亡者を娶《めと》りし若人は、亜細亜の闇へと呑まれゆく
独身のまま死んだ女性が生きた男性と結婚する「冥婚」という台湾の風習を知った大学生。彼は好奇心から、冥婚の婿になってみたいと思い、知り合いの台湾人女性に、そういう話があれば斡旋して欲しいと依頼する。
しばらく経った頃、期待していた冥婚の話が来たのだが、相手は何と、依頼した台湾人女性その人だった。しかも、亡くなった原因は、暗殺の疑いがあるらしく……
平凡な青年が、ふとしたきっかけで社会の暗部へとはまり込んでいくピカレスクロマンです。
とある深夜。僕は何の気なしにTVを観ていた。
流れていたのは世界の奇習を面白おかしく紹介する番組だったのだが、その時に取り上げられていたのが、台湾の「冥婚」という物だった。道に落ちている現金の入った赤い封筒を拾うと、隠れていた人達に囲まれて、独身のまま死んでしまった女性と結婚させられるという風習である。
台湾と言えば、中国との間で色々とあるにせよ、先進国並みに発達した地域だ。しかし田舎なら、昔の因習が残っていても不思議ではない。
包まれているのは結構な金額だというが、日本人でも大丈夫なのだろうか? 興味が湧いたので、翌日、知り合いの台湾人に聞いてみる事にした。
*
知り合いというのは、僕が通っている大学で事務員をしている、夜さんという女性だ。
入学当初、僕が奨学金の手続きで手間取っていた時に事務所でアドバイスを受けてから、
時々言葉を交わす間柄である。
学内では白衣着用で、ノーメイクの地味眼鏡女子。僕が入学した時には既に事務員だったから、何歳か上だとは思っていたのだが、後に三十五歳と聞いたときには驚いた。
何故か大学の皆は、音を延ばして「ヤーさん」と呼んでいた。任侠系の人みたいだが、当人は気にしていなかった。
朝イチで喫煙室に行けば、夜さんは割とつかまえやすかった。事務室は禁煙なので、始業前に一服つけるのが、夜さんの毎朝の日課だった。
銘柄は常にショートピースで、妙に年寄りくさい。両切りなんて、よく吸える物だと思う。
「冥婚って、よくオカルト関係で紹介されるけど。道に赤い封筒を落として拾われるのを待つというのは、尾ひれのついた俗説だね」
「え?」
「常識で考えてよ。どんな奴が拾うかも解らないでしょ? 亡くなってるとは言っても、娘婿を選ぶんだから」
夜さんに冥婚の事を尋ねてみると、意外な答えで少しがっかりした。だが言われてみれば、金目当ての与太者が婿では、死んだ娘に申し訳ないだろう。
一方で、風習その物は現実にある事が確認出来た。赤い封筒を落としておくというのがデマなら、どうしているのだろうか。
「なら、どうやって婿になる人を探すんです?」
「普通はツテだよね。おおっぴらに募集する様な物じゃないし」
「日本人は無理ですかね?」
「無理では無いと思うけど。君、冥婚の婿になりたいのかな?」
「バイトにどうかな、と思って」
「なるほどね。最近は、そういう古風な事をする家も少ないけど。もし、実家筋でそういう話があったら、紹介してあげてもいいよ」
「宜しくお願いします!」
夜さんのツテで冥婚を体験出来るかも知れないと、その時の僕はワクワクしていた。全く不謹慎な話だが、好奇心がうずいていたのである。
*
程なく前期課程が終わり、夏期休暇に入って一週間程たった頃。
スマホが鳴ったので画面を見ると、夜さんからだ。いよいよ冥婚の口が出来たのかと思い、ドキドキしながら通話に出たのだが、相手は夜さんではなかった。
「夜の母です。娘がいつもお世話になっております」
「ああ、はい。日本語、お上手ですね?」
「対日交易の会社を経営していますので」
「そうでしたか。ところで、ご用件は何でしょう?」
