姫崎妙のランチタイム
十二時四十分を過ぎてランチタイムになるのが二年生ばかりでは当然なく、姫崎妙もいつもの友人たちと昼食を始めていた。ただ、彼女の友人・金井や北山はどんよりとした空気までも食えてしまえばどんなにか清々しい気分で弁当を堪能することが出来るだろう。金井と北山がたどたどしいガールズトークを繰り広げながら、チラチラと友人の顔色をうかがう。鼻呼吸の荒々しさが咀嚼の間から漏れてきて、もはやいたたまれなくなった金井が
「相変わらず愛情のこもった弁当だね、妙」
フォローを入れたつもりが、
「私だけに作ってないもん」
卵焼きをにらんでから、もはや獣のようにかじりついた。
「妙ちゃん、なんか機嫌悪いね。私たちなんかした?」
北山から率直に言われては、
「ううん、個人……家庭の事情だから」
実直に、とはいえ明々白々とつまびらかにするわけにはいかない。そのことがなおさら腹立たしくさせる原因になっているのだが、
「もう!」
食べかけの卵焼きを、のりたまのかかったご飯に乗っけて一挙に頬張った。
「なになに、兄さんに彼女でもできたか?」
先ほどまでの空気が変わりつつあったので、金井が調子に乗ると、
「ん!」
猛獣が食らいついているような顔のまま、友人が人としてありえないほどの睨みを向けてきた。
「それはダメだよ。地雷だよ、地雷」
「ああ、そうか」
北山が金井に耳打ちする。とはいえ、遅すぎた。金井はすでに自爆している。
「彼女じゃなかったら、あれか。アプローチする女でもいたか」
舌の根が乾かないのは仕方ない。金井はスープポットの味噌汁を啜ったから。
「んん!」
「妙ちゃん、からあげ食べながら睨まないで。なんか野獣が獲物狙ってるみたいになってるから」
北山からたしなめられ自戒する。
「もっと聞き方をさ」
「悪かった」
鬼の居ぬ間にどころか鬼の形相の人がまさにいるのだが、関心が弱くなった瞬間をこれ幸いにこちらはこちらで反省会である。「鬼 しつけ」などと検索ワードを打ち込んでいる場合ではない、金井。
「それにしても、凄い眼力だね、妙。魔物でも逃げ出すんじゃない」
金井の横で顔を伏せる北山。まだ午睡にいざなわれるときでもないのに海馬が惰眠をむさぼってしまったいるとしか思えない友人を嘆く一方で、もう一人の友人がそれこそ魔物のような目つきになりかねない。ところがである。
「魔物ねえ」
さっきまで野獣のようだった友人がすっかり女子高生に戻っている。今しがたその友人が口にした緑茶には毒気を抜く成分でも入っているのかと、北山はしかめる。
「なになに、兄さんは女子ならぬ魔物、そうサキュバスにでも籠絡されたのかい」
「いい加減にしなさい」
「すいません」
さすがに北山が心を鬼にしなければならない。味噌汁には金井のお茶らけを殺菌する成分は遺憾ながら入っていないようだ。
「サキュバスって何?」
素面で尋ねてくる姫崎妙に、
「えっとねえ」
またしても調子に乗り始めるので、
「妖怪みたいなもんだよぉ。男を手籠めにするような」
先んじて当たらずとも遠からずの説明を早口でする。とはいえ、兄絡みなのは間違いないため、北山自身も言い切ってから誤魔化しを考え始めたくらいである。
「妖怪かあ、どっちかっていうと退治する方なんだよなあ」
「なに、妙。妙も二次元に足を踏み入れるきになったのかあ。とうとう」
「歓迎するよ、妙ちゃん」
金井どころではない、北山まで血気盛んになってしまった。
「二次元ねえ」
ペットボトルのお茶を一口してから、
「異世界の金髪美人騎士って、ある?」
箸先でご飯をつつく。行儀が悪い。姫崎妙自身がよく知っていることである。普段の彼女なら決してしない。現に、金井も北山もそんなことをするのは初見である。だから勢いの波はとっくに引き潮になってしまった。
