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五月、雲雀は探偵と後宮で歌う

売れない探偵のオスカーは、自分の債権が厄介な人物の手に渡る寸前だと知る。借用書を取り返すために必要な金額は700万ゴールド、期限は十日。

大金の工面に頭を悩ませているところに、見知らぬ令嬢が法外な報酬を持って仕事の依頼に現れた。

側妃殺害というきな臭い事件の捜査をやむなく引き受けたオスカーは、腐れ縁の冷徹書記官ミルズとともに、隔離された後宮で真犯人を追うが――。


魔法あり異世界で王宮を舞台にしたミステリー……と見せかけて、いまいち悪人になりきれない探偵が、ワケアリ天然令嬢に振り回される話。

 街で一番古いパブは今日も喧騒の中にあった。

 下卑た笑い声も、酒焼けした胴間声もいつもと同じ。奥の丸テーブルで常連客が借金取りと揉めるのも、お馴染みの光景だ。


「オスカー! 今日こそは耳を揃えて返してもらうぞ!」


 刺青にスキンヘッド、いかつい筋肉ダルマの怒声が響く。だがオスカーと呼ばれた細身の男は、ちらと目を向けるばかりだ。


「ああ? イカサマ賭博の借金なんざ払うわけねえだろが」

「んだと、この探偵崩れがッ」

「はっ、やるか?」


 悠々と飲み終えたエールのジョッキをテーブルに置くと、オスカーは伸びかけた黒髪の下で形のいい碧眼を細める。

 一触即発の空気が漂うが、居合わせた客はニヤニヤと眺めるだけ。むしろ、どちらが勝つか賭けを始める始末だ。


「お綺麗な顔が傷物になる前に降参しな、クソ優男」

「モテないからって僻むなよ、ミートパイみたいな腹しやがって」


 額を突き合わせて睨み合った後は軽い勝負事に移るのがお決まりで、今夜は腕相撲らしい。

 客たちの掛け声で組んだ手に力が込められると、借金取りの男は至近距離で声をひそめた。


「……ヤバいぜ。ボスはお前の債権をゴドフリーに売るつもりだ」

「なんだって?」

「野郎から持ちかけてきた」


 ゴドフリーは非道な手段で有名な悪辣取り立て屋で、債権を握られた者は大概姿を消す。行方は推して知るべしだ。

 一見拮抗して見える力比べに盛り上がる歓声の陰で、二人はこっそり言葉を交わす。


「七百万ゴールドで買い取るとさ。借用書をチャラにしたきゃ、十日以内にそれ以上を用意しろ。もちろん一括だ」

「七百万?」


 元々の借金は十万ゴールド。その債権を七十倍で買おうとするバカがいる。しかも、タチの悪い大馬鹿だ。


「お前、奴となにがあった?」

「……知るかよ」


 心当たりは無くもない。

 先日、親の借金のカタに売られた没落貴族の姉妹を逃がす手伝いをした。闇オークションで彼女たちに付いた値が七百万だったはず――大きく舌打ちをして右腕に魔力を込めると、オスカーは相手を強引にねじ伏せる。

 どうと沸いた観客に捨て台詞を吐いて借金取りが出ていくと、店は雑多な空間に戻った。


(まずいな)


 表の探偵家業は開店休業中だし、そもそも十日でそんな大金、無理に決まっている。

 追加のエールを呷りながらオスカーが策を練っていると、ふと視線を感じた。窺えば、明らかに場違いな十八、九の娘が柱の陰から自分を熱心に見つめている。

 首まで詰まったモーブピンクの地味なドレスは、商売女が着る服ではない。あどけなさが残る顔立ちは、悪意と無縁の箱入り娘のそれだ。

 女受けする容姿のオスカーは堅気の娘に言い寄られることも多い。普段なら来るもの拒まずだが、今は邪魔でしかなかった。


「帰りな。お嬢さんが来るような店じゃないぜ」

「……私に仰っているの?」

「他に誰がいるんだ」


 きょとりと目を丸くしたまま辺りを見回した娘は、自分を指さしてとぼけた返事をする。

 姿は地味だが、驚くほど声がいい。

 和む春風のようなそれに絆されて多少イラつきながらも答えてやると、娘はぱあっと表情を明るくして軽やかに駆け寄ってきた。


「オスカー・ホーク様でいらっしゃいますわね。仕事の依頼にきました」

「はあ?」

「お会いできないと半ば諦めていたのです。言葉も交わせて、本当に僥倖ですわ」

「おい、俺はお嬢さんのお遊びに付き合う暇は、」

「とは言っても、あいにく持ち合わせがありませんの」

「話を聞けよ」


 金がなければますます用はない。どっかりと足を組んだまま、さっさと帰れと手を払ってみせるが、娘は満面の笑みで勝手に正面の席についた。

 

「……いい度胸してるな」

「あら! ありがとうございます」

「褒めてねえっての」


 とんだ天然だ。嬉しそうに頬を染められてしまい、凄みも皮肉も通じない。

 呆れるオスカーの前で、令嬢は襟元を探り、ドレスの下から小袋を引き出した。


「ですので、こちらを報酬に」

「だから話を聞――っ!?」


 白い手のひらにころりと出されたのは、親指ほどの大きさの赤い石。内側から発光する尋常ではない輝きと帯びた魔力に、オスカーの目の色が変わる。

 娘は隠すように石を手に握り込むと、にこりと口角を上げた。


「いかがでしょう?」

「い、いかがでしょう、じゃねえ! そんな純度の高い魔石、どこで手に入れた!?」


 声だけはどうにか潜めて、オスカーは身を乗り出してテーブルに肘をつき頭を抱える。


「しかもその大きさ……一億ゴールドはくだらねえ」

「まあ、そんなに?」


 告げた価値に素直に驚き喜ばれて、なんとも気が抜ける。


(冗談じゃない、絶対にワケアリだ)


