ラブ・ループ・エスケープ
田中コーイチが告白を受け入れると、宇宙から隕石が落ちてきて世界は滅亡し、10月1日に戻ってきてしまう。奇妙なループに陥ったコーイチは、告白を断りながらループの世界を生きていた。幼なじみかつ秀才、そしてコーイチのストーカーである本庄リサからの告白は、彼にとって頭痛の種。受け入れれば隕石によって殺され、断ればリサがコーイチを刺殺してくる。隕石か、ナイフか。頭を悩ませながら、コーイチは今日を生きる。
大学2年の春。
大学内のテラスで、田中コーイチは女子と向かい合っていた。
「私と、付き合ってください」
顔を真っ赤にして、彼女は頭を下げる。
彼女はコーイチが参加しているサークルの後輩だ。
話したことない。飲み会でせっせと働いているのを見て、気が効く子だとは思っていたが、それだけの印象しかなかった。
「ありがとう。気持ちは嬉しいよ」
コーイチはにこやかに微笑む。彼の笑みにつられるように、後輩の顔に笑みが溢れる。
「だけど、ごめん」
だが、彼女の喜びは脆くも崩れた。
コーイチは彼女を傷つけないように、慎重に言葉を選んで伝えていく。
後輩はしきりにうなずいてはいたが、耳に届いている様子はなかった。
要した時間はおよそ3分ほど。
コーイチにしてみれば短い時間だが、後輩からすれば長い3分だっただろう。
「そうですか」
涙を指でそっと払う。
深く息を吐くと、後輩は立ち上がった。
「すみません、変なこと言ってしまって」
「変なことなんかじゃない」
コーイチも立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。
「君の気持ちは本当に嬉しかった。ありがとう」
彼女は笑った。もっとも、苦笑じみた笑いだったが。
「忘れてくれていいですよ。別に」
後輩は彼の手を握った。
握手を交わし、彼女は去っていった。
その足取りは颯爽としていて、悲しみに苛んでいる様子はなかった。
彼女の演技かもしれない。
それでもコーイチは安堵し、椅子に深く腰を下ろした。
「告白でもされてたの」
悪夢が現実にあらわれたような、恐怖心をくすぐる艶やかな声。
その声を聞いたとき、彼は心臓が止まりそうになった。
恐る恐る声の方を見た。
「リサ」
本条リサ。医学部所属の秀才。
才色兼備の言葉をそのままに。美しい凛とした顔立ちと、理髪な頭脳を持つ女性だ。
「間抜けな顔をして、どうしたのよ」
リサは苦笑しながら、当然のようにコーイチの正面に腰を下ろした。
さっきまで後輩が座っていた場所だ。
コンビニの袋をテーブルに置く。
中に入っていたのは、スパゲッティだ。
おそらくも何も、大学近くのコンビニで買ってきたんだろう。
「いただきます」
行儀良く手を合わせ、彼女は静かに呟いた。
フォークとスプーンを袋から取り出すと、パスタを巻き取って口に運ぶ。
本場ではそれは無作法らしいが、幸いここは本場でもなんでもない。
彼女の食べ方を否定する妙な輩も、矯正するような暇人もいなかった。
「さっきの子、サークルの後輩くんでしょ」
彼女は年下や後輩には、性別を問わず、くんづけで呼ぶ癖があった。
コーイチが頷くと、リサは悪戯っぽく笑った。悪い予感がした。
「で、どうなのよ」
コーイチは首を傾げる。
どうしてわからないの。
彼の無理解を責めるように、リサは目を細め、眉間にシワを寄せる。
「告白されたの、それともされなかったの」
肘をついて、リサが彼の顔を覗いてくる。
ここでとぼけたとしても、彼女の情報網をもってすれば、遅かれ早かれ彼女の耳に入るだろう。
とはいえ、ベラベラと喋ってしまうのは後輩に申し訳ない。
コーイチは迷いながら、念入りに釘を刺して、告白の事実を認め、それを断ったことを伝えた。
「ふーん。そう」
リサは頬杖をつきながら、テーブルを指先で叩く。
とん、とん、とん。一定のリズムで赤いのネイルが上下に動く。
「じゃあさ、仮の提案なんだけど」
彼女の指のリズムが崩れた。
そわそわと落ち着きなくテーブルを叩く。
リサの顔には、似合わない朱色が浮かび始めた。
甘酸っぱい予感。コーイチの背筋に冷たいものが走った。
「私が、後輩くんの代わりになれないかしら」
どういう意味だ。きっと彼女はそういう言葉を望んでいる。
言葉遊び。青春にふさわしい、まどろっこしい掛け合い。
コーイチはため息をつくと、疲れた笑みを浮かべて言った。
