかけてくるフレイア。


「ああ」


 答えると、フレイアは俺の布団の中に潜り込んでくる。


「明日はついに決戦ですね」

「そうだな。眠れないか?」

「いいえ、ただ……」


 フレイアは言い淀む。暗くて表情はわからない。フレイアの体温と息遣いだけが伝わってきた。


「なんだか嫌な予感がするのです。私たちの旅はこのままで良いのかと」


 フレイアの不安はもっともだと、俺はわかる。


「大丈夫だ。必ず君を護る」


 そうだ。きっと俺はその為にここにきたのだ。


「アルス様……」


 フレイアが俺の胸に頬をつける。

 細い肩を抱きしめた。ずっと、こうしてみたかった。


「なんだかずっと頼もしくなられましたね」


 フレイアは笑った。

 俺たちは抱き合ったまま眠った。

 

 

 朝起きると、すでに他の三人はテントを出ていた。抱きしめたままのフレイアを起こす。


「んん……っ」


 寝起きの声と着崩れた服が色っぽすぎる。慌てて目を逸らした。


「みんな起きてるよ。行こう」

 

 テントを抜け出すと膨れっ面のラーラが腕組みして立っていた。


「ずいぶん遅いご起床ね。仲良さそうだったからほっといたけど、アンタたち魔王城に行こうって言う日に何やってるわけ?」


 ラーラは平静を装っているがかなり機嫌が悪そうだ。


「ご、ごめん、寝相が悪くて」


 俺が言うとロディがけたけたと笑う。


「寝相〜〜!?勇者サマの言い訳は大胆だな」

「二人ともやめないか。若い二人だ。揶揄うのはよせ」


 ヴァンが嗜める。気遣いが痛い。


「いや、本当に何もしてないから。少し話してただけで。な、フレイア」


 振り向くと、フレイアは真っ赤になってぷるぷると震えていた。本当のことなんだから堂々としていればいいのに。

 ……これじゃ本当に何かしていたみたいじゃないか。

 

 

 ちょっと気まずい空気の中俺たちは出発した。

 魔王城はもう目と鼻の先である。魔物もかなり強くなってきた。


 城の門の前まで着くと、「魔王軍大将」の一人を名乗る魔物と対峙した。


「キサマらが噂の勇者パーティか」

「ああ、そうだ」


 魔王軍大将は大きな馬に跨ったまま俺たちを見下してくる。


 こいつの弱点は馬。

 プレイしていた頃は本体にダメージが入れられなくて何度もやり直したものだ。


「我が名は魔王軍大将ガモリーガ。我とあいまみえる功績を讃えて、この魔剣で沈め———て、うガァ!?」


 馬の脚を斬りつけていた。

 ついつい、ムービースキップの癖が出た。こいつには何度もやられたから覚えていてしまったのだ。


「おいおい、それはルールいは」

「フレイムボール!」


 俺の不意打ちの攻撃にラーラは迅速に反応した。

 ガモリーガに基本攻撃魔法は効かないが、馬から落ちて体勢を崩した時は別だ。

 体を焼かれてのたうちまわっているところにヴァンが飛び出してきて、首元に大太刀の鋒を突きつける。


「殺っちゃうぜ?」

「待ってくれ」


 ヴァンはガモリーガの喉笛に突きつけた鋒を微塵も動かさず俺を見る。


「待ってくれだと?」

「アルス様……?」


 ガモリーガも固唾を飲んでことの成り行きを見守っている。


「話さなければならないことがある」


 ヴァンは渋々だろうが剣先をずらす。


「な、何を……キサマにかけられる温情など要らぬ……!」

「この状況でその威勢、尊敬するよ。あんた本物の戦士だな」

「ぬあっ!?そんなことを言われようと我は屈したりせぬ!」


 本当に思ったことを言っただけだったのだが。意外とちょろいかもしれないな。


「あんたたちの目的を教えてくれ」

「な、何を今更!?我らの目的は世界征服!貴様らはそれをとめにきたのではないのか!」

「いや、それならいいんだ」


 当然彼らの目的も原作通り。

 世界の破壊ではなく、世界征服が目的。それでいい。安心した。


「お前が俺たちの元につくならもう危害を加えたりしない」


 俺が言うと、ガモリーガは笑う。


「ふざけるな。我は命をザレク様に捧げた身。殺せ」

「はっ。さすがだな」


 ヴァンが待ってましたと言わんばかりに剣を抜いた。

 俺はヴァンに耳打ちする。


「甘いんじゃないのか?」


 ヴァンはいったが、結局は俺に従ってくれた。

 

