城にて
女騎士フィフェティ・パースペクティブに先導されて、姫崎見が到着したのは城だった。海洋に面した小高い場所に設けられた城壁に囲まれた城。
フィフェティは上官への報告をしなければならないとのことで、姫崎見は門番の控える詰所にいることになった。体よくしたとはいえ監視に違いない。あの魔物との戦闘の結果であろう、負傷した兵士らが肩を支えあいながらどこぞやへ列をなして行った。治療以外にはないのだが。
そこへ別の兵士が伝令を告げに来ると、姫崎見は彼について詰所を出た。着いた一室は、レンガ壁の四方、木の机と椅子、そしてランプ。つまりは取調室だった。警察ドラマのような灰色の四方とステンレス机と机上蛍光灯はない。城の景観や兵士の容姿だけではなく、こうした内観でも姫崎見が再認識をするのに不十分ということはなかった。ここは日本ではないのだと。
取調官が厳しそうでない女性官僚になっているのがせめてもの緊張の軽減だった。とはいえ、槍をもった兵士が二人も室内にいるというのが、先方がまだ警戒を解いてない証左でもあり、姫崎見が内心非常にびくついていたとしても誰も責められたものではない。
「すまん、報告が長引いた。さあ、始めてくれ」
ドアをノックしてから迅速に入って来た女騎士が腰元に剣を下げていたとしても、見知った人物が空間にいてくれることに、姫崎見は安堵に胸をなでおろした。おかげで取調官からの問いにも素直に答えられた。というより実直に語るよりほかになかったのだが。氏名に始まり、年齢、出自、身分、ここにいる経緯などなどウソ偽りなく答えるのだが、取調官は聴取をどう文書にしていいのか、時折羽ペンが止まっていた。姫崎見にとってここが異世界であるように、フィフェティたちにとっても彼は異人であり、しかも、彼女らの世界観に相応する範疇外の人間であるというのだ。よくもまあ言語が通じてくれているものだ。この国の人々は男子高校生が抱くような疑念はちらりとでも頭をよぎらないのだろうか。
「よし、料理長を呼んで来てくれ」
フィフェティの提案に兵士の一人が従順に敬礼をした。しばらくして白衣を着た壮年の男性が兵士とともに入って来た。
「ケン、君が私に給仕した食について紹介してくれ」
「ああ、それなら」
すでに詰所で持ち物検査をされてはいたのだが、ランチ袋を取り出した。二つ。
「えっと、これはお弁当と言って外出する時に携帯用の食事として」
「いや、弁当は分かる。私が食べたものについてだ」
姫崎見は少し考えてから二つの内ピンク色の袋からアルミホイルに包まれた三角形を二つ取り出した。
「そう! それだ。それは一体」
説明を求めている割には物を見ただけで食いついてくるので、その勢いに気圧される姫崎見は、拙くも
「おにぎりです、……よ?」
何の確認なのか念押しなのか知れない感じで紹介をした。アイコンタクトを受け取った料理長とやらが一つを取り上げ、アルミホイルを恐る恐る広げる。
「こ、これは、何と言うことだ!」
料理長は眉をひそめてから、目を見開いた。
「分かるのか?」
「いや全然」
「ならばなぜ驚いた」
「分からないから驚いたんだよ」
フィフェティと料理長のコントがひと段落ついたので、
「おにぎりですよ、普通の」
姫崎見は慎重に料理名を言った。
「オニ、ギリ」
「オニギリ」
フィフェティを皮切りに日本の素朴な手料理名をおうむ返しに連呼する。槍を構えていた兵士さえも驚嘆したようにつぶやく。それにしてもなぜか全員が似非外国人の片言みたいな発音になっているのが、姫崎見には気になった。異なる言語の発声の相違の割には他の語句がすんなり聞こえる。
「この黒いものは」
「ああ、塩気があって爽快になった」
フィフェティが味覚を適切に言ってくれたのだが、
「味付け海苔ですけど」
と聞くと、料理長はキョトンとしていた。かいつまんで海苔がなんたるかを説明しなければならない。あくまで概要である。海人でもなければ漁師でもない高校生が言うほどの内容である。それなのに依然として唖然としている料理長。その上、フィフェティまでも今更口に手を当てて目を見開いている。驚きというより後悔に近い。本当に食べて良かったのかみたいな。
「あれは、……海藻は食べられるのか?」
「おい、料理人。まず口に入れて確かめるんじゃないのか。そもそも食えるから巻いてるんだろ」
食材に不安げな態度を示す料理長に思わず職務怠慢を非難してしまったが、姫崎見とて中学生になるまでハンバーガーのピクルスがキュウリと知らずにいちいち外して食べていたくらいだ。そんなことを思い出されたため、
「すいません。言いすぎました」
反省、謝罪は早いに越したことはない。
「いや、国が違えば食は変わる。気にしなくていい。しかし、海藻を食べたからと言って、そんな大事にならんでも」
「ああ、食べた私が言える。海藻だけでというのは少し違う気がする」
確かにその通りだが、そんなに大業な表情でフォローする必要もない。
「よし計測器を使ってみよう」
料理長が兵士に合図をした。ほどなくして兵士が機械を抱えて戻って来た。
「……それって……」
机上に重々しく置かれる機械。外様の姫崎見は図らずも指さしてしまった。なにせ、その計測器とやらは、ミキサーにしか見えないものだったのだ。電源コードはどこにも見えない。おにぎりをそこに入れてしまったらシェイクされて飲み物に変換されてしまう。ただ唖然としている姫崎見の前で容赦なくおにぎりをミキサーに入れスイッチオン。回転音かどうか知れないがけたたましい。紛れもないミキサーである。この騒音をどれほど耐えればいいのだろうなどと姫崎見が思ったのは開始して三十秒ほど経過したくらいである。そこからさらに三十秒ほど。おにぎりのスムージーなど聞いたことはない。もちろん味をみたことも。ミンチを通り越しているだろうことは容易に予測されたのだが、
「ほう、これは」
蓋を取り、料理長が中へ手を突っ込んで取り出してみればおにぎりの現物は現状回復されていた。あの騒音は一体なんだったのかと疑問を差し込みたくなるほどに。アルミホイルに戻すまでしなくてもいいのに。スイッチが並ぶミキサーの底面から紙が出て来た。そこに印字された文字を目で追って料理長は驚嘆していた。それをフィフェティに渡す。
「どうなっているだ、これは」
姫崎見に渡してくるフィフェティ。思わず受け取ってしまい、目線を下ろした。全く読めない字だった。言語が通じるのと、文字を認識できるのとでは大きく異なっている点に驚嘆したいのに、そんな場合ではなかった。諦念に目線を上げれば室内の視線が一斉に姫崎見へ向けられていた。珍獣の新発見の生態を見るように。
「毒とか、……でした?」
尋問ではないが視線に耐えかねて姫崎見は検査結果を机上にそうっと置いた。
「論より証拠だな」
おにぎりを手にフィフェティは取調室を出て行く。料理長も取調官も。槍を持つ兵士たちは鞄にランチ袋を入れつつ姫崎見が立ち上がるのを待って動き出した。敵愾心は感じられない。とはいえ、緊張感、いや、興奮と不安がないまぜになったような空気が感じられた。受験前日の夜とか、体育祭・文化祭を翌日に控えて八割ほどしか準備が整っていない状況とか、そういう時に似ていた。
「てか、あのことわざはこっちにもあるんだ」
文字は読めないどころか、慣用表現が共通なのに驚きつつも、大人しく取調室をあとにするのだった。