003「忌み子は割とあざとい」
陸は、匠の風呂を忍に頼むと、玄関の外に出た。
「すみませんね、団らん中でしたか」
「そんなこたぁいい。……どうやって入ってきた。お前らにはうちの結界の中に入ることはおろか、その存在すら認知出来ないはずだ」
「訪問者が敵対心を持っていた場合、ですよね。ご安心ください、今の私には敵意はありませんよ」
そう言って腕を広げた清末からは、確かに敵意を感じ取ることは出来なかった。
「だとして、何のようだ」
「説明に。気になるんじゃないですか? さっきの連中のこと」
「陰陽寮じゃねえのか?」
「そのあたりの説明をしたいと思いましてね。なに、親切心でも何でもありません。お伝えすることは、こちらにもメリットのあることなのでね」
「……聞こう」
野本家の玄関を出た所は少し余裕があり、行楽やちょっとしたピクニックに使える、折り畳み式の机椅子一体型のテーブルがある。
陸がその椅子に腰を掛けると、テーブル全体がぎし、と鳴った。
「座っても?」
「……ああ」
清末がその対面に座る。そしてコートのポケットに手をやると、中から缶コーヒーを二本出してきた。
「どうぞ。すぐそこの自販機で買ったばかりだからあったかいですよ」
「……」
前に置かれた缶コーヒーを開け、陸は清末を睨みながら一口飲んだ。
机に置いた缶がことん、と音を立てたのをきっかけに、口火を切ったのは陸だった。
「……で、さっきのはどういうことだ。アイツらは陰陽寮じゃないのか?」
「違います。……現在は、ですが」
「まだるっこしいな」
「彼らも元は陰陽寮の人間でした。今の彼らは“陰陽真寮”と名乗っています。彼らとは思想を違えて袂を分かつことにはなりましたが、かつての同僚という意味では先輩、あなたと一緒ですよ」
「……」
「我々の目的は先程も言いました。忌み子を封印することで日本の崩壊を防ぐ」
「やらせる気はねえけどな」
「対して彼らの目的は過激です」
そこまで話すと、清末も缶コーヒーを口にする。
「もったいつけてんじゃねえよ。早く先を話しやがれ」
「……“忌み子の呪いを発動させ、一度日本を崩壊させた後に新しい理想郷を作り上げる”こと」
「なんだと……?」
「彼らは今のこの国に大きな不満を持っています。それを解決するのはもはや不可能、それならば一旦全てを破壊し、新しく生まれ変わることが必要だという思想をもって活動しています」
「生まれ変わる?」
そう尋ねる陸に、清末は小さく苦笑する。
「王政復古です。しかも、彼らの選ぶ王を頂点とした、ね」
「……早い話がクーデターか」
「だいぶざっくりしてますが、まぁそういうことです。さっきの彼らはその尖兵ですが、下っ端の彼らは、実際にはただ暴れたいだけの暴徒と変わりません。思想よりも欲望を満たすことが大切な連中です」
「……なるほどな」
陸はそう呟いてコーヒーを一気に飲み干した。空になった缶を、特に力を入れる様子もなくクシャっと潰す。
「それ、スチール缶なんですけどね」
「癖でな。……つまり、アイツらはお前らにとっても敵ってことか」
「そういうことになります。正直、彼らに動かれる前に忌み子を封印したかったんですがね。そういう訳にもいかなくなったようだ」
「当たり前だ。匠を封印だの殺すだの、この俺がさせる訳ねえだろう」
「そう言うとは思ってましたよ。……さて、そろそろおいとまします」
清末はそう言って立ち上がった。そのまま出て行こうとした時、不意に陸が声を掛けた。
「聞きたいことがある。……なぜ今更手を出してきた?三年間放置してたのによ」
「放置してたわけじゃありませんよ。発動に必要な場所を割り出すのに時間がかかりましてね」
「……」
「“然るべき時”がまだ判明していない今、忌み子を一番安全に生かしておけるのは、我が陰陽寮以外にありません」
「……」
「一応、あなたと真っ向からコトを構えるつもりは、今の陰陽寮にはありません。あくまでも合意の上で忌み子を封印したいと、そういう意向だというのは理解しておいて下さい」
「おためごかしをぬかすな」
「……ま、陰陽寮としては、ですけどね。――政府の狗ですから、我々は」
そう言い捨てて立ち去る清末の背中を、陸は苦い顔で見送っていた。
――・――・――
翌朝。
陸は、顔への違和感で目が覚めた。
「……きーて、とーちゃんあさだよー、おーきーて!」
「ん……んん!? ふがっはっ!!」
鼻の中にあった異物を抜く。
それは、今まさに目の前でニコニコ笑っている匠の親指だった。
「とーちゃん、おっきちて?」
「おぅ、するする、だからまた指入れようとすんなっ」
心なしかヒリつく鼻をおさえながら、陸は布団を這い出した。
「かーちゃんもう起きてんのか?」
「かーちゃんごはんちゅくってるの」
「そっか。……んー」
陸が布団に座った姿勢で大きく伸びをした。匠もそれを真似て、小さい体を目一杯伸ばしている。
その様子につい頬が緩んでしまうが、陸はあえて厳しい顔をしてみせた。
「匠、危ないから寝てる人のお鼻に何か入れるのはもうなしな?」
「……あい」
陸にたしなめられた匠は、途端にしょぼんと涙目になる。
「今日もお豆腐メンタルだなぁおまえは……」
そういう年頃ということだろうか、最近の匠はちょっと何かを注意されたり叱られたりすると、すぐにベソをかく。本気でないのは百も承知だが、それでも陸は、罪の意識に苛まれ、つい甘やかしては忍に叱られていた。
「匠」
「う……」
「ほら、抱っこ」
そう言って腕を広げる陸に、匠は飛び込む様に抱きついてくる。
――こんな小さな命を取るの取らねえのと、ふざけるんじゃねえぞ……。
匠を抱き上げながら、陸は昨日の出来事を思い出していた。
「匠、お前がどんなに俺を嫌っても、疎んでも、とーちゃんが絶対守ってやるからな」
「たくちゃん、とーちゃんだいちゅきだもーん! ねー!」
「……そうだな」
陸たちの寝室は二階にある。
普段は忍と匠が二人で寝ているが、時おり、匠の気分次第で「とーちゃんといっちょー」と、枕を陸の部屋に持ってくることがあった。
昨夜はまさに、そういう日であった。
「じゃあかーちゃんにおはようしに行こうな」
「あい!」
陸はひょい、と匠を肩に担ぎ、階段を下りる。匠は楽しそうに手足をぱたぱたと動かしていた。
「あ、おはよう。ご飯できてるよー」
「おお、すまねえ。おはようさん」
「かーちゃん! とーちゃんおっきちたよー!」
階下に下りた途端、ぷんと香る味噌の香り。
レンジの電子音が鳴り、食器の音が気ぜわしく響く。
湯気の立つ白飯に匠は目を輝かせ、いただきますももどかしい様子でパクつき始めた。
いつもと変わらぬ朝の風景。
だがその日を境に、彼らの日常は、非日常と取って代わられることになるのだった。
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