再び、らしい
「あー、まぁー、ですよね」
姫崎見が目撃しているのは、そこここに負傷し伏せっている兵士たちと、そこここに負傷しながら肩で息をしながらそれでも構えた剣先を下げないフィフェティと、その前で悠然としている魔物、いや魔獣であった。西洋のドラゴンに似ていた。さすがにこれは姫崎見にも分かった。どんなに二次元に疎くても、ちらりとでも目にしたことはあるというものだ。それほどまでに現代日本のメディア環境は若者に非常に近しい物なのである。姫崎見でさえロールプレイングゲームで見たことがあるのだ。
どうやらフィフェティは魔術を行使しているらしい。なにせ体の周りがオーラみたいにほのかに光っているのが、普通の高校生にも視認できるくらいだったし、突進とか回避とかのスピード、振う剣の速度なんかが人間の行為というか関節の可動域というか身体動作的に尋常ではないほど速いのだ。再生速度をどれほど上げたか知れないほどの動画を見ているような。忍者が動いて残像が現れるような。少なくとも二倍速なんかでは収まり切らない速度。それでようやく魔獣と互角なのだ。
「いや、それで互角って、その実は劣勢ってことか」
当事者ではないのでそんな冷静な状況分析さえできる。下手したら魔獣が矛先を変えて防具も武器も持ってない優男に向かってくるかもしれないというのに。
「ケン、来てくれたのか」
女騎士は異世界の男子高校生を目ざとく見つけると、なんとも安堵したような声を出した。目の前には魔獣がいるというのに。
「ケン、着任早々悪いのだが、あの時のオニギリはあるか?」
姫崎見は生徒会はおろか学級委員や体育祭実行委員にも立候補したことがないので、いきなりそんな任命されるような要件を仰せつかった覚えはまるでなく、ましてや後方支援部隊の給仕係として兵士の腹を満たす準備をわざわざしなければならない義務はない。さらにこの緊張感に満ちた場面、というよりも生死を分けかねないこの場面で、
「なんでまだ片言になるんだよ」
発音の訂正を促さざるをえない。
「あるのか、ないのか!」
姫崎見はフィフェティ・パースペクティブという騎士の部下でもなければ、この国の納税者でもない。よってそんな脅迫まがいの問いに答える必要もない。ないのだが、
「ないよ、それは」
律儀なのである。というより、反論してさらにこの女騎士が明後日なことを言い出す方が面倒だったのである。
「ない、……のか、……」
人がうなだれる場面なんてそうそう見られるものではない。その上、屈して剣を手から落とし頭まで抱える。もはや世紀末みたいな落胆ぶりである。
敵が目の前にいるのである。無防備にもほどがある。さすがに気付いたのか、剣を握りスクッと立ち上がった。オーラ的な光が見えないからきっと素の起立だろう。やればできると思えるほどにすばやい動きだった。
しかし、フィフェティは敵に背を向け、姫崎見に正対した。
「では! どうしろと、言うんだ!」
悲痛なる叫びだった。本当に世紀末もとい断末魔級と言っても言い過ぎでないくらいの声となった。
「いや、戦えよ。あるいは逃げろよ」
騎士である。フィフェティは一般市民ではない。敵と一戦交えているのだから、はかばかしくなければ戦略的撤退もありのはずだ。それなのに、この女騎士は異世界の来訪者に過度な期待をしている。彼に会うまではそうしてきただろうに。でなければ、今の今まで生きて来られるはずがないのだ。そこをフィフェティは失念しているのか。
「せめて魔力が回復できると思ったのに」
もう命が取られる目前のたらればの話になっている。無念さがひとしおみたいな表情になっている。
それにしても。魔獣も律儀である。この間、フィフェティに攻撃してないのだ。まるで、「パワーアップできるんならしてみろよ、それでかかってこいよ」と余裕綽々でいるのか、あるいはこのショートコントを辞世の句とでも思って詠み終るのを待ってくれているのか。
「もう! 致し方ない! た、戦うしかない!」