まさかの母親からの電話で、あらぬ誤解でも受けたのだろうかと、僕は少し焦ってしまった。だが、続いて聞いた言葉は、それどころではない凶報だった。
「実は娘が、帰省中に台湾で亡くなったのです」
「ええ!? 元気そうだったのに? 何があったんですか?」
「夜道で、ひき逃げにあいまして…… 犯人はまだ捕まっていませんが、当家の面子にかけて必ず報いを受けさせます」
「は、はあ…… お悔やみ、申し上げます……」
交通事故による人生のあっけない結末は、誰にでも起こり得る。不運だったとしか言いようが無い。
後から思い返すと、報復を示唆したこの時に気付くべきだった。だが、夜さんが亡くなったと聞いた衝撃で、そこまで気が回らなかったのである。
「ともあれ娘は、伴侶を得ないままに亡くなってしまいました。つきましては…… 貴方に冥婚の婿となって頂きたく、お電話を差し上げた次第です」
「あの、もしかして、夜さんから聞いてました?」
冥婚の説明をせずにいきなり切り出すという事は、僕が婿の口をバイトとして探していた事も知っていた筈である。
「はい。係累からご紹介出来る話があれば教えて欲しいと、娘が申しておりました。よもや、この様な形になろうとは……」
「バイト気分で、夜さんには不謹慎なお願いをしてしまいました」
「いえ。当人が見ず知らずの殿方よりは、お付き合いのあった貴方がふさわしいでしょう。本日から一週間の間、ご都合はいかがでしょうか?」
〝お付き合いのあった〟と聞き、やはり誤解されていたのかと、僕は追い詰められた様に感じた。こうなると、断るに断れない。
「わかりました。受けさせて頂きます」
「パスポートはお持ちですか?」
「はい。ビザとか、飛行機の予約とかはどうすれば?」
「日本人の短期滞在であれば、台湾への入国にビザは不要です。飛行機ですが、空港へ当家のプライベートジェットを廻します。必要な物は全てご用意しますので、身一つでお越し下さい。お昼過ぎ頃に、ご自宅へ迎えの車を向かわせます」
「はい、では宜しくお願いします」
プライベートジェットというと、個人所有のジェット機だ。
交易商と言っていたが、プライベートジェットがあるとなると、結構な富豪という事になる。夜さんの地味な格好を考えると、そんないいところのお嬢様には思えない。だが、セレブというのは存外そんな物なのかと、僕は妙に納得した。
僕は通話を切った後、冷蔵庫の中から消費期限の切れそうな物を集めて食事を済ませ、引き出しの奥にあったパスポートを発掘した。
身一つとは言っていたが、さすがに普段着という訳にはいかないので、スーツをタンスから出した。喪服はなかったので、持っている服でこれが一番上等な物だった。
まだ時間に余裕があったので、夜さんのひき逃げについて、ネットで検索してみた。現地では報道されているかも知れない。中国語を読めなくても、台湾のネットニュースには、日本語版を用意しているところもある。
それらしき記事は、すぐに見つかった。見出しには「台湾黒社会の重鎮の娘、ひき逃げにより死亡」とあった。
夜さんのフルネームと、事故の状況。そして、その親が台湾黒社会の首魁である事。ひき逃げは対立組織による暗殺の疑いが濃く、今後の抗争が激化するのではないかとの懸念が書かれていた。
夜さんの実家が犯罪結社の大物だった事自体は、さして驚きはなかった。僕の出身高校にも、暴力団の組長が親という同級生がいた位である。そういう人が他にも身近にいたというだけだ。
問題は…… 僕は冥婚の婿として、抗争が激化するであろう中へ乗り込む羽目になってしまった事である。しかし今更断ったら、それこそ何をされるか解った物ではない。
下らない好奇心から、僕は人生最大の危機に陥ってしまった……





