その日、聖女は魔王になった
王都は火に包まれていた。それは満月の夜空に浮かぶ、たった一つの影によってもたらされた災厄だった。石造りの城下街の石畳の上に、鋼鉄の鎧と魔物殺しの剣が散らばっている。
死体すらも残さない。こんな殺し方をできるのはたった一人だけだ。
魔物を殺すためだけに作られた騎士団。魔殺騎士団すらもたった一人で圧倒できる存在。それは間違いなく魔を統べる者。「魔王」だった。
私と聖女さま。そして私の同僚である聖女さまの護衛たちは、燃え盛る街を怒りと共に踏みしめて、走っていく。聖女さまは表情に影を落としたまま、煌びやかな装飾の施された銀杖を両手に、災厄の中心へと人造魔法を唱えた。
魔物を殺すためだけに、王国の研究者たちが作り上げた魔法だ。聖女さまだけが唯一扱える王国の希望。
聖女さまはプラチナ色の美しい長髪をなびかせながら、青空に似た色の瞳をまぶたで覆い隠した。私たちには正確に聞き取ることすらもできない呪文をすらすらと詠唱する。
すると銀杖の先端に取り付けられた白い宝玉が光をもつ。真昼と見紛うほどの明かりが王都を包んだ。夜闇がめくられ、満月を背にした魔王が克明に姿を現す。装飾の一切為されていない黒いローブをまとっている。
立ち止まった聖女さまは、体を踏ん張らせて全力の一撃を叩きこむ。銀杖の先端から飛び出した幾千の聖なる光が、様々な軌跡を描きながら魔王へと収束していく。
人造魔法は絶対に外れない。必ず「魔物だけ」に命中するのだ。しかも威力も折り紙付きで死体すらも残さない。だから私たちはこれまで魔物をみたことがないし、反撃を受けたことも一度もなかった。
攻撃されるまでに、聖女さまが全て倒してしまうのだ。私たち護衛の役割は、もっぱら人間からの護衛。かつて人間を裏切り、魔物側についた研究者がいるからだ。
魔王は空中を自由自在に飛び、追いすがる聖なる光の線をよけようとする。だが線は決して魔王を見失うことなく勢いを失うこともない。やがて魔王は観念したのか、動きを止めた。
夜空に閃光が炸裂する。キラキラと落ちてくる光の粉は、まるで雪のようだった。
「流石聖女さまです」
私は聖女さまに微笑んだ。すると聖女さまも微笑みかえしてくれる。でもすぐに真剣な表情に戻って、夜空を見上げる。光の消えた夜空には未だ、影が浮かんでいた。
私はその影を聖女さまの隣で睨みつける。
「どうやら、少量の魔気を自分の体から切り離したようです。人造魔法はそこに全て誘導されてしまったのでしょう」
聖女さまは再び銀杖を天に掲げ、呪文を唱えようとする。だが魔王はそれを許さなかった。光が全て魔王に吸い込まれていく。町だけでなく聖女様の姿すらもみえなくなってしまう。私は必死で叫んだ。
「聖女さま!」
「私はここにいますよ」
すぐそばから聖女さまの声が聞こえてきた。かと思えば誰かの手が私の手を握った。
「……もしかして、聖女さまですか?」
「私も何も見えないのよ。だから、あなたの手を握らせて。あの魔王に立ち向かう勇気をちょうだい」
聖女さまの手は震えていた。聖女さまの人造魔法が通用しなかったことなんて一度もないのだ。つまりこれは聖女さまにとっても想定外だったのだろう。
「私にはあと一つ、人造魔法がある。さっきのが矛なら今から使うのは盾よ。あらゆる攻撃を遮断する。絶対の盾。あなたのことも守ってみせるわ。だからもっと強く、私の手を握って」
「分かりました」
私からも手を握ると、何もみえないのに聖女さまが笑ったような気がした。
すぐに聖女さまはまた聞き取ることすらできない呪文を唱えた。
すると闇がはれてゆき、黒いローブ姿が目前に現れる。私と同僚たちはすぐに剣を構え聖女さまの前に立った。
「……小賢しい」
だけど魔王が腕を振るっただけで、私たち護衛はみえない力に吹き飛ばされてしまう。
「ルーティア!」
聖女さまが私に気を取られている間に、魔王は闇から剣を取り出し聖女さまに切りかかった。この間合いではどう頑張っても魔法は唱えられない。聖女さまは銀杖でなんとか魔王の一撃を受け流していた。
でも、このままでは聖女さまは殺されてしまう。
聖女さまに武術の心得なんてない。
私はきしむ体を持ち上げて、魔王に剣を向けた。私以外の護衛たちはみんな気絶してしまっている。私がやるしかないんだ。大切な聖女さまを傷付けさせるものか。
「ああああ!」
無駄だと分かっていても、雄たけびを上げて突撃する。せめて聖女さまが魔法を詠唱できるだけの時間を稼がなければ。
魔王は嘲笑いながら闇の剣で私を剣を受け止めた。
「なぜそこまで必死になる。護衛だからか? 実力差は分かったはずだ。眠っていれば見過ごしてやったというのに」
「護衛だからじゃない。私は、聖女さまを愛している。だからっ!」
「……ルーティア」
聖女さまが顔を赤らめながら私のことをみていた。
すると魔王は明らかに加減した力で私を蹴り飛ばした。
「ふん。愛している、か。気の毒に。どうせ聖女は殺されるべき存在だというのに」
私はなんとか態勢を整えて魔王を睨みつけた。
「殺させない!」
私はまた魔王に切りかかる。
「聖女さま! 人造魔法を!」
聖女さまははっとした表情で、呪文を唱え始めた。
「させるか!」
魔王が私を無視して、聖女さまに切りかかろうとする。でも聖女さまに刃は届かなかった。見えない壁に阻まれたように、魔王の攻撃が届かないのだ。
「まさか、二重詠唱だと!?」
魔王はあからさまにうろたえつつも、自暴自棄な風に笑い声をあげた。
「はは。ははははっ。まさか王国の技術がここまでだったとはな」
聖女さまの銀杖から眩しい光が溢れ出す。
「はっ。作りものの人形風情が、せいぜい後悔するがいい。今、我をここで殺したことを!」
魔王は高笑いをあげながら黒いローブだけを残して死亡した。
〇 〇 〇 〇
二重詠唱の後遺症だろうか。私は膝をつく聖女さまに駆け寄った。
「大丈夫ですか。聖女さま!」
「大丈夫よ。それより、さっきの。愛してるって……」
