今日も空はモモの色
ここは夢か現実か。
僕の場合、空を見ればすぐに分かってしまう。
もう夢と現実を行き来する生活とおさらばしたい一人の男子高校生のちょっと変わった物語。
僕はいつも朝起きてすぐ、空の色を確認する。
今日も空は桃色で、鮮やかな黄色いクジラが優雅に飛んでいた。そんな当たり前の光景に僕は安堵した。いつも通りの空を確認することで、僕は夢から覚めたんだと実感できる。現実の、一日の始まりを確信した僕はいつも通り学校に向かう準備を始めた。
「相変わらず、また変な夢を見たのか?前言った、枕、ちゃんと交換したか?寝る前に温かい飲み物は飲んだか?湯船にはちゃんと浸かったか? 」
親友のカナメは、すっかり顔に馴染んでしまった僕の真っ黒で消えないくまを見て心配そうにたずねた。
「あぁもぅ、いっぺんに訊いてこないでよ。そうだよ、相も変わらず毎晩変な夢、見てるよ!ちなみに、お前から貰った安眠枕には当の昔に替えたけど、残念ながら効果はこれっぽっちも感じなかった。あとよく眠れるって調べてくれた寝る前のホットココアも、あっつい湯船にしっかり入るのも毎晩やってみてるけど全然ダメ 」
「ありゃ、それはドンマイ 」
彼女は軽い感じでそう言いつつも、僕のくまを優しく触れた。ジョウジ カナメは親友で、昔からの幼なじみで、僕の想い人。藍色の長いストレートの髪に青い瞳の美しい彼女は口調が悪いけど、とても優しい人だ。僕なんかとは釣り合わない、素敵で可愛い女の子。そんなカナメとは、同じ高校に進むことはできたが、違うクラスとなってしまったため、ゆっくり話せるような時間は今やこの別館で過ごす昼食の時間くらいしかなくなってしまったけれど、それでも僕は幸せだった。
「じゃあ、放課後の映画はやめとこうか 」
「え、いや、行こうよ。僕は大丈夫だよ。一人じゃホラー映画、観に行けないんでしょ? 」
夏が来る度恒例となったホラー映画鑑賞。カナメはホラー映画は好きなのに誰かと一緒じゃないと恐くて観れないという矛盾した趣味があり、僕はいつもそれに付き合っている。別に僕以外にも一緒に行ってくれる人はいるだろうに、毎年誘ってくれる。実は僕自身そんなにホラー映画は得意ではないのだが、彼女からのデートの申し込みだ。まぁ、カナメはデートだなんて一ミリも思ってなく、小学生の頃からのお決まりって感じなんだろうなって分かってるけど、断るなんて選択肢、僕にはなかった。
「でも、そんな状態で映画なんて観たら、絶対ユウキ、気絶してそのまま寝るって 」
「気絶って、その映画そんな怖いの? 」
「ネタバレなしのレビュー読んだけど、スプラッターシーンもあるグロ系ホラーだって 」
カナメの言葉に遠い目をした。一番苦手なタイプのホラー映画じゃん。でも、カナメとならどんな内容の映画でも楽しめる気がする。そうだよ、彼女がキラキラした目で映画を観ている姿を眺めてるだけでも充実した時間を過ごせたじゃないか。前回の映画館に行った時のことを思い出したら、ウキウキが止まらなくて思わず顔がニヤけてしまった。
「何、急に笑って。その顔、キモいからやめた方がいいぞ 」
「あ、いや、映画、地味に楽しみになってきてさ…… 」
「ん?グロいの平気になったのか?って、ちょっ、予鈴鳴ってんじゃん。とりあえず、放課後、校門前で待ち合わせな。映画行くかどうかはそんとき決めよう。じゃあ、教室移動あるから先行くね! 」
カナメはそう早口で言うと、人気の少ない別館の屋上の踊り場から教室のある本校舎へと先に行ってしまった。僕も同じ選択授業なんだけどなぁと左手に持ったままになっていた食べかけのコッペパンを一気に頬張るとカナメを追いかけるように慌てて階段を駆け降りた。だけど、彼女に追いつくことはなかった。
急に視界が歪み、階段から足を踏み外した僕は…………
『百瀬!百瀬!出席番号37番、百瀬優希!聞いてないのか?百瀬!! 』
ハッとすると僕は席についていた。右隣の席の黒髪黒目の女の子が心配そうに僕の様子を伺っていた。
『百瀬さん、教科書38ページの問3だって 』
「あ、はい、えっと、答えは528です! 」
僕は慌てて立ち上がると、ノートに書かれた数式の答えを戸惑いながら言った。
