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ルナールがニースの屋敷から自宅へ戻ると、すでにシュヴァルベが帰ってきていた。
シュヴァルベは、作業台の上に粉を広げ、まるで陶芸家のような手つきで、発酵させた生地を捏ねている。
一旦部屋に移動し、ハンドバッグを置いてカジュアルウェアに着替えてから、ルナールはキッチンへ戻って来た。そして、予熱したスチームオーブンに生地を入れ、ゼンマイ式のタイマーをセットしたばかりのシュヴァルベに声を掛けた。
「荷物をまとめてると思ってたんだけど。汽車に間に合わないわよ?」
「大丈夫、大丈夫。あらかたリュックサックに詰め込んだから、あとはパンが焼き上がるのを待つだけさ」
「あら、そう。オンサさんには、明日の朝に着くことは伝えてあるんでしょうね?」
「おう、もちろん。昼休憩中に、職場から掛けた」
「電話を借りたのね。すぐに了