私は顔を熱くして聖女さまを抱きしめた。すると聖女さまは銀杖を手放して私を抱きしめ返してくれる。
「私も愛しているわ。ルーティア」
私は聖女さまを抱きしめたまま目を閉じた。魔王を倒した今、聖女さまはきっとお役目からも解放されるはずだ。願わくば、それでも私とずっと一緒にいて欲しい。
「おめでとう。ルーティア」
目覚めた同僚たちが私のことを祝福してくれる。私が聖女さまを好きだということは知れ渡っていた。みんな気のいい人たちで、私を応援してくれていた。
私も微笑みを返す。だけどその瞬間、同僚の一人の首が飛んだ。
「……え?」
血が吹きかかる。私は聖女さまを抱きしめたまま、その光景をみつめていた。金属の鎧の音が聞こえてくる。彼らはみな、魔物殺しの剣を構えていた。でもその先にいるのは魔物ではなく、私たちと聖女さまだ。理解できなかった。どうしてこんなことを。
同僚たちはいっせいに剣を構える。
私も聖女さまから離れて、剣を構えた。
聖女さまはとても苦しそうだ。そんなに二重詠唱は体に負担をかけるのだろうか? でもこの前、私に二重詠唱をみせてくれたときは、これほどまでではなかった。
「ルーティア! 聖女さまを連れて逃げろ!」
同僚の一人がそんなことを口にする。
「でも!」
「私たちじゃこいつらには勝てない。時間稼ぎが精いっぱいだ。今すぐに逃げろ! せっかく結ばれたのに、こんなところで死にたくないだろ!」
私は剣を納めた。そして聖女さまに告げる。
「私と一緒に逃げましょう」
聖女さまはとても苦しそうにしているけど、頷いてくれた。私は聖女さまを背負って、走り始める。後ろからは金属のぶつかり合う音が聞こえていた。もう二度と、同僚たちと笑い合うことはできないのだろう。
私は涙を流しながら、走った。
魔殺騎士団が王国に反旗を翻したのか、あるいは王国が私たちを殺そうとしているのか。どちらか分からない。私は燃え盛る王都の外へと逃げ出した。
〇 〇 〇 〇
月明かりが照らすだけの暗い森の中で、私は聖女さまを木陰に下ろした。聖女さまの具合はとてもひどかった。脂汗を流し、息も荒い。熱まである。どうすればいいのか分からずにいると、追跡者の声が聞こえてきた。
「聖女を探して殺せ!」
もうすぐそこまで近づいてきている。聖女さまを背負って逃げるのは不可能だ。私は剣を構えた。
「……ルーティア」
聖女さまが心配そうに私をみつめていた。
「聖女さま? どうしたのですか」
「聖女さま、じゃなくて名前で呼んでくれないかしら」
まるで、死を覚悟したみたいな表情だった。
「どうしてですか? ……セレス」
「あなたは逃げて。私を背負わなければ逃げ切れるはずよ」
「そんなのだめです!」
聖女さまは苦しそうに笑った。
「見てわからない? たぶん、私はもう長くないわ」
「だったら一緒に死にましょう」
私はセレスにキスをした。セレスは嬉しそうにしていたけれど、悲しそうでもあった。
その時、たいまつの明かりが私たちを照らした。一斉に剣を抜く音が聞こえてくる。
私は振り返って、剣を構えた。魔殺騎士団の騎士たちが数えきれないほどの数で私たちを包囲している。どうやら、ここが私たちの墓場らしい。
「そこをどけ。聖女を殺さねば、世界が滅びるのだぞ?」
「セレスが死ぬくらいなら、世界なんていくらでも滅んでしまえばいい!」
私が叫ぶと部隊長と思しき男はため息をついた。
「みな、やれ」
一対一でも勝てるか怪しいほどの精鋭だ。この数を相手にするのは絶望的。それでも、この命が尽き果てるまでセレスを傷付けさせない。
「逃げて! ルーティア!」
「ごめんなさい。セレス」
私は剣を振るった。でも多対一では隙をどうすることもできず、滅多打ちにされてしまう。幾筋かの斬撃は鎧が防いでくれたけれど、ついには首にめがけて、剣筋が迫ってきた。私は死を覚悟して、目を閉じた。
でもいつまで経っても、死は訪れない。
恐る恐る目を開ける。するとそこには信じがたい光景が広がっていた。鎧と剣だけを残して忽然と魔殺騎士たちが消滅していたのだ。
まさか人造魔法を人間に? いやそもそも、人造魔法は「魔物だけ」を殺す魔法のはずだ。人間をこんな風に殺せるのは、魔王だけ。
なぜ、こんなことが。
だけどそれよりも私はセレスとまだ生きていられることの方が嬉しくて、勢いよく振り返ってセレスを抱きしめた。
「セレスっ。……セレス」
「ルーティア」
涙を流しながら抱きしめた。でもセレスは私の肩を押して、遠ざけた。
「……私、人を殺してしまったのね」
「私を助けるためでしょ? いいんだよ。セレス」
「でもあの方々は私を殺さなければ世界が滅びるといっていた。もしもあれが本当なら」
「本当なわけないよ。セレスは確かに強いよ。でもそれは魔物に対してだけでしょ?どうやったら世界を滅ぼせるの?」
セレスは無言で魔殺騎士たちの鎧と剣をみつめていた。
「これは私が殺した魔王と同じ力よ。原理は分からないけど、もしもそうなら」
セレスは目を細めて告げた。
「私は人類にとって最大の脅威になりえる」
セレスは立ち上がって、木々の隙間から覗く満月をみつめた。
「体調は大丈夫なの?」
「……理由は分からないけど、かなり良くなったわ。でも精神的には、最悪ね。もしも私の考えが正しいのなら、他の国も私を脅威とみなすはずだわ。私たちが逃げられる先は、魔物の領域だけね」
人類に仇なす存在だと教え込まれていたから、セレスは魔物を殺し続けてきた。もしも魔物たちに魔王のような知性が備わっているのなら、私たちは歓迎されないだろう。それでも逃げられるのが、セレスと共に過ごせる可能性がそこにしかないというのなら。
「セレス。今度は私がセレスを守る。だから一緒に逃げよう。私、セレスと離れたくなんてない。例え可能性が低くても、諦めたくなんてないんだよ」
私はセレスに手を差し出した。するとセレスは儚く微笑んで私の手を握ってくれた。
「私は人類の希望になろうと必死で頑張ってきたつもりだったけど、今では人類最大の敵。私の味方はルーティア。あなただけよ」