『……正解。次からはすぐに答えるように 』
「あ、はい。すみませんでした 」
ふと、教室の窓から空の色を確認した。仄暗い灰色の空だった。あぁ、久々にこの夢に迷い込んでしまった。全体的に黒と白を基調とした色彩の世界。空にあの色鮮やかで優雅に飛ぶクジラはいなくて、代わりに真っ黒な鳥が何匹も飛んでいる、僕が一番苦手としている世界だ。
僕は毎回夢の世界に入ると意識が残った状態で、いつも異なる『クエスト』を果たすまで起きることができない、現実の世界に戻れないというこの謎の現象に悩まされていた。そして、夢の世界には赤い水の世界や紫色の砂だらけの世界などいくつも種類があるのだが、きまって空の色は桃色ではなかった。この世界だってそうだ。どんよりとした重苦しい空の色だ。だけど、学校という日常生活に近いものがあって、だからこそ、僕は現実と重ねてしまう。いや、それだけじゃない。
『百瀬さん、プリント、回収したいんだけど? 』
数学の授業が終わり教科書を片付けようとしていたところ、カナメと同じ顔した上路さんが不機嫌そうに声をかけてきた。
「えっと、プリントってなんだっけ? 」
『昨日宿題で出されていた古文のプリント。授業前に回収するって言ったでしょ?百瀬さんのだけ、まだ回収出来てないんだけど? 』
僕は慌てて机からプリントを出すと、上路さんはバッと奪い取るかのように回収した。黒く長い髪の彼女はカナメとは違い、幼なじみでもなんでもないただのクラスメートで、そして、明らかに嫌われていた。
『もーもちゃん!また要ちゃんに酷いこと言われちゃった? 』
チャラついたイケメンが僕の座っている椅子の角に腰掛け、話しかけてきた。めっちゃ距離が近い。
「いや、上路さんはただ古文のプリント回収しにきただけだよ。それより、和泉くん、そこ、邪魔なんだけど…… 」
『もう、ももちゃん、照れちゃってさぁ 』
和泉飛鳥、学年一のムードメーカーで、男女問わず人気のある男子生徒だ。もちろん、上路要さんもこのイケメンのファンの1人だった。正直、カナメと同じ顔の上路さんが彼の前だけで見せるキラキラとした笑顔を僕は見かける度、キュッと胸を締め付けられる思いをしていた。ここは夢の世界で、現実とは関係ないと分かっているのに……。だから、ぼくはこの世界が嫌いだ。いや、嫌いな理由はもう一つある。
『どーした、そんな暗い顔しないでよー?何かあったの?俺で良ければいくらでも相談に乗るけど? 』
「じゃあ、もう話しかけてこないでくれ!お前に付き纏われる僕の気持ちになってくれ!! 」
『ももちゃん、そんな事言わないでよ…… 』
彼が何かを言いかけていたが、聞き返す前に僕の視界が歪む。またいつもと一緒だ。
『百瀬!百瀬!出席番号37番、百瀬優希!聞いてないのか?百瀬!! 』
気付くと僕はまた数学の授業を受けていた。そして、例外なく右隣の女の子がまた心配そうに僕の様子を伺っている。
『百瀬さん…… 』
「聞こえてます!答えは528です! 」
いつもそうだ。和泉への対応をおざなりにすると夢の最初へと戻されてしまう。この世界の『クエスト』は彼がキーとなっていることが多い。僕としては彼のような人間が苦手なのに、関わらないという選択がない上に、彼は……
『百瀬さん、プリント、回収したいんだけど? 』
授業終わり、また上路さんが宿題のプリントを回収しに来たので、僕は慌てることなく机からプリントを出すと彼女に手渡した。不機嫌そうにプリントを受け取るとスッとその場を去った。
『もーもちゃん!! 』
来た、和泉。今回は背中からハグしてきた。ゾワゾワッと悪寒を感じつつ、彼に声をかけた。
「あの、和泉くん、それ、やめてくれない? 」
『なんで?俺達、恋人同士じゃん。 』
そう、この世界の僕は、この男と恋人関係にある女子高生なのだ。これがもう一つのこの夢の世界が嫌いな理由。もはや、ここは地獄だ。しかし、丁寧に進めていかないと最初に戻されてしまう。ここは現実ではない、夢の世界。気持ちを押し殺して、ゲームを攻略する感覚で過ごせばいいんだ。僕はそう言い聞かせながら、和泉に愛想笑いを向けた。