「いや、設定とかあるっちゃあるけど。どうした。いよいよブラコンが脳に転移したか」
調子には乗ってない。金井が戸惑いながら聞いている。が、言っていることは完全におちょくっている。北山が制するはずなのに、
「転移したのはお兄で、転移して来たのは、はあ」
ため息を吐く姫崎妙に、
「もうブラコンは否定しないのか」
もう友人たちには共通理解になっていた再確認の方が先になってしまった。
「私、ブラコンなのかなあ」
「他にどういう? いや、ちょっと。金髪美女って何? いつのまにホームステイ先になったの? 行政から金もらえるから?」
「なにそれ。そんな制度あんの? ……ホームステイねえ。異文化交流、って感じなのかな」
「迫ってるわけ? 兄さんに」
「分んない。少なくともお兄は女子として見てない感じがする」
「金髪美女を? いったいなんだと?」
「う~ん、発想的に手の付けられない小学生」
姫崎妙と金井との応酬を傾聴していた北山だったが、
「……ロリだっけ、お兄さんて」
思わず確認しなければならない展開に。
「いや、そういう意味ではなく。特注の甲冑でないとフィットしない整ったスタイルだな、むしろ」
「いや、そういう意味ではなく。つまりは異文化コミュニケーションでカルチャーショックに陥っているわけね」
「ええ、彼女が」
「妙じゃないのかよ」
姫崎妙と金井の軽妙さに北山は吹き出してしまう。北山にしてみれば、姫崎妙は拗ねているだけにしか見えない。
「……カルチャーショックっていうか、プチパニックっていうか」
「手に負えないわけか、どっちにしろ。それで兄さんが相手に付きっ切りになって構ってくれなくなってセンチメンタルというわけか」
「……手に負えない、ことになるのか……。付きっ切りというわけではないけれど、目を放すと何をしでかすか気が気でならないから気が抜けなくて、……センチメンタルというか……」
姫崎妙とて兄の異性関係が広がらないことはないとは覚悟している。とはいえ、突然出て来たのが異世界の騎士で、そのせいか兄がフィフェティの前でも平然としていることや気にも留めてないことなど、さすがに兄の恋愛観とか今後が心配になってはいるのも事実だ。それでも、がっつり恋愛にのめり込むのも想像したくない。複雑極まりないのは魔術云々でなくとも、人間生きていれば、そこいらにあるものだ。
「……今度の休みどっか行くか」
気分転換。リフレッシュすればとの北山の提案。しかし、それは現在の話題転換の比重がかなりを占めていることなど金井なんぞは浅慮なため条件反射的に賛同を示すものの、
「休みの日、か……」
姫崎妙の立場からすれば、
「あ、気が抜けないのか」
懸案事項を自ら作っているようなものなのだ。
「まあ、お兄さんと夫婦になったつもりでその留学生とやらを手なずけて、って気分でやったら?」
言い出した分、どうにか繕おうと北山も必死である。ところが、
「! ……、手なずける気分ではやる。他の条件については……」
思いのほか効果を発揮したようである。なぜなら、姫崎妙から牙なんぞのようなものが感じられなかったからである。その代わりに、
「妙、顔紅い」
クラス内ではほとんど顔色を変えない、一部男子からはクールビューティーと評価されている姫崎妙が顕著な変容を示している。こんな友人をクラスのアホ連中に見せてはならないと金井と北山が陣を組もうと急に露骨な友情を示そうとした。が、
「ごはん! そう、早く食べないと昼休み終わっちゃう!」
そう言ってグルメ漫画の勢いで頬張り始める姫崎妙に、
「う、うん。だね」
「た、食べたら、ちょっと出ようか」
金井も北山も習うしかなかった。