 ヴァンはガモリーガの腕と足を縄で縛って転がした。


「俺は殺してやってもいいんだがうちのリーダーの命令なんでな。我慢してくれや」

「何を……」


 ガモリーガは納得がいっていないらしいが、それで構わない。


「そんなことをしても無駄だ。その門は我の持つ鍵がなければ……」

「こいつのことかい?」


 さすがロディ。ロディの手には大仰な鍵が握られている。


「完全敗北、か」

「そうでもないさ。フレイア、あいつの馬を治してやってくれ」

「え、は、はい!」


 フレイアは馬に触れる。


「ヒーリング」


 緑の光が馬の足を包んで、傷がみるみるうちに塞がった。

 馬は俺たちに復讐する気はないらしい。主人の元にヨタヨタと歩み寄り、隣にその大きな体を寝かせた。

 

 

 ロディの盗んだ鍵を使って、魔王城へ足を踏み入れる。

 魔王城は静まり返っており、仲間たちは居心地悪そうにキョロキョロと辺りを見渡していた。


「怖いくらい誰もいないわね」


 ラーラの言葉に皆頷く。

 

 魔王はガモリーガに全面の信頼を置いている。

 ガモリーガが破られた時、勇者を迎え打てるのはもう他に自分しか居ないと知っているのだ。

 

 魔王城の奥に進みながら、フレイアが俺の横について話しかけてきた。


「アルス様。先ほどの、ガモリーガ大将のことですが」

「ああ、そのことか。フレイアも甘いと思うか?」


 フレイアは首を横に振る。


「とんでもございません。むしろ驚いているのです、アルス様。あなたはあのような慈悲をかける方ではありませんでした」


 まあ、そうだろう。慈悲をかけていては話が進まない。もうすでにアルスの人生は「原作」から逸脱を始めている。


「私はそれが少し怖くもありました。でもアルス様はお優しくなられた」

「そんなんじゃない。ただ、そういってくれるなら——」


 フレイアの手を握った。


「俺が何をしようと、きっと信じてほしい」


 フレイアは小さな手で俺の手を握り返す。


「はい。もちろんです」

 



 魔王城の仕掛けは至極単純なものだった。

 ガモリーガを倒した後のラスダンだと構えていたら、あまりのシンプルさに拍子抜けしたことを思い出す。

 白の中央へ進み、いくつかの回復アイテムを解消すると、真ん中に大きなエレベーターが出現する。


「これに乗れってことかしら」

「まあ、そうだろうな」


 ラーラとロディの言葉に頷いて俺たちはエレベーターに乗り込んだ。

 

 がたんがたん、と騒々しい音を立ててエレベーターが上がっていく。


「本当にこの先に魔王がいるんだな」


 いつも陽気なロディもさすがにナーバスになっているようだ。


「どちらに転んでも俺たちの冒険はここまで、か」

「しんみりするのはまだ早いわよ」

「……私たち、本当に魔王に勝てるんでしょうか」

「さあ、な」

「さあなってヴァン、アンタね」

 

 それぞれが好きに喋るのを眺めながら微笑む。

 皆の口数の多さは緊張の裏返しだろう。

 

 皆それぞれ事情があってここにいるにせよ、その肩に「世界の命運」がかかっているのだ。

 緊張しないはずがない。それにここから先は相対したことがないほどの相手。

 

 エレベータががたん、と音を立てて止まった。

 

 大仰な扉が構えてある。

 

 ここを超えたら魔王の部屋だ。

 

 本来ならあるはずのセーブポイント。扉の横には見当たらない。

 

 ここでもし——失敗して死んだら、どうなるのか。俺にわかるはずもない。

 

