001「狙われた忌み子」
――幼き者よ。国家安寧の礎となれ。
仄暗い男の呟きが、夕焼けの空に溶けて、消えた。
冷たい風が春の香りを運んでくる。とある住宅街の小さな公園では、大小2つの人影が楽しそうに遊んでいた。
親子だろうか、小さい方がちょこまかと動き回り、大きい方はゆったりと後を追っている。大柄で筋肉質な男と、小さな男の子の取り合わせは、逆に妙にしっくりくるものがあった。
「とーちゃん、みてみてー!」
「おう、もう一人でいっぱい滑れるようになったんだなぁ、すげぇな匠!」
「うん!」
匠と呼ばれたやんちゃ盛りの男の子は、小さな王様のようにすべり台を独占してご満悦である。その小さい胸には、近くにある保育園のワッペンを付けていた。
「そろそろ暗くなるなぁ。おーい、帰るぞ匠ー」
「えー、やぁだー、たくちゃんまだまだあちょびたいもーん」
「もーんじゃなくてよ。かーちゃんご飯作ってくれてるから、帰って一緒に食べようぜ?」
「やったぁ! ねーとーちゃん、だっこちて?」
父親は苦笑した。
「しょうがねえ甘えたちゃんだなぁ」
ベンチに置いたリュックサックを背負うと、空いた左腕に匠を座らせるようにしてひょい、と抱きあげる。
「よし、じゃあ行くか。今日のごはん、なんだろうな?」
「たくちゃんカエーアイチュがいいなー」
「カレーライスか。じゃあ今日ちがうのだったら、明日お願いしてみるか」
「おっけー! ごーごー!」
言葉を交わしながら公園の出口に向かう。
匠と呼ばれた男の子は満面の笑みを浮かべ、父親もそれに笑顔で応えている。
ふいに視線が気になった父親が前を向く。すると公園の出口には、黒いスーツの男が三人、彼らを出迎えるように立っていた。
「仙術師、野本陸さんですね」
「……? 何のことです?」
匠が何かを察したのか、父親の首に回した手に力が入る。
そんな匠の頭を撫で、父親が訝しげに応えた。
「……どこかでお会いしましたっけ?」
「おとぼけは無しですよ」
真ん中に立つ、ひときわ背の高い男が、被っていた中折れ帽を脱ぐ。精悍な顔立ちだが、まるで蛇のような冷たい笑顔が不気味に見える。
「お久しぶりです、野本先輩。“陰陽寮”の清末です」
「……清末か!」
訝しんでいた陸の顔がぱっと明るくなった。
「久しぶりだなぁ! 元気だったかよ!」
「おかげさまで。……ところで、今日は用がありましてね」
「おう、何でも言ってくれ、出来る限り協力するぜ」
「……では」
清末が右腕を上げると、両側に立つ男たちが一歩前に出た。
いつの間にか、そよいでいた風が止んでいる。
「貴方が抱いているその忌み子を引き渡していただきます」
「……なに?」
「……然るべき時、然るべき場所にてその子の命を絶てば、日本全土に巡る龍脈が暴走し、文字通り日本は“沈没する”」
「……」
「先日、その“場所”が判明しました。従って“内閣府特別呪術対策室”、つまり我々“陰陽寮”は、忌み子である野本匠を異界に永久封印、日本沈没を回避します。ご賛同いただけますね? 元政府認定仙術師筆頭、野本陸さん」
すぅ、と清末の目が細くなる。
それは、かつての同僚を見る目ではなかった。
「断る」
「政府を敵に回してもですか」
「無論だ」
「……そんなに大事ですか、その忌み子が」
清末の顔から、張り付いたような笑顔が消えた。
「そんな、戦略級の爆弾のようなバケモノが。……しかもそれを産んだ野本桜は、その場で命を落としている。貴方の愛した女だったのでしょう?」
清末は再び薄い笑みを浮かべる。
「それのどこに、貴方が政府を裏切るだけの理由があるのですか」
「てめぇの知ったことじゃねえ」
「……そうですか」
清末は上げていた右腕を陸たちに向けた。そして、
「強奪捕縛。急急如律令」
「跳!」
二人の男が陸たちに迫る。手にはそれぞれ、刃渡り20センチはあろうかというナイフを持っていた。
二人が同時にナイフを突き出してくる。
が、既にそこに陸はいなかった。
匠を抱いたまま大きく後ろに10数メートル程跳躍する。代わりに、さっきまで彼がいたところには“空間の歪み”が残っていた。
「とーちゃん、こあいよ……」
「大丈夫。とーちゃんが絶対、守ってやるから。な?」
「うん……」
顔を埋めるように抱きついてくる匠の背中を、陸は優しく二回、撫でるように掌を当てた。
「……にしても、いきなり式神かよ。えげつねえな」
「……仙術か」
一足早く追いすがって来た式神に、陸が右後ろ回し蹴りを放つ。かろうじて避けた式神だったが、陸は更に速い左回転回し蹴りで追い打ちをかける。吹き飛ばされた式神は、公園のジャングルジムに背中を強打した途端、一枚の人の形をした紙になり、地面に力無く落ちた。
「己の力を限界以上に引き出すのが仙術、でしたか。……相変わらず逃げ足が速い」
「ふん、そっちの木偶の坊が遅えんだよ」
そう言い捨てた陸が清末を見据える。
「……確かに俺は以前、政府認定仙術師だった。陰陽寮に棲むお前らと一緒でな」