セレスは涙を流していた。私はセレスを抱きしめて、キスを落とした。セレスは聖女として相応しいふるまいを徹底して来ていた。王国に忠誠を誓っていた。なのに人間を殺してしまったし、しかも自分が人類の敵になりえることも知ってしまった。
私も心細かった。でもセレスの頼りは私だけなのだ。私は、私だけはしっかりしないと。私は強く、セレスを抱きしめた。
「私が絶対に守る。だから大丈夫だよ」
〇 〇 〇 〇
鬱蒼とした森を歩いて、王国から魔物の領域に足を踏み入れる。夜は明けて、朝になっていた。でも今野営をするわけにはいかない。もしもセレスが世界を滅ぼしうる存在なら、魔殺騎士団はあの程度では諦めないだろう。
森を抜けると山に囲われた平原が現れる。村のようなものがみえた。魔物たちの村だろう。建物の形からして王国の文化とは違う。それにしても王国のこんな近くに魔物が住んでいるなんて。
村を避けて進みたかった。でも周囲は急斜面の山が広がっていて、王国から逃げるためには進むしかなさそうだ。できるだけ慎重に、気付かれないように村に近づく。
でも私たちは気付く。村には誰もいないのだということに。
村に入っても、村の魔物たちが着ていただろう衣服がそこら中に散らばっているだけだ。大人用と思しきものから、子供用らしきものまで。
セレスは見るからに辛そうにしていた。でもそれは身体的なものではなくて、精神的なものが大部分を占めているようにみえた。
セレスは子供用の服を手にして、心苦しそうに告げた。
「たぶん、私の人造魔法が殺したのでしょうね」
武装した魔物以外の生きていた印を見るのはこれが初めてだった。というのも人造魔法の射程は非常に長い。王国から隣国の最端。つまり魔物の国の端まで届くくらいに長射程なのだ。
「気負わないで。セレス。先に王国に攻撃してきたのは、魔物の方なんだから」
私はセレスを抱きしめた。しばらく抱きしめるとセレスは微笑んだ。
「大丈夫よ」
私も微笑み返して、村の探索をする。食料や飲み水。厩舎には馬もいた。
「これでひとまずは大丈夫だね」
「そうね」
でもセレスは目を細めてうつむいていた。
「でもきっと王国は魔物たちを滅ぼそうとするでしょうね。魔王がいなくなった今、魔殺騎士団だけで十分に対応できるもの。でも、もしもそうなったら、私たちはいよいよ終わりね」
確かにそうだ。魔王は王国最大の障害だった。でもそれはセレスが殺してしまった。そして妙なことに今、セレスには魔王の力が宿っている。セレスが世界を滅ぼすかもしれないというのが真実なら、王国に攻撃をためらう理由は全くない。
「王国が全戦力を差し向けてきてもおかしくない。今だって私たちを殺すため、そして魔物を滅ぼすために進軍して来てるかもしれないわ」
そのとき、轟音が来た道から聞こえてきた。私は振り返った。するとそこには大量の軍勢が進軍して来ていた。視界の端から端まで埋め尽くすほどの騎兵たちだった。
私は慌てて食料や飲み水が入った袋を馬にかけて、飛び乗った。
「セレスも早く!」
私が手を差し出すと、セレスはそれを掴んで私の後ろに乗った。お腹にぎゅっと腕を回して、私に密着してくる。今はそんなことを気にしている場合ではないけど、やっぱりドキドキしてしまう。
私は頬に熱を感じながら馬を走らせて、村を出た。魔物の領域を奥へと進んでいく。この調子ではやがては魔物との接触も避けられないだろう。そのとき、私はセレスを守れるだろうか。
〇 〇 〇 〇
しばらく馬を走らせると、軍勢はみえなくなった。歩幅を合わせる必要があるから、王国の進軍は私たちよりも遅いのだろう。でもいつか王国は魔物を滅ぼし、私たちから逃げ場を奪う。
山間の谷を抜けると平原が広がった。途中の小川で水を補給したり、野草を摘んだりしてできるだけ食料や水の消耗を少なくしようとしたけれど、どんどん無くなっていく。
進めど進めど、村にはたどり着かない。そもそも村にたどり着いたところで、そこに魔物が住んでいたのなら食料がなくとも避けるしかない。
あるいは、危険を承知で盗みに入るか。
時が経つにつれてセレスはまた辛そうにし始めていた。魔王を殺した直後よりはまだ穏やかではあったけれど、放っておけばまたあのようになってしまうかもしれない。
「大丈夫? セレス」
私たちはばてた馬を止めて休憩していた。日は沈みかけていて、辺りは薄暗い。
「大丈夫よ。でも少し辛いわね」
「……もしかしてだけど、またあの魔法を使えば楽になるんじゃないの?」
魔殺騎士団の追撃者たちを魔王と同じ風に皆殺しにしたあと、セレスは明らかに体調をよくしていた。精神的には最悪ではあったけど。
「使いたくないわ。私は魔王じゃない。人を殺すためだけの魔法なんて、もう、使わないわ。ルーティア。あなたが危険にさらされない限りはね」
私はセレスを抱きしめて告げた。
「ありがとう。セレス」
セレスも私を愛してくれていることが嬉しかった。でも同時に疑問だってあった。
「……どうしてセレスは私の気持ちに答えてくれたの?」
セレスは美しい容姿に立派な人格を持ち合わせている。だから誰からも尊敬されていた。それに比べて私はセレスほど美しくはないし、性格だって普通だ。誰にも平等に接することなんてできない。
セレスは夜空の星々を見上げながら告げた。
「ルーティアは私を一人の人として捉えてくれていたからよ。みんな、私を守る対象だとか、崇拝の対象だとか、とにかく何かしらの属性でしかみてくれなかったのよ。でもあなたは、私を私としてみてくれた」
セレスは私の後ろ髪を撫でてくれた。
「私を知ろうとしてくれたでしょ? 好きな食べ物はとか、好きな劇はとか、好きな人はとか。あの時は誤魔化したけど、もう既に私はルーティアのことが好きだったのよ?」
その返事を聞いて、私は少し残念に思った。
「知ろうとするなら、私じゃなくてもよかったんじゃないの?」
「そんなことないわよ。どうすれば私のこと、信じてくれる?」
「だったら今度はセレスから私にキスして欲しい」
