フィフェティがやって来た⑥
一息入れて後の事。
まず手始めにフィフェティが習ったのは他でもない。おにぎりである。
ちなみに甲冑はすでに脱いでいる。そのままでいたらいつ床をぶち抜くか知れないとか、動作の度にいちいちひけたたましい音が鳴るとか、そういう理由を含み、フィフェティにも自戒してもらいため簡潔に言うと、邪魔くさいからだった。ひとまず姫崎妙が着古したスウェットの上下を着た。身長差とボディラインの相違によって、女子としては長身の方のはずの姫崎妙の衣類だったが、いとも簡単につんつるてんになってしまった。上着の裾はズボンのゴムのあたりぎりぎりだったが上半身を動かすと容易に腹部があらわになった。いかがわしいとか、どんな目になろうが、間近で兄が金髪女性のあらわを凝視することを良しとしないのは妹として、兄に自重を促すどころか制するレベルである。妹がこうしてやきもきしているのに、兄は
「なんだその恰好」
と小姑のように嘆いたっきりでまるで魅了された気配すらない。というのも、そんな二時間ドラマで言うところの入浴シーン的筆休めならぬ目休めといっても差し支えない状況になったのに、事態はまったく色っぽくない。
「私、さすがに初めて見たわ」
姫崎家の厨房を預かるのが兄ゆえに、三度三度の調理をするわけではないが、兄に習ったり家庭科という授業を履修したりしていれば、謙遜するまでもなくそれなりにはできるようになっている姫崎妙が、フィフェティのこしらえるおにぎりを見て二の句が継げなくなっている。なにせ、
「四角いとか……」
そう。フィフェティがにぎると立方体になるのである。六面の色をそろえるパズルほどに、実に見事な図形が現れたのだ。
「ケンのように黄金律で仕上がるオニギリには、一体どうやったら。はっ! その形に力の秘密が!」
そんな造形美もピラミッドパワーも姫崎見は求めてないだろうから、むしろフィフェティのおにぎりの方が世界遺産的である。というか、黄金律なんてことを知っているなら天文学はおろか数学さえ知っていてもおかしくはないだろうに。後から教えなければならない科目が増えてしまって、姫崎見の頭痛の種が増加中である。
一向に埒が明かないということで、フィフェティが取り組むその日の料理はそこで終了となった。肩を落とす女騎士。よもや剣術やら魔術の修行中にさえここまでしょげるフィフェティは珍しいとは、彼女と出会って日の浅い姫崎見に知り得ることではなかった。
そんなことよりも。夕飯づくりに取り掛かる姫崎シェフ。
その様子をフィフェティは取りこぼしのないように凝視している。瞬きくらいすればいいものを。雪辱を必ず晴らすような顔をしている必要などどこにもないというのに。
「料理長の手腕にすらこのような感心は得なかったというのに。まるで料理という魔術を行使しているようだ。妹君は幸せ者だな。ケンのような兄がいて」
そんなことを言われて小声にすらなっていない口の動きでモジモジし始めた姫崎妙は、ここで一旦おいておく。姫崎見にとっては戯言を一蹴する方が先決である。
「それならラワタでも料理は魔術なのか?」
「……そうなのだろうか、一体どうだと思う?」
思いのほか異世界の女騎士は真面目に受け答えをし出す。
「俺に聞くなよ」
しかも、まったく答えられない質問である。などなどとやっていると、
「一応和食にしてみた」
夕食の、ごはん、わかめ・豆腐・油揚げの味噌汁、鯖の塩焼き、煮物、和え物の配膳が完了した。フィフェティが日本料理を学ぶ云々の話があったため、メニューの変更をしたのである。予定ではポークソテーだったが。
ダイニングテーブルに一同揃う。着席すると、姫崎見のスマホが震えた。
「お兄、食事中はダメってルールだよね」
むろん家族で取り決めたルール、というよりもマナーを無碍にしているわけではない。まだ食事開始の合掌をしていないことを屁理屈として、
「気になるんだけど」
差出人、アドレスをフィフェティにも妹にも見せた。
「あ……」
「なに、それ?」
間の悪そうなフィフェティと怪訝な姫崎妙。姫崎見はそこにつづられた文字がラワタで見たのだ。
「……浄化された魔獣の名だ」
騎士が潔くゲロってくれたのが本当に食事前で良かった。
「魔術何でもありだな。なあ妙、いいか?」
「早くね、お味噌汁冷めるから」
開封し一読。それから、
「……フィフェティ。お前宛だ」
画面を見せる。文面はラワタの文字ではなかった。声はすでにご機嫌を急下降気味だ。単に伝令役に甘んじられただけが理由ではない。
「……ん? この国の文字は私はまだ……あれ、読める。えっと、『また連絡する。戻って来られるよう策は打つ。それまではケン殿の元で修行に……』……だ、そうだ……。えっと、改めてよろしく頼む。ヒメサキ・ケン殿」
日本の料理や魔力や防具や武器や戦術や兵法などを調査しておけと書かれてある一説は音読さえしなかった。つまりは、ラワタ国からの出張はおろか、本当に留学かつホームステイと形式上はなったのだが、
「丸投げか」
姫崎見とすれば、そのフィフェティの調査云々に関わる費用が必要経費としてラワタから日本貨幣として処理してもらえるのかどうか懸念が増えるだけである。声に棘が発生したのも無理はない。一抹に、魔獣を押し付けた報いかと嘆いた。こんなところで人を呪わば穴二つみたいなことを痛感させられることになるとは。
しかも返信しようにも恐らく届かないような文字、いや記号の羅列がアドレス欄に綴られており、頭を抱えそうになるが、
「返信無用。フィフェティがそちらで購買した分は後日支払う」
旨が二通目の着信にあった。返信無用というか不能なのだが。
「どうなってんだよ、魔術」
「お兄、まずはご飯」
妹の説得はもっともだった。よそったごはんや味噌汁がこれ以上冷めてしまっては現在の不満が助長されかねない。よって食事を始めようと、気持ちを改める。そこへ。腹の虫が甲高く鳴いた。誰の、とは言うまでもない。フィフェティはきちんと学習過程を履修したようで「いただきます」をちゃんと言えました。ただ、箸からフォークへ交換するのも食事開始すぐだった。