「そうですね」
「だが、今は違う」
「……ほう」
「理由と言ったな。教えてやるよ」
陸は清末を睨みながら、にぃ、と口角を吊り上げた。
「匠が、俺とアイツの息子だからだ。他に理由なんて必要ねえ。政府だろうが世界だろうが、敵に回るなら容赦はしねえ。コイツに手ェ出すなら、相応の覚悟は決めとけよ」
言いながらも陸は内心、清末の術に舌を巻いていた。
――動くまであいつらが式神だと気付かなかった。清末の野郎、数年前とは段違いだな。
ならば、と陸は考える。
――匠を巻き込むわけにはいかねえ。ここは逃げの一手だ。
「匠、“ぎゅ”!」
「ぎゅー!」
陸の声に素早く反応した匠は、改めて陸の首にしがみつく。
「よぉし、そしたら目ぇつぶってみっつ数えてな」
「んっ!」
匠を左腕に抱いた陸は、目を閉じる様に小さく笑った。
鋭い目が、ほんの一瞬だけ慈愛を帯びる。
そうしながら、空いている右の掌を何度か開き、また閉じてを繰り返すと、開いた掌を前に突き出し、匠に声を掛けた。
「おし、いくぞ! せーの!」
「いーち!」
陸の右掌を中心に、空間が歪んでいく。それが安定したところで一旦腕を引き、全身の力をその拳に溜めた。
「にー!」
「砲!」
叫ぶと同時に、歪みの中へ右拳を突き入れる。
腕が歪みに消えたと同時に、式神の目の前に、消えたはずの陸の拳が出現していた。
「……!」
「しゃーんっ!!」
「砕!!」
陸の拳が式神の身体を突き通る。と同時に突かれた人型は崩れ、風に消えた。
奇襲によって二体目の式神を粉砕した陸は、間髪を入れず、清末のいる出口に向かって走り出した。
「くっ……!」
「遅え!」
慌てて呪符を取り出す清末だったが、その時には陸は既に、彼の目の前に迫っていた。
「縛!」
陸がそう吼えた途端、清末は動けなくなる。
「な、何を」
「影を踏んだんだよ。心配すんな、日が沈みきったら影も消える。それまでは大人しくしてろや」
「……流石、というところですか」
「仙術師を甘く見るなよ、清末。陰陽師の知らない技なんて幾らでもあるんだぜ」
「……困りましたね」
「分かったら犬小屋へ帰りな」
「公務なのでね、そうもいきません」
「そうかい。だったら精々ご主人に尻尾振ってドッグフード食って力つけてきな」
「……野良犬に落ちぶれた割に言いますね」
「ぬかせ」
そう言うと、陸は悠々とした足取りで公園を出る。
陸が一度だけ振り返ると、清末は最初に見た無表情で、陸達を眺めていた。
帰りの道はすっかり暗くなり、住宅街だと言うのに人の姿はなかった。
しばらく歩いた陸は、もう家が見えるかというところまで来ていた。
「……怖かったな、匠」
「こあかったの」
「もう大丈夫だ。……おうち帰ってかーちゃんのご飯食べような」
「うん……」
不安そうな声を出してはいるが、震えてはいない。
恐らくいきなりな状況で、訳がわからないのだろう。
陸はそれを、かえって助かったと感じながら、匠の背をゆっくりと撫でた。
「とーちゃん、あのおじちゃんだぁれ?」
「むかぁしのな、とーちゃんのお友達だ。……喧嘩しちゃったけどな」
「しょーなの? ごめんなしゃいちた?」
「匠……」
目に涙をいっぱいに貯めながらそう訊ねる匠を見て、陸は一瞬言葉につまった。
「……まだだよ。まあそのうち、な」
「うん。……まだだっこちてていい?」
「おう、いいぞ。……さて、帰って飯食ったら風呂でも入って……匠っ!」
急に陸が叫び、同時に匠を庇うように抱える。
それは明らかに匠に向けて放たれていた。匠を庇う陸の肩に突き刺さったそれは、へにゃりと力なく垂れ下がった。
「……呪符?」
見れば陸達の前、何もない空間に闇そのもののような何かが集まっている。
それはウネウネと蠢き、複数の人の形を成しはじめていた。
その中心には、恐らく呪符を投げた人物だろう、背の低い小太りな人影がある。
「……ケヒッ」
「……新手かよ」
陸は内心焦っていた。
清末は今頃回復した頃だろう。ここでもたついていると追い付かれてしまう。
自宅には仙術を用いた特殊な結界を張っている。そこまで辿り着いてしまえば、彼等には家を認識すら出来ない。
後たった50メートル先の、小さな一軒家。
その距離が、遠かった。
「そのガキかぁ……。とっとと渡せぇ……」
「馬鹿の一つ覚えだな。渡さねえよ、コイツは俺の子だ」
「……なら死ねぇ!」
小太りの男が腕を振り上げる。それに合わせて、人の形の闇がウネウネと陸達に近づいて来た。
「とーちゃん……」
「仕方ねえ、一旦下がるぞ……?」
距離を取るため後ろに逃げる。
その時、陸の背筋に冷たいものが走った。
はっとして振り返ると、そこには。
「遅かったか……っ!」
清末が無表情のまま、滑るように走り迫っていた。
のんびり更新していく感じになるかと思います。
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