セレスは恥ずかしそうに頬を赤らめていた。でもすぐに私の唇にキスを落としてくれる。
「キスするのって、こんなに恥ずかしいのね」
「でも、幸せな気持ちになれるでしょ?」
「そうね」
私たちは抱きしめ合ったまま、横になった。綺麗な夜空だった。星がたくさん瞬いている。セレスは切なげに告げた。
「これから私たちはどうすればいいのかしらね」
人類には敵視され、魔物たちにも憎まれている。このまま逃げたところで、私たちには幸せな結末なんて待っていないのかもしれない。だったら私たちはなんのために生きるのだろう。
私は悩んで、でもそれがすぐに愚問なのだと気付く。私は少しでも長くセレスと過ごすために、生きるのだ。
「セレス。どんな最期でも私は後悔しないよ。セレスと一緒に死ねるのなら、それでいい」
「私もよ。ルーティア」
私たちはまたキスをした。横になったまま、どちらからというわけでもなく。
〇 〇 〇 〇
食料が尽き欠けたある日、私たちはようやく村を見つけた。その村には魔物たちが生きていた。もっとも魔物と言っても、その姿は人間そのものだった。
人間の姿をしているのは魔王だけかと思っていたけど、どうやら違うらしい。魔物たちは人と同じように生活を営み、笑い合っていたのだ。セレスは苦しそうな表情をしていた。
これまで完全な悪だと断じて来ていた存在が、こんな風に生活していたなら誰だって動揺する。でもそれだけならまだ良かった。セレスは身体的な苦痛にも侵されていたのだ。
また魔王の力を使わなければ、体の痛みは消えてくれない。でもセレスは魔法を使うのを拒んでいた。
「大丈夫よ。まだ耐えられるわ。どうしても耐えられなくなったら使う。死ぬようなことはないから、安心してルーティア」
セレスは顔を強張らせながらも笑った。私としてはセレスには苦しんでほしくない。でも身体的な苦痛から解放されても、また精神的に苦しんでしまうのなら、意味がない。私は自分の無力さが嫌になった。
だからせめて食料や水では困らせたくないと思って、村に潜入することを決意した。セレスは私を引き留めたいようだったけど、でもこのままだと食料が尽きてしまう。そのことも分かっていたから、セレスはこれだけ告げて私を送り出してくれた。
「絶対に無事に帰って来てね?」
「うん。分かってる」
魔物は姿かたちは本当に、人間と同じだ。だから見つかってもどうにか誤魔化せると思う。でもできるだけ見つからないように、物陰から物陰まで静かに移動する。
家の影から、魔物たちの様子を伺う。でもその瞬間に、そこら中を歩いていた魔物たちが私に視線を向けた。
「なんでこんなところに人間が!」
みんな怯えた態度で私から逃げていった。かと思えば槍を手にした警備兵が三人、私の元へとやって来る。まさか、魔物には人間を察知する何かしらの能力が備わっているのだろうか?
私は仕方なく剣を抜いた。
槍に対して剣は弱い。圧倒的なリーチの差があるからだ。それでも私はセレスの警護のために訓練を積んできた。そこらの槍使い一人に後れを取るつもりはない。でも相手は三人だ。
どうする。逃げるべきか?
そんなことを考えていると、後頭部を誰かに殴られた。
気付いたときにはもう遅かった。私は意識を失い、地面に倒れた。
〇 〇 〇 〇
次に目覚めたとき、私は処刑台の上だった。目の前では、首を吊るための縄が揺れていた。台の下では、人間と変わらない見た目をした魔物たちが、私に罵声をぶつけている。言い方こそ違うが、みんなが口にする言葉の総意は人間への怒りだった。
「なんで人間は俺たちを殺すんだよ。俺たち何か悪いことしたか?」
「違うだろ。お前たちが私たちを先に……!」
私がそう口にした瞬間、魔物たちはなおさら怒りに満ちた声で罵声をぶつけてきた。
だけど私のすぐ横に魔物が現れると、すぐに静まり返る。
「お前はどうやら真実を知らないみたいだな。てっきり俺と同じで真実を知って逃げてきたのかと思ったが」
「逃げてきた?」
男は無精ひげを生やした中年だった。
「俺は人間だ。お前なら知ってるんじゃないのか? 王国を裏切った研究者。それが俺だよ」
「それなら、私も裏切り者だよ。助けて欲しい」
セレスを一人にしたまま、死ぬわけにはいかない。
すると男は私を見下すような表情を浮かべていた。
「その証拠は? お前は王国の偵察兵じゃないのか? その軽装備を見るに、そうだとしか思えないのだが。真実も知らないようだしな」
「私はセレスの、聖女さまの護衛だよ」
すると男は驚きに目を見開いていた。
だけど私のその言葉を聞いたらしい魔物たちはまたヒートアップして「殺せ。殺せ」と繰り返す。男は考え込むように無精ひげの生えた顎に手をあてていた。
「聖女は今どこに? 殺されたのか?」
「死んではいない。でも場所は教えられない」
もしも教えたら、すぐに殺しに行くだろう。この魔物たちも、この男もみんな王国を目の敵にしているはずだから。
「それなら、拷問でも何でもして吐かせるしかないな」
男は私を睨みつけて告げた。怖かった。でもセレスを守るためならどんな苦痛にだって耐えてみせる。私は拳を握り締めて、決意した。なのに、その決意は簡単に打ち砕かれることになる。
「ルーティア!」
処刑台の下に集まった魔物たちの後ろから、セレスが叫びながら走ってきていたのだ。
「ほぉ。どうやら本物の聖女のようだな。いや、今は聖女ではなく魔王候補、とでもいうべきか」
男がつぶやく。どういうわけか、魔物たちは敵意をみせない。中には「魔王様」と首を垂れる者さえいる。
セレスはそんなことには目もくれず、処刑台に上がってきて、私の拘束を解いた。男も魔物たちもただそれをじっとみているだけ。拘束を解き終わると、セレスは私を抱きしめた。
「なるほど。そういうことか」
男はぼそりとつぶやいていた。
「ルーティア。私、ずっと心配してたのよ? いつまで経っても帰ってこないから。死ぬときは一緒だって約束したわよね?」
「……セレス」
どうやらセレスは死を覚悟でここまで来たようだった。