 俺たちは重たい扉を開いた。

 

 


「えっ、は、はや」


 魔王はそこに座っていた。

 椅子は金色の装飾に彩られている。そこに鎮座する紫の肌を持った筋骨隆々な男は山のように大きい。


 隣には人ぐらいのサイズの緑色の虫がいる。

 あれはこの国の宰相だ。原作で戦うことはなかった。

 

「えー、ごほん」

 

 魔王は腹の底に響くような低音で咳払いをした。

 

「よくぞきた勇者よ。ここまで辿り着いたことは褒めてやろう。我が名は魔王、ザレク。この世の頂点に君臨するもの」

 

 はや、とか声が聞こえた気がしたが、やはり圧倒的な存在感がある。

 

「勇者、アルスよ」

「ああ」

「ここまで辿り着いた褒美じゃ。争いはやめにせんか」

 

 来た。

 この展開。

 

「はあ!?今更何言ってんのよ!」

 

 いきり立つラーラを手で制する。

 

「お前には世界の半分をやろう。それでどうだ?」


 静まり返る部屋。

 俺は。


「じゃあ、それでお願いします」

「物分かりの悪い勇者よ。ならば……って、え?」

 

「は?」

 

「え?」

 

 仲間の視線が俺に集まる。

 魔王もポカンと俺を見つめていた。

 

「だから、それでお願いします」


 また静寂。

 後に。


「「「「はあああああああ!!!???」」」」 

 

 全員の絶叫が、部屋中に響いた。


 俺は知っている。

 このゲームは鬱エンドなのだ。

 

 長年に亘って続いてきた人間と魔王軍の戦争。

 ここにはもともと善悪など存在しない。

 

 この世界は人間、魔族、それぞれの力があって初めて存在している。


 今の俺ならば魔王を斃すこともできるだろう。


 しかし魔王を斃し、魔族を滅ぼしたところからエンディングは一気に不穏になるのだ。

 世界は均衡を失い、命の源は絶たれる。

 光あってこその闇。闇あってこその光なのだ。

 

 魔族を滅ぼした途端、仲間は一人一人と倒れ、街は崩壊。


 最後はフレイアがアルスに守護の魔法をかけて腕の中で息絶える。


 フレイアの守護の魔法で死ぬことも出来なくなったアルスは、魔族も人間も滅びた世界でただ独り生き続けるのだ———。


 当時は苦しんだものだ。


 マルチエンディングのバットエンドというわけでもない。これが正史なのだ。


 幸せになる二次創作を何度も何度も読み漁った。

 

 現実にするときだ。

 

「それでお願いしますって、……我らを斃すために冒険していたのではないのかお前」


 俺は首を横に振る。


「そうだったけど考え直したんだ。どっちが悪いとかないよなって」

 

 魔王は唖然としている。

 