魔獣に向き直し、剣を構える。もう魔力とやらはないのか、オーラ的な光が体を包んでもない。
「おーい、フィフェティ」
臨戦態勢の彼女に姫崎見は小気味よく手を振って呼んだ。
「なんだ、ケン。私は油断していられる状況にはないんだ」
さっきまでがっつり敵に背中を見せていたのはどこのどちら様なのだが、それよりも、
「おにぎり食うか?」
姫崎見には提案しておくことがあった。その声を聞くと、
「なん、だと、……」
耳はおろか、顔まで震わせて、美人女騎士がすたるほどの顔芸で振り向いた。
「いや、だからおにぎり。一応持ってきたんだよ」
そうキッチンタイマーに触れる前に念のために持っていたのだ。おにぎりを入れたアイラップを。
「ケン、お前はさきほどあの時のオニギリはないと、……」
「ああ、言ったよ」
「私にはお前が何を言っているのか、さっぱり分かりません」
「だから、あの時のおにぎりはないって。具をな、違うのを入れて来たんだよ」
キビ団子でもなしに、握っていたアイラップの口を開いて中をごそごそと漁ってから取り出した。
「違う、具? オニギリの違う?」
あっけにとられるとはこのようなフィフェティの表情である。またの名をアホ面とも言う。姫崎見はそれを見てよく笑わないものだ。福笑いでもこんな顔つきにはならない。
「まあ、食ってみれば分かるって、たぶん」
そう言うと姫崎見はアルミホイルに包まれたおにぎりを一つフィフェティに向けて不格好なアンダースローで放り投げた。自分の握ったおにぎりが魔力云々に作用すると確証をまだ持てないでいるから、言動がぎこちない。
「ケン! 食べ物を粗末に扱うな」
無論、フィフェティがド正論である。が、姫崎見の立場も情状酌量の余地がある。彼は騎士でも兵士でもないのだ。あんな魔獣と戦っている場面にこれ以上近づけはしないし、近づきたくもないのだ。いくら騎士がいるからといっても。
「しかし! 受け取ったぞ!」
手を伸ばす女騎士。飛んでくるおにぎり。そのおにぎりを食せば魔力が回復し、魔術を行使して魔獣に勝てる、そんな焦りが女騎士から冷静さを奪っていたことに彼女自身が気付いていなかった。剣を片手にもう片方で伸ばした手。さらには一秒でも早く手にしようとして体の捻り、乗り出した身を支える足の位置が微妙だったのだろう、おにぎりはフィフェティの掌底にぶつかると、なんと撥ねた。その失態を挽回しようとさらに手を伸ばすフィフェティ。もはや焦りが焦りを呼ぶ状況。飛んでいるおにぎりをなんと剣先が見事なボレー。さらに勢いをつけて飛んで行ってしまった。なぜ剣に刺さらなかったのかは、今は問うことはしないでおこう。現に起こってしまったのだから。
「私のオニギリィー!」
受け取ったぞと歓喜したのは今は昔。加速するおにぎりに追いつくにはそれこそ魔術を使わなければならない。しかし、その魔術行使のための魔力がない、などとニワトリが先か卵が先かの思考実験に時間を割く悠長な場合ではなかった。魔獣が跳躍したのだ。方向はおにぎりの方。
「まさか! 貴様ぁ!」
フィフェティの敵愾心がもう今や何に由来するのか混迷をきたしていた。その非難対象である魔獣ときたら、まったく意に介する様子もなく、おにぎりに回り込んであんぐりを口を開けた。
おにぎりはその闇の中に消えて行った。
着地すると、魔獣はしてやったりの視線をフィフェティに向けた。
「おのれぇ」
さすがに血涙ではないが、目を潤ませて睨みつけるその表情は悪行を断罪する阿修羅のごときである。
「オニギリの敵ぃ!」
国防に従事すべき騎士が私怨から勇んで剣を振りかざして魔獣に突進していった。
「魔術なぞ使わんでもやればできるんじゃないか」
姫崎見がジト目になるくらいにフィフェティの動きは非常に機敏だった。
が、フィフェティはその途中で加速を止めた。悠然としていた魔獣が忽然として悶え始めたからである。喉を掻きむしってしまうくらいに身をくねらせている。しかも呻いたかと思うと、吐き出し始めた咆哮はもはや猛獣のそれと比較しようもないほどにけたたましいものになった。あまりの激変にこの機に討伐してしまおうという発想がフィフェティには浮かばなかったようだ。