「いや、俺たちはお前を殺さないさ。お前は我々の最後の希望だからな」
男の言葉に私は問いかける。
「最後の希望?」
「そうだ。魔物たちのな」
〇 〇 〇 〇
男は処刑台から私たちを下ろし、村の外れへと私たちを連れて行った。
「俺はこれからお前たちに真実を話す。まぁ驚くとは思うが、心の支えがいるなら大丈夫だろう。なぁ? お二人さん」
私たちは手をぎゅっと繋いで、男の言葉を待った。
「単刀直入にいうが、まず聖女というのは殺されるためだけに生み出された存在だ」
その言葉を聞いた私は剣に手をかける。
「待て待て。俺は殺すつもりはないって言ってるだろ。少なくとも王国は最終的には聖女を魔物殺しの剣で殺すつもりで作り上げたってことであってな」
魔物殺しの剣。それは魔物を構成する魔気を完全に、この世から消し去ることのできる剣。魔物は普通、殺しても空気中に魔気を放出する。空気中の魔気はやがてまた魔物を生み出す。だから、魔物の数を減らすことはできないものだとされていた。
でも魔物殺しの剣が王国の研究者たちによって生み出されてからは、全てが変わったのだ。
「どうして王国は私を殺さないといけないんですか?」
セレスは問いかけた。すると男は頭をかきながら答える。
「それはお前が魔気の入れ物だからだよ。要するにお前は魔気を滅ぼしたのではなくて、魔気を吸収していただけ。結局、魔気を滅ぼせるのは魔物殺しの剣だけだってことだよ。お前、魔王を殺したんだろ? それから体調が悪くなったりしてないか?」
セレスは頷いた。
「あなたのおっしゃる通りです」
「それは受け入れられる容量を超えたからだろうな。魔王の魔気は絶大だからな」
「でも魔王と同じ力を使ったら、急に楽になりました。でも時間が経ったらまた苦しくなってきて」
「そもそも魔気っていうのはな、使えば一時的に体から失われるが、でも時間が経てばまた持ち主の元に戻ってくるんだよ。人造魔法も同じ。あれは人間を形作る生気を触媒に魔法を発動させている。でもお前は死なないだろ? それはしばらく経てば生気が戻ってくるからだ」
「私がセレスの魔気を吸収するってことは出来るんですか?」
私は男に問いかける。もしもそれが可能なら、セレスから苦しみを取り除いてあげられるかもしれない。
「いいや。無理だ。そもそも人間は魔気を吸収なんてできない」
「だったらどうしてセレスは……」
「それは聖女が人間によってつくられたものだからだよ。要するにお前は人造人間なんだ。ただ魔物を楽に滅ぼすために、人工的な手段で作られた人間のエゴの塊。魔気をためるためだけの器。それが「聖女」の正体なんだよ」
セレスは目を見開いていた。そして私を不安そうに見つめた。
「どうしたの? セレス」
「私のこと、好き?」
「大好きだよ」
「でも、私、ルーティアとは違う生き物なんだよ? 人の手で作られたんだよ? 魔物を、人間と同じように生きている魔物を滅ぼすためだけに。そんな私を好きでいられるわけが……」
「正体が分かったとして、今のセレスが突然性格を変えるわけでもないでしょ? セレスはセレスだよ。嫌いになる理由なんて、どこにあるの?」
自分の正体が人工物。それも誰かを滅ぼすために、剣や槍と変わらない目的で生み出された。それは当然驚くだろう。悲しくもなるだろう。でもだからって私とセレスの関係が何か変わるわけでもない。
私はセレスを抱きしめた。セレスも私を笑顔で抱きしめ返してくれる。
「私も大好きだよ。ルーティア」
「いい雰囲気になっているところ、悪いんだが」
完全に男の存在を忘れていた。私たちは顔を赤らめながら、離れる。
「聖女よ。お前は人間達と戦う覚悟があるか?」
「えっ?」
「お前が抱えている魔気は魔王すら凌駕する。魔物側に着いた俺としては、是非ともその力を振るって人間どもを滅ぼしてほしいのだが」
セレスは首を横に振った。
「無意味な殺しなんてもう私はしません。魔物も、人間も。私が誰かを殺すことがあるとすれば、それは大切な人を、ルーティアを奪われかけたときだけです」
男は困り果てた様子で、頭をかいていた。
「それなら代替案にすがるしかないか。お前、さっき聖女を苦しみから救いたいといっていたよな。聖女が苦しんでいるのは、吸収した魔気が容量を超えてしまっているからだ。もしも魔気を他の誰かに移し替える手段があるとすれば、どうする?」
「本当にそんな手段があるんですか?」
「あぁ。魔王城にある宝玉を使えばな。あれはもともと寿命が来た魔王が次の魔王に魔気を譲渡するためのものだったんだ。魔気が魔物を形作っている。だから魔気を全て譲り渡せば、譲り渡した本人は死ぬ。でも聖女は生気で形作られているから、死ぬこともない」
セレスは魔物からすれば間違いなく敵だ。村の魔物たちはセレスを魔王さまとあがめていたけれど、それはただ魔気の量を見てのことだったのだろう。魔王城の魔王の知り合いたちがそう簡単に私たちを迎え入れてくれるとは思えない。
「まぁ、あいつらはきっとお前たちを憎んでいるだろうな。だから聖女。お前は人間を殺して味方になったのだと示すべきだった。でもそうしたくはないんだろう? だったら危険を承知で向かうしかない」
セレスは複雑な表情を浮かべていた。
「つまりルーティアを危険に晒してしまうということですね?」
「そうだな」
「……だったら、私は」
セレスは私のために非情な決断をしようとしているみたいだった。でも私が一番大切に思っているのはセレスなのだ。辛い経験なんてしてもらいたくない。ただでさえ、自分の出自が普通でないと知って動揺している所なのに、人間なんて殺せば。
だから私はセレスの頬にキスをした。
「大丈夫だよ。私は大丈夫。絶対に死なないから」
「……ルーティア」
「私が一番大切なのはセレスが苦しまないこと。私が死ねばきっとセレスは辛くなる。そのことも分かってる。だから約束するよ。絶対に私は傷つかない」
するとセレスは微笑んでくれた。
「大好きよ。ルーティア」