「人族は皆我らが悪だと思っておる。お前たちなどその筆頭ではないか!」

「彼の言うとおりだわ、アルス。今更何言ってんのよ!?」


 ラーラは魔王を斃すために魔王の言うことを肯定している。

 他のメンバーも魔王と同じように唖然としていた。


「そうだぜアルス、どうしちまったんだよ。おかしくなったとは思ってたがそりゃないぜ」


 ロディが言う。

 彼は初めのパーティメンバー、アルスの魔王を斃そうと言う意思に感銘を受け、盗賊稼業から足を洗ってついてきた。


「正直びっくりだよ。お前が突然そんなことを言い出すなんて」


 ヴァンもロディに賛同している。彼は人間の王から直々に任命された騎士隊長だ。


「ここまで何のために旅してきたと思ってるのよ」


 ラーラは生まれついて、魔族と闘うために育てられた魔女である。


 仲間の反発は予想通りだ。

 この質問に対して「はい」と答える選択肢などなかった。

 なんと言っても原作にない展開だ。

 この先どうなるか、俺にもわからない。


「私は……アルス様を信じます!」


 気まずい空気の中、フレイアがそう言ってくれた。

 彼女の故郷は魔族に滅ぼされている。

 亡国の姫の魔女としての矜持が、彼女をここまで突き動かしてきた。


「フレイアまで……!」 


 本当は魔族に一番恨みがあるはずのフレイア。彼女にそう言われると皆言葉に詰まるのだろう。


 きっとフレイアだって俺の言っていることが恐ろしいし、納得できないはずだ。

 それでもこうして俺を支えてくれる彼女には、必ず報いねばならない。


「仲間割れは終わりか?」


 魔王の側に控えていた緑色の虫——宰相テミラが怒鳴った。


「なりませんぞザレク様。今更人族との協定など結べるはずもございませぬ」

「なぜだ?」


 俺が問うと、テミラは顔を歪める。


「これまでの歴史でそんな記録は一度もない!!これ以上口を開くな阿呆!」

「これまでの歴史だと?なぜお前にそれがわかる!」

「歴史書を見れば明らかなことだ!」

「歴史書だと?お前の捏造のな。俺はファンブックで全て見た。お前だな。お前がこの世界から平和を奪った!」

「ふぁんぶ……??ザレク様。こやつを蹴散らしましょう」


 ザレクはテミラに言われて身動ぎする。

 闘うしかないのか……。と思ったが、椅子に座り直して足を組んだ。


「いや、話を聞こう」

「ザレク様!」


 話のわかる魔王でよかった。


「魔王。あんたが魔王になったのはいつだ」

「さあ……いつだったか……覚えているか?テミラ」

「2,000と658年前です。そんなことはどうでもよいでしょう!」

「いや、それがわかればいい。あんたが魔王になる前からこいつは居たってことだよな」


 ザレクは頷く。


「我を育て魔王に祀りあげたのはテミラ。勤勉に支えてくれた」

「テミラ。お前は彼を利用して、世界を破滅させようとしているな」

「何を申す!私はザレク様の忠実な僕、ザレク様の為の世界を創るためにいると言うのに壊すはずもない」

「嘘だ!ザレクの生まれた国を滅ぼした!」

 

 ここからは、原作では語られず終わった過去だ。

 俺はファンブックも購入したから知っている。この世界の、秘密のひとつだ。



 ザレクはもともと小さな魔物族の暮らす里の生まれだった。

 あまりに魔力の強い子供だったザレクは、里の中で恐れられていた。

 しかし両親や周りの魔族たちは幸運にも懐が深い。ザレクを除け者にはしなかった。


 そこへやってきたのがテミラ。


 テミラはかつて魔王だった。しかし、この世界の創造主と「揉め」、世界を壊して回った罰として、その魔力を奪われていたのだ。


 テミラはザレクに目をつけた。


 テミラは残った魔力を総動員してザレクの里を滅ぼした。幼かったザレクを残して里は全滅。

 テミラはザレクに、「貴方の強大すぎる力が里を滅ぼした」と偽った。

「貴方はそのまま生きていては危険だ。私の管理のもと、世界を統べる王におなりください」

 テミラはザレクにそう言った。

 自分が里を滅ぼしたという衝撃。身寄りのないザレクは従うしかない。


 ――そうして彼は魔王になった。

 

「そしてザレクを利用して世界を滅ぼそうとした——人族を滅ぼして、魔族も消し去るつもりだ。この世界を作った創造主への仕返しのためにな。そうだろう。テミラ」

 

 部屋は静寂に包まれた。


 仲間たちも黙り込んで行方を見守っている。

 静寂を切り裂いたのはテミラの怒号だった。

 

「何を狂言を申すか!なぜお前にそんなことがわかる!!お耳をお貸しになさるな、ザレク様!」

 

 ザレクは黙り込んだままだ。

 

「もっと言えば、勇者が魔王を斃してしまっても構わなかったわけだ。お前の目的は世界の崩壊。魔族が滅べばまた、世界も滅ぶ」

「軽々しく口をきくなぁ!」

 

 押し問答を眺めていたザレクがおもむろに立ち上がった。

 

「埒が明かぬ」

 

 魔王は椅子の傍らに置いてあった大きな魔剣を手に取る。

 