「どういう意味?」
餌を待ちわびた猫の如く、リサは目を見開き、唇を蠢かせる。
あまり時間をとらせてくれるな、一思いに言ってくれ。
コーイチは奥歯を噛みしめ、彼女の言葉に耳を傾けた。
「私と、付き合ってくれないかしら」
「俺で良ければ」
コーイチはリサの手の甲にそっと手を置いた。
彼女は体をびくりとさせたが、すぐに安堵の笑みを浮かべた。
何てことない青春の1ページ。
特典には、大袈裟な代物が用意されている。
それを、コーイチは知っていた。
外から聞こえる異様な音。
目を向ければ、空から巨大な岩が降ってきた。
隕石だ。
どこかの生徒が、うわごとのように言う。
赤く輝く隕石は轟音を響かせ、空気を切り裂き落ちてくる。
隕石が見知った景色を、街を埋め尽くしていく。
街へと接地した瞬間。眩いほどの光が窓を覆い隠す。
来たる衝撃。来たる熱波。
何度となく見た終わりの光景。
諦めを覚えながら、コーイチはまぶたをそっと下ろした。
アラームの音が、コーイチの鼓膜と寝ぼけた頭に響いた。
めんどう臭く薄目を開けて、枕の下に手を滑り込ませる。
使い込んで4年目のスマホ。すっかり古臭くなった型の画面が光る。
10月1日 午後4時24分
寝癖でとっちらかった髪をかきながら、コーイチはベッドから立ち上がる。
6畳一間の狭い部屋。
玄関から部屋をつなぐ廊下に、キッチン、風呂場、トイレが用意されている。
首にタオルをひっかけて廊下に出ると、冷えた空気が肌を撫でた。
キッチンの流しの蛇口を捻り、水を出す。
両手に水をためて、顔にしぶきをぶつける。
タオルで顔を拭き、寝ぼけた面をシャンと整えた。
10月1日。秋も盛りになり、冬の足音が聞こえてくる頃。
コーイチの奇妙な運命が始まった。
これまでに101回。先程の絶滅で、数えて102回目になる。
シェーバーを起動させ、髭をそる。
風呂場の鏡に映る彼の顔が、しゃくれ、鼻を伸ばし、顎を上向け、縦横無尽に変貌する。
102回のループで、彼は何度も死を味わった。ほとんどはあの隕石のせいだ。
隕石は彼が告白を受け入れた時に限って、空の彼方からやってきて、世界もろとも彼の青春を台無しにしてくれる。
何の恨みがあるかは知らないが、あの隕石はどうもコーイチの幸せを、ぶち壊したくてならないようだ。
髭を剃り終え、シェーバーのフィルターを外す。
用意していたティッシュの上に髭を振り落とす。細かくなった小さな髭が、ホコリのようにティッシュの上に降り積もる。
けれど隕石による死はそこまで怖くはない。
死ぬときに痛みはないし、原因もはっきりしているから心の準備もできる。
告白という青春の楽しみを不意にすれば、対策の立てようもあった。
とはいえ、死を克服したという気は一切しなかった。
ループできるからといって、死に慣れることはないし、死は相変わらず怖い。
できることなら避けるにこしたことはないのだ。
バイト先の制服と下着をリュックに詰めて、彼は外に出る。
鍵を閉めてアパートを離れた。
そろそろだろうか。
アパートを離れて5分ほどがたったころ。
何気なくを装いながら、コーイチはスマホを開いた。
カメラアプリを起動。インカメラを自分の背後に向ける。
いた。
電柱の影。そこに隠れるように立っている、1人の女性。
リサだ。彼女は熱心にカメラを弄り、こちらにレンズを向け、シャッターを切る。
そして満足げにカメラのディスプレイを眺めてから、コーイチの後を追ってくる。
彼女のストーカー行為に気づいたのは、ちょうど50回目。
リサの告白を断り、彼女に刺し殺されてからだった。
リサはコーイチを好いている。
しかし、その愛情がどこで歪んだか、異常な執着心と嫉妬を生み出した。
『あなたは私だけのもの。他の女になんて、渡すものですか』
20回目の殺害において、ようやく殺害の真意をコーイチは聞き出した。
もっとも、そのときには彼の胸にはハサミが突き立っていたのだが。
素早くスマホをしまい、さも気づいていない風を装って、彼は歩き続ける。
運命はとことん、彼の幸福を邪魔したいらしい。
隕石に殺されるか、リサの執念に殺されるか。
コーイチはいかにして生き残るかを、もう何百回と考え続けてきた。
そしてまた、考える日々が始まる。
だが、今はバイトだ。
今日という日が無事に終わりますように。
ウンと背筋を伸ばし、コーイチは少し、足を早めた。