「私も大好きだよ」
男はそんな私たちをみて、はぁ、とため息をついていた。
「やれやれ」
私はセレスを抱きしめたまま告げる。
「ところで研究者さん。途中で、王国の軍が追いすがってきているのを見ました」
「む、そうか。ならば俺は村に残ってみんなの避難を助ける。これはここら一帯の地図だ。これを頼りに魔王城へと向かえ」
「ありがとうございます」
私たちは男に食料と水を分けてもらった。それから馬で村を後にした。
〇 〇 〇 〇
私たちは地図を参考に魔王城へと向かった。太陽が沈み、月が昇るのを五回繰り返したころ、私たちはようやく魔王城とその城下町と思しき場所にたどり着いた。
城下町の入り口に近づくと、門番が槍を突き出して警戒心をあらわにしていた。
「貴様。人間か? しかし隣の貴様。その魔気の量は……」
「私たちは魔気を譲渡するためここまで来ました」
門番は悩ましい表情をしていた。だけどしばらく沈黙を保ったあと、槍をこちらに向けたまま、こんなことを告げる。
「魔気がある方は通れ。だが人間。お前を通すわけにはいかない」
「だったら私の魔気は諦めてください。私の恋人を通してくれないのなら、あなた方は魔気を手に入れられないし、ただ、人間に滅ぼされるのを待つだけです」
セレスは真剣な顔つきで私の手を握った。私は横目でセレスの表情を伺う。凛としたセレスは可愛いし、かっこよかった。
門番はううむと唸っていた。そんなとき、門の奥から勲章のようなものを大量に衣服につけた男がやって来た。それに気づいた門番は敬礼をしていた。
「ウォ、ウォルターさま!? どうしてこのような場所に」
「凄まじい魔気を感じたがゆえに魔王さまが帰還したのかと思ったが、誰だ貴様は」
ウォルターと呼ばれた男から放たれるのは凄まじい殺気だった。もしもこの男と戦えば、私は容易に敗北を喫するだろう。その圧力に私はひるんでしまう。でもセレスは相変わらず堂々とした態度だった。
「私は聖女です。あなたの仕える君主を殺しました」
「なんだと!? 魔王さまが貴様なんぞに?」
「戦うつもりはありません。私はもはや王国から追われる身。あなた方を殺す理由はありません」
「だが俺たちにはお前を殺す理由がある」
ウォルターは魔王と同じように、闇から剣を取り出した。その瞬間に、私も剣を引き抜き、セレスの前に立つ。でもセレスはそんな私の肩を叩いて、前に出ていく。
「私には、ルーティアという命に代えても守りたい恋人がいるのです」
その言葉に私は顔を熱くする。セレスは頭を下げて言った。
「私があなた達にとって怨敵であることは分かっています。でももしも今、私が死ねばルーティアが悲しんでしまう。だから死ぬわけにはいかないのです。どうか、罪滅ぼしをさせてください。あなた方が私を許してくれるまで、可能な限り協力します」
ウォルターは聖女を睨みつけていた。だがやがては剣を闇の中に消した。
門番は動揺していた。
「なぜです? ウォルターさま」
ウォルターは苦々しい表情で答えた。
「かつて魔王さまは人間の男を信じ、受け入れた。その時、私もそなたらと同じ反応をした。だが信じないことは罪だと魔王様はおっしゃっていた。私は貴様のことなど信じぬ。だが魔王様のことは今も信じている。だから殺さないのだ」
そう告げてウォルターは私たちに背を向けて、門の中へと歩いていった。私たちも後を追った。門の中の魔物たちはウォルターをみると頭を下げていたが、私たちには怒りの視線を向けていた。
やがて魔王城の前までやって来る。堀の上の石橋を渡り、巨大な扉を抜けて城に入る。ウォルターが今の魔王城で一番高い地位にいるのか、私たちの姿をみても異議を唱える者はいなかった。
やがて私たちは魔王の魔にたどり着く。そこには空席になった玉座があった。紫色の宝玉はその傍らに浮いていた。
「どうやらあれが宝玉のようね。いくつもの防御魔法で徹底的に保護されているわ」
セレスがそんなことを口にする。私には何もわからないけど、セレスには分かるみたいだ。
「これがみえるのはお前に魔気が宿っている証拠だ。普通の人間には目視はできない」
ウォルターがそう告げたとき、鐘がなった。
「敵襲です。ですが敵は少数です。ウォルターさまは魔気の吸収に集中してください」
小柄な女が走ってきてそんなことを告げた。ウォルターは頷いて、宝玉を手に取る。
「まずはお前がこの宝玉に魔気を注ぎ込むのだ。ただ手に取り念じるだけでいい」
「分かりました」
「だがその大量の魔気。全てを吸収させるには丸一日はかかるだろう。王国が攻めてくる前に間に合えばいいのだが」
セレスは宝玉を手に取った。紫色に宝玉が輝く。私はセレスと手を繋いで、その様子をじっと見守っていた。これでセレスは苦しみから解放されるのだ。
〇 〇 〇 〇
セレスが宝玉に魔気を流し込み始めてから、一時間が経つ頃、城内が慌しくなっていた。
「敵は少数です。ですが一人化け物のような強さの人間が城門まで!」
「なに? まさか騎士団長か?」
騎士団長の噂は私も聞いたことがある。一人で百人分の戦力を誇るという正真正銘の化け物だ。もしもそんな存在が攻め込んできているのなら、魔王がいない今、ここを守れる存在はたった一人。セレスしかいない。
でもセレスは、魔物も人も殺したくはないはずだ。元よりセレスは心優しい人だった。かつて聖女として活動していたときも、いつだって人の心配をしていた。誰かを傷付けることを何よりも恐れていた。
突然、轟音がとどろいた。かと思えば悲鳴がどんどん魔王の間へと近づいてくる。
セレスはぎゅっと私の手を握り締めていた。
ウォルターは配下たちが殺されることを我慢できなかったようで、闇から剣を取り出して飛び出していった。
「クソ。人間どもが。なぜ俺たちを滅ぼそうとするのだ。俺たちはただ、平穏な毎日があればそれでいいというのに」
だけど魔王の間の外に飛び出した瞬間、ウォルターは死体となって吹き飛んできた。胸に大きな切り傷ができていて、そこから真っ赤な血が溢れ出している。