「時の水晶を割ってみれば、すむことだ」

「時の水晶?」


 ファンブックにも載っていなかったアイテムだ。

 俺は首を傾げる。


「時の水晶は全てを見ている。それを割れば望むものに、望む真実を見せる」

「なりません、ザレク様!此奴の戯言に踊らされてはなりませぬ!」

「いいじゃないか、なぜ止める」


 隣にフレイアが寄ってきて、俺に耳打ちする。


「時の水晶――聞いたことがあります。我が国の国宝だったはずのものです。それを割れば望む真実が見られると言いますが――使えば魔力は消滅すると」

「なるほどな」


 魔力が消滅するほどの力。

 このタイミングでそれを使うとは――。


 ザレクも、薄々気づいていたのかもしれない。


「奴の偽りだった場合、戦いはいかがします!奴の思う壷ですぞ!魔族は!我々残された魔族はどうするのですか!!」


 その事実を聞いてしまえば、テミラの叫びは真っ当に思える。

 しかしザレクは首を横に振った。


「ガリモーガを破った猛者の言うこと。聞く価値はある」

「ですが!」

「我は――もう疲れた。そもそもこの玉座は器に似合わぬものだったのかもしれぬ」


 ザレクが魔剣を一周させると、彼の体長ほどもある大きな水晶が現れた。

 水晶の中はなにか映像が渦巻いている。


「時の水晶よ。我の望むものを見せ給へ」


 ザレクは言って、水晶に魔剣を突き刺した。


 瞬間。


 流れ出る。押しつぶされそうになるほどの力。渦巻いているものが一気に放出されて吹き飛びそうになった。




「テミア。いい加減になさい。貴方はわたしの世界の何が気に食わないのです」


 金髪美女。白いローブに包まれた穏やかそうな女性だ。


「おまえが我を袖にしたのが悪い。おまえの世界を滅ぼせば目が覚めるだろう」

「ふざけないで。そんな事のためにいくつ命を犠牲にしようというのですか」


 話している相手は緑色の魔人だ。顔立ちがテミラの面影を残している。


「もう私の民が殺されるのは耐えられません。私の力を全てもってでも、貴方を消滅させますわ」


 金髪美女――女神と、魔人の争いが始まった。


 接戦だったが女神の力が魔人の胸に直撃。

 魔人はしゅるしゅると形を変え、――今のテミラの姿になった。


「――くそが、覚えていろよ。必ず我のものにしてみせる」

 



 場面が変わる。

 田舎っぽい街並み。家々が燃え、悲鳴が聞こえる。火をつけ、子供を殺し、蹂躙するテミアの姿。


 しばらくすると悲鳴が完全に絶え、小さなザレクの姿が現れた。


「あなたの強大すぎる力が、この里を滅ぼしたのです」

「ぼくの……せい」

「はい。私と共にいらっしゃってください。私と共に、世界の王になりましょう」

「ぼくにはむりだ……ぼくには!」

「いいえ。貴方はやらねばなりません。貴方は普通には暮らしていけない。災いになります」


 ――私と共にいれば、安心ですよ……



 次々と場面が移り変わる。


 里の者が死んだのはザレクの力のせいだ。


 殺しを厭うてはならない。


 人族は魔族を滅ぼそうとしている。


 人族を滅ぼさなければ魔族に明日はない。


 テミアはフレイアの故郷を滅ぼし、時の水晶を手に入れた。



 ザレクは争いを好まぬ青年だったのだ。それを洗脳して、いまの戦争状態を作り上げた。


 