一方、
「もしかしておにぎりがダメージを与えて、いる?」
着想を得た姫崎見は大急ぎでアイラップの中からおにぎり二つを出すと、荒ぶる魔獣の口の中に続々と放った。アルミホイルを剥がしてなどとしていられない。咀嚼せずとも咽頭を通過していくおにぎりたち。さらにもましてうごめく魔獣。
「これは一体どういうことだ」
騎士らしい冷静さを取り戻したフィフェティは姫崎見に並ぶと怪訝そうに魔獣をにらんだ。その眼力の中にはおにぎりを食べ損ねた怨嗟が隠れることがなかった。
「『ドラクエⅢ』でベホマがゾーマに効果的だったようなものだ」
推測の域を出ない現状把握は、
「ドラ? 食え? ベ、ホ? 象は? 何を言っているのだ」
リアルファンタジー世界には理解してもらえなかったようだ。
「毒にも薬もなるってこと、か。なんか複雑だな」
握った本人にはそれこそ心中察して余りあるのだが、
「まったく。ケン、お前という男は」
騎士にとっては奇怪この上ない。悠長に異人とだべっている暇があるなら、とっとと仕留めてしまえばいいものを。
そうこうしているうちに魔獣は徐々に悶えが収まるようであった。
「来るか」
剣を構えるフィフェティなのだが、そんな女騎士でさえも初めて目撃する事態が起こった。魔獣の身が縮小していき、寸胴さはスリムになり、まがまがしさに溢れた全体像は徐々に一変した。
「な、にがどうなっているんだ?」
二メートルはないだろうがそれでも高身長な、顔は魔獣の面影を残すがまがまがしさはなく、体躯は人そっくりな生物となったのだ。
「えっと、フリーザで言うと何段階目の変身になるんだ?」
「フリ、フリ? 何を浮かれたことを言っているのだ。今はそんなことを言っ」
目の前の変身した魔獣よりも、味方であるはずの女騎士の発想の方が姫崎見にとっては頭痛の種である。が、時代を超えた日本のアニメネタを、テレビのない異世界人に理解せいというのも酷というもの。
「すまん、フィフェティ。今度からお前が理解できるような例を思案するために最善を尽くすことをここに誓うとしよう」
「ケン、お前、私のことを、よもやバカにしているのか」
「……。労っているだけだ」
「そうか! ならば今はこの者の相手をするのみだな!」
とかやっている間に、魔獣が掌を向けてきた。気功弾なりエネルギー弾なりの攻撃かと思いきや、
「待て、敵意はない」
人体化した魔獣が、
「しゃ、べった、だと」
しゃがれてもいないし、かといって澄み切った声というわけでもない。ただ、聞き取りにくいことはなかった。本当に人がしゃべっているのと変わりがなかった。
「こっちでも魔獣の類は言葉が通じない設定なわけか」
「これは報告物だ」
驚きが並大抵ではないのだろう、姫崎見がさらりと言った二次元の設定みたいな単語を完全にスルーしてしまっていた。
「必要ならば拘束してくれて構わない。ただ」
元魔獣はおどろおどろしくないどころか、声楽でトレーニングをしたかのような朗々たる声で、両手を上げて攻撃の意思のないことを示し、姫崎見を見た。それは魔獣が獲物を狙うロックオンではなく、あるいは威嚇を示すものでもなく、ましてや空腹時の食料を発見した嬉々としたものでもなかった。むしろ、どこか柔和な、それどころか恍惚感さえ現れているようだった。
「話しをさせてもらえないだろうか」
「魔獣が話しだと、ふざけたことをぬかすな」
改めて剣を構えるフィフェティの手に姫崎見は自分の手を添えた。
「聞こうじゃないか」
「ケン、いやしかし」
視線でフィフェティを制してから、
「ここでは不適当だ。城へ連行する、その条件が飲めないならこの女騎士を制しておくことはできない」
「構わない」
検討の結果、負傷兵の処置は帰城報告後、救護団の派遣を依頼することにし元魔獣を引き連れて城へ戻ることになった。その一歩を踏み出した途端、元魔獣は旺盛に吐いた。出て来たのは丸まったアルミホイルだった。