魔王の間の入り口で鋼鉄に身を包んだ騎士団長が、魔物殺しの剣を両手に私たちを睨みつけていた。セレスは宝玉から手を離し、呪文を唱えようとした。
「はっ。魔物の血も赤いのだな? 聖女よ。お主も魔物と変わらぬ。ここで死ね!」
だが騎士団長はとんでもない速度で、突っ込んできた。詠唱はまだ終わっていない。私は何とかセレスの正面に立ち、その二刀流を受け流そうとするが、気付けば首が飛んでいた。
奇妙なもので、首が飛んでも人はしばらくの間、意識を保てるらしい。
目を見開いて私をみつめる血まみれのセレス。それが私が最期にみたものだった。
〇 〇 〇 〇
「あああああああ!」
ルーティアが死んだ。私の、私の大切な人が。
私は狂乱した。叫んで叫んで、人間殺しの魔法を放った。私はためらってしまったのだ。魔王の魔法なら詠唱なんていらなかった。なのに私は人造魔法の絶対の盾を唱えようとして、ルーティアを失った。
騎士団長は跡形もなく消えた。それどころか、恐らくは近辺一帯の人間は皆殺しになったと思う。それでも私は憎しみに任せて、人間殺しの魔法を唱え続けた。
私は膝から崩れ落ちた。首から先を切り飛ばされたルーティアの死体を抱えて、ただ茫然と、虚空をみつめていた。
もう、生きる意味なんてない。私はルーティアの剣を手に取って、自分に向けた。でもその瞬間に、魔物の生き残りが私を呼び留めた。
「その人を蘇らせたいのなら、方法があります! だから死なないで! あなたは我々の最後の希望なんですよ!」
「蘇らせる、方法?」
私は涙も拭わずに問いかけた。
「そうです。人間は生気からできている。だから宝玉を用いて生気を流し込めばいいのです。寿命で死んだわけではないのなら、この方法で蘇らせることができます」
「本当に、蘇らせることができるの?」
「本当です。でも、宝玉はもともと魔気の受け渡しをするようにしかできていないから、相当な量の生気が必要になるでしょう。具体的には、大都市一つ分の人間を殺せば、十分かと」
私はルーティアの死体をそっと横たわらせて立ち上がった。宝玉を片手にウォルターの死体へ向かう。そして宝玉の魔気をウォルターに流し込んだ。するとウォルターの死体はみるみるうちに再生していき、元通りの姿になった。
「む。……どういうことだ。俺は確かに死んだはずでは」
私はその声を無視して、城内の死体たちに再び命を与えて回った。
どうやら、あの魔物の言葉は本当らしい。
私はまた、魔王の間へと戻った。
魔物たちはお互いに抱きしめ合って喜んでいた。そしてみんな口々にこんなことを告げる。
「新たな魔王さま。ありがとうございます。あなたは私たちの命の恩人です!」
ウォルターまで跪いて頭を下げていた。
「……感謝する。新たな魔王よ」
命を奪った魔物たちに感謝されるなんて不思議な気持ちだった。でも今はそんなことはどうでも良い。
「人間の街を滅ぼすのに手を貸してください」
私がそう告げると、みんな歓声を上げた。だけどウォルターだけは疑問を呈していた。
「本当に同族を殺してもいいのか? 敵意のない同族だぞ?」
私は静かな声で答える。
「私はルーティアがいなければ、生きていけない。ルーティアがいるからこそ、私は今日まで生きてこられたのです。ルーティアを蘇らせるためなら、私は悪魔にでも、魔王にでもなります」
「……そうか。分かった。一度死んだ身だ。命尽きるまで従おう」
私はルーティアの死体を抱えて、王座に腰を掛ける。
その瞬間、跪いた魔物たちから歓声が上がる。
その日、私は魔王になった。
〇 〇 〇 〇
私は魔王軍を引き連れて進軍した。王都に近い大都市を目指し、ひたすら馬で駆けてゆく。途中で見かけた人間は魔物たちに任せて皆殺しにした。紫色の宝玉に黄緑の光が宿っていく。
まだまだ小さな光だ。もっと光がいる。もっと、もっと殺さないと。
私たちは休まずに進軍した。すると平原の向こうに高い壁に囲われた都市がみえた。私は魔王と同じ魔法を使って、一人空を飛んだ。そして兵士だけを狙い撃ちして、人間殺しの魔法で殺していく。掃討し終わると、魔物たちに命じた。
「皆殺しにしてください」と。
すると魔物たちは都市に突撃していった。
朝日が夕日に変わるころ、都市の外に死体の山が築かれていた。私は死体から生気を抜き出して宝玉にためてゆく。あんなにも弱かった光は今はもう、まばゆいほどになっていた。
私は袋を開き、ルーティアの死体に宝玉をかざした。するとちぎれた首は元通りになり、みるみるうちに肌の色が生き生きとしてくる。そしてついには、ルーティアは目を覚ました。
「……セレス? なんで私、死んだはずじゃ」
私は涙を流しながらルーティアを抱きしめた。抱きしめて、何度も何度もキスを落とした。ルーティアは驚いていたけど、すぐに抱きしめ返してくれたしキスだって返してくれた。
「ありがとう。セレス」
〇 〇 〇 〇
セレスがどうやって私を蘇らせたのか、話を聞いて、私は心配になった。いくらセレスが私を愛してくれているとは言っても、人を殺すというのはやっぱり辛かったはずだ。
「大丈夫? セレス」
「……うん。大丈夫だよ。私はルーティアのためなら何だってできる」
その言葉は嬉しい。でもやっぱりセレスのことが気がかりだった。セレスは一人であらゆる責任を背負ってしまっている。そんな気がしたのだ。
そのとき、小柄な女がセレスの元へと寄ってきた。
「魔王さま! 耳に入れたいことがありまして」
「なんですか?」
「どうやら王国はまた聖女を生み出そうとしているようです。魔王さまを倒すために。命乞いをする研究者がそんな情報を漏らしていました」
「報告ありがとう」
セレスが微笑むと、小柄な女は照れくさそうにして仲間たちの元へと戻っていった。
「……王国も滅ぼさないとだね」
セレスは氷のように冷たい表情を浮かべていた。
確かに私たちの幸せを絶対的なものにするためには、王国は排除されるべきだ。でも王国を滅ぼしたセレスは果たして今のセレスのままでいられるのだろうか?