 全ての回想が終わる。

 時の水晶は割れ、地面に転がっていた。もうなんの力も感じない。


「……なるほど、な」


 ザレクはぐったりとしていた。


「2000年間、我は騙されていたのか……」

「ち、ちが……くそ……なぜこんなことに!!!」


 テミアは叫んだ。


「この虫けらが!!」


 ザレクは魔剣を振り上げた。

 しかしその瞬間、魔剣は消滅する。

 時の水晶を割ったことにより、魔力を失ったのかもしれない。


「こうなったらここで、……殺すしかない」


 テミアは呟いた。

 懐から緑色の液体を取り出して瓶ごと噛み砕く。


 テミアの肉体が変化し始めた。


「あれ……!さっき時の水晶が見せた……!」


 ラーラの悲鳴が響くと同時に、俺は駆け出していた。


 変化し終わる前に息の根を止める。

 地面を蹴った。

 柄をぐっと握りしめる。


「ハッピーエンドに塗り替えてやる!!」


 テミアの心臓に、剣を突き刺した。

 変化しようとしていたテミアの体がぐ、と止まり、たちどころに溶けだす。


「それ、ルールいはん……」


 テミアはそれを言うと、蟻のように小さくなってしまった。


「本当に虫けらになりおったか……」


 ザレクの足がその蟻を踏みつぶした。


「終わった……のですね」


 フレイアが呟いた。


「ああ。終わった」


 俺とザレクの声が重なった。




 魔王軍と人族は平和調停を結ぶことになった。


 ことの成り行きを人族の王はとても信じられなかったようだが、時間をかけて説明した。

 国を滅ぼしたりした主犯がテミアであったことも、それを助けたようだ。


「2000年間騙されていた愚かな王は、もう居ない方が良い」


 ザレクはそう言って王の座から退いた。

 故郷があった場所に戻って、一から国を作りたいのだと言う。


「世界を半分やるという約束だったな。――残された魔族のことを頼まれてくれるか」


 人族なのに魔族の王。

 それが魔族にとって良いことなのか分からない。

 悩んでいる俺だったが、仲間の反応は好意的だった。


「なったらいいんじゃない?わたしも支えるわ」

「俺も雇ってくれよ」


 ラーラとロディの反応はこんな感じだ。ヴァンも、


「俺は王の元で使えなければならないが、そちらにお前がいるなら安心だ」


 と言ってくれている。

 背中を押してくれたのはフレイアだった。


「……アルス様は王に相応しいと思います。その……わたしも……支える覚悟はあります」


 フレイアは顔を赤くする。


「その…………できるなら…………妻として」


 俺の覚悟は決まった。



 魔族の王とフレイアの夫としての日々が始まった。

 執務に追われる毎日だ。ガリモーガはザレクの命でここに残り、俺を献身的に支えてくれている。


 その夜は少し体力があったので、フレイアと「おたのしみ」だった。

 真っ白な体を赤く染め、可憐な声で俺を呼ばれると、思わず暴発しそうになる。


 くたびれ果てて眠ったら、俺は見知らぬ真っ白な世界にいた。


「ご迷惑をお掛けしました。本田裕司」


 久しぶりにその名前で呼ばれ、声の方を見ると、金髪美女が立っていた。あの、時の水晶で見た女神だ。


「私の魔力の乱れで……貴方を呼んでしまったようです」


 女神の隣には俺が――あの冴えない38歳の俺がいる。


「貴方にも迷惑をかけましたね。アルス」


 女神は俺(見た目)に向かって言う。


「ア、アルス?」


 女神は頷いた。


「アルスと裕司の精神を入れ替えてしまったのです」


 なんと。ゲーム世界の住人のはずのアルスが今俺として生活しているのか。


「これから二人の精神を元に戻そうと思います。二人とも入れ替わった瞬間は死んでいたのだけれど、その前から戻すからお気になさらないで」


 女神の言葉に目の前が真っ暗になった。

 ここまでやったのに、現世に戻れというのか。かなり嫌だ。

 だが、こちらのアルスに精神が存在している以上、仕方がない。


 アルス(見た目は俺)に目を向けると、激しく首を横に振っていた。


「その……それが、彼は戻ることを望まないというのです。裕司にも生活があるのだからわがまま言わないでといったのだけれど」


 アルスはなお首を横に振っている。


「こちらの世界の知り合いは肌に合わないと。あなたの生活が夢のようだと言うのです」


 アルスは今度は首を縦に振った。


「でも裕司……戻りたいですよね?」

「戻りたくないです!!」



 かくして俺は精神アルスの許可も得て、正式に魔族の王兼フレイアの夫になった。

 魔族の王としての仕事は楽ではない。

 だが今が充実しているとはっきり言える。


 アルス、そちらはどうですか。


 上手くやれていることを願っています。


お読みいただきありがとうございました!

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ルネッサンス翼

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