 この呑気そうな令嬢に関わったら駄目だと、オスカーの脳内に警戒音が響く。

 だが、魔石を小袋に戻しながら、娘は予想外の人物の名を出した。


「フレディ兄様が、オスカー様は信用できる人間だと」

「誰だって?」

「筆頭書記官のアルフレッド・ミルズ様。ご存じでしょう?」


 フレディなんて甘ったるい呼び名は知らないが、ミルズという男は知っている。二年前、事件がきっかけで知り合った相手だ。

 王宮官吏のくせにオスカーのような平民の話も聞く妙な奴で、一方的に部下認定されて腐れ縁が続いている。

 便利にこき使われるのは面白くないが、違う世界に通じる知り合いを持つことはお互いに都合が良かった。


(アイツの縁者か。貸しを作るチャンスではあるが……)


 未だ不審は残るものの、いつも上に立ちたがる皮肉屋の渋面を想像して、少しだけ気分が変わる。

 それにミルズは貴族だ。こんな埒外な魔石も伯爵家ならある……かもしれない。

 しかし、だ。


「アンタみたいな妹がいるとは知らなかったな」


 白金の髪に薄水色の瞳という氷の美貌のミルズと、目の前の娘は似ても似つかない。

 素朴な亜麻色の髪と澄んだ若葉色の瞳が似合うのは、猥雑な酒場でも謀略渦巻く王宮でもなく、明るい空の下だろう。

 訝しむオスカーの視線に気づいた娘は、楽しげに否定する。


「ふふ、違います。兄のご学友でしたの。昨年、私も王宮に上がりましてからは、なにかとお世話に」

「へえ、王宮に。そんでもって、あの書記官サマが他人の世話をねえ?」


 それこそ意外だ。能力至上主義のミルズは身分や縁故では動かない。

 おっとりとして見える娘だが実は有能な女性官吏か、もしかするとミルズが個人的に好んでいるのかもしれないと好奇心が頭をもたげる。

 ほわりとした笑みを浮かべたまま、娘は話題を変える。


「陛下が近く、正妃をお迎えになる話はご存じですか?」

「ん? ああ。来月の春宮祭で相手を発表するんだってな」


 周辺国の王女ではなく、既に後宮にいる側妃たちの中から正妃を選ぶことになったと公表されて以来、城下でも話題だ。


「ええ。その予定なのですが……実は昨晩、後宮内でエレイン・マクミラン第八側妃が殺されました」

「ブッ」


 唐突な告白にエールを噴いた。咽せるオスカーにお構いなしに、娘は飄々と話し続ける。


「エレイン付きの侍女メアリー・ボイドがその場で捕縛されました。王宮護衛署はメアリーの単独犯という見解ですが、彼女は殺していません」

「ちょ、ゲホッ、待っ」

「たしかにメアリーは側妃に薬を盛りました。ですが、エレインを剣で刺したのは別の人物なのです」

「いや、待てって!」


 ――やられた。

 正妃の座を争った末だろうが、そんな未公開情報を知ったら共謀扱いをされかねない。

 しかめ面で今さら耳を塞ごうとしたオスカーは、自分を見つめる娘の真剣な眼差しにはたと動きを止めた。


「オスカー様に、犯人を見つけていただきたいのです」


 ひたむきな声だった。

 知らず魅せられたことを取り繕うように視線を外すと、気まずげに頭を掻く。


「……チッ。つまりアンタは、その容疑者を助けたいんだな」

「あ、いいえ。さすがに無罪というわけにはいきません」

「そっ、そうか。そうだよな」

「ですが、犯していない罪まで負わされるのはダメです。それに、本当の殺人犯が野放しのままなんて!」


 ぷん、と子どものように頬を膨らます娘はまた元の雰囲気に戻っていて、どうも調子が狂う。

 

(……妙だな)


 この話が本当か嘘かは別にして、いくら王宮勤めだろうと、ただの官吏や侍女にしては事情に詳しすぎる。犯人が別にいると断言するのもおかしい。

 いろいろ気になるが、なによりも。


「どうしてその話を俺に? ミルズに言えよ」

「……それは」


 後宮は隔離された別世界。探偵業を掲げているとはいえ、一般人のオスカーが捜査など不可能だ。

 至極当然と思えた適任者の名に、娘は一瞬言葉を詰まらせ――その顔から一切の表情を消した。


(なんだ、雰囲気が……?)


 緑色の瞳が閉じられると同時に周囲の騒がしい音が消え、店内の色が褪せる。

 娘の纏う空気がぶわりと黒く変化し、ドレスの胸元にじわりと血痕が広がった。


「――っ!?」


 瞬きを忘れたオスカーの眼前で、娘の姿が変わる。

 乱れた結い髪、色を失った肌。

 夥しい血に染まるドレス。

 ゆっくりと持ち上げられた瞼の向こうは、底知れぬ闇の色。


「……もう、フレディ兄様の目には映らなくて」


 血に濡れた唇が紡ぐ声は変わらない。だというのに、やけに生々しく響いたそれに脳髄は凍りつき、全身がぞわりと総毛立った。

 昏い瞳と目が合って、喉の奥に叫びを呑み込む。


 ――禁忌に、触れていた。


「私が、殺された第八側妃エレイン・マクミランです」


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