国を滅ぼして正気でいられるほど、セレスは粗野ではないはずだ。それどころかむしろ繊細な人のはず。セレスの決意の強さは分かっている。死体の山をこの目でみたから。だから引き留めることなんてできない。
でもだったら、せめて、私にも責任を持たせてほしい。
「セレス。私も戦うよ」
「だめよ!」
でもセレスは私の両肩に手を置いて、そう叫んだ。
「私はもう、ルーティアに危ない目にあってもらいたくないの。もう二度と、死んでほしくないのよ。私を一人にしないで? お願い。ね?」
私は頷くしかなかった。実際私は非力だ。ずっと助けてもらってばかり。何も言えないでいると、また魔物がやって来て、セレスに声をかける。
「魔王さま。今日はこの都市でみなに休息を取らせます。それでよろしいでしょうか」
「それでいいわ。明日は王都を攻める。だからしっかり休むように言っておいて」
「分かりました」
そうして魔物はまた去っていく。
本当に、私は情けない。私の好きな人が私のために大きな罪を背負おうとしてくれているのに、それをただ見ているだけなんて。
〇 〇 〇 〇
私はセレスと一緒に、大都市の長の住処と思しき豪華な部屋のベッドで休んだ。目を閉じていると突然、セレスは私の体に触れてきた。月光に照らされたセレスは、服を脱いでいた。魅力的な肢体を私に晒している。
その瞳は潤んでいて、頬も上気している。何を望んでいるのかすぐに分かった。
私は無力だ。だったらせめてこれくらいは答えてあげないといけない。無力な私が、そんな欲を満たしてもいいのか、自信なんてない。でも大好きなセレスが望んでいるのだ。私は無力感に苛まれながら、セレスと交わった。
〇 〇 〇 〇
翌朝目覚めると、セレスは隣にいなかった。慌てて衣服を身に纏い、外に出る。警備のために残された魔物たちが大都市に残っているだけで、セレスはいなかった。
やっぱり私は耐えられなかった。昨日の記憶がよみがえる。セレスは一人の可憐な女の子なのだ。なのにセレス一人だけに王国を滅ぼす責任を取らせるなんて。
私は魔物たちの目を盗み、馬で王都を目指した。たどり着くころになると、日は落ちていた。だけど燃え盛る王都が夕日のように眩しかった。
私は馬を止めて、王都の中に入る。石造りの街には死体が転がっていて、血だらけだった。セレスとそれほど仲がいいわけでもない魔物たちですら、セレスと責任を共にしているのだ。なのに私が蚊帳の外でいいわけがない。
私は王都の中を進んだ。すると中央の広場でセレスの姿を見つけた。
セレスは小さな少女と対峙していた。その少女はかつてセレスが手にしていた銀杖を両手で抱えていた。もしかするとこの少女が新たな聖女なのかもしれない。でも魔法を唱えようとはしなかった。
あたりを見回して、逃げ道がないことを知ると絶望したような表情を浮かべていた。
私はその少女の前まで走った。
「ルーティア? なんでこんなところに」
セレスはとても悲しそうにしていた。きっとみられたくなかったのだろう。人間を殺そうとしている瞬間を。言い訳みたいにこんなことを口にする。
「私にはあなたしかいないのよ。あなたと幸せになる。その為なら、どんな罪だって犯すわ」
「私も同じ気持ちだよ。だからせめて、私にもセレスと同じ罪を背負わせて!」
次の聖女と思しき少女は体をびくびくと震わせていた。聖女は人の手によってつくられると聞いている。だとするなら恐らくは、この少女はまだ未完成なのだろう。
私は剣を抜いて、その少女の首元にあてる。
「ルーティア! あなたは汚れなくていいのよ。汚れるのは私だけで……」
「違うよ。セレス」
私は涙を流しながら告げる。
「私たちは一緒なんだよ。なんでも一緒じゃないとだめなんだよ。これまでだってそうだった。魔物を殺すときも、お風呂に入るときも、劇を見るときも、王都から逃げ出すときも。いつだって、ずっと一緒だったんだよ」
セレスは涙を流しながら、私に近づいてくる。
「だからお願い。私も一緒に傷付けさせて」
するとセレスは私の後ろから、剣を握る手を掴んだ。少女は相変わらず怯え切って、縮こまっている。私は心の中でつぶやいた。ごめんなさい。私は君を殺さないといけない。恨むならいくらでも恨んでくれていいから。
どうか、私にもセレスと同じ罪を背負わせて。
鮮血が噴き出した。
燃え盛る町。広がる星空の下。
私たちは血と涙まみれでキスをして、永遠を誓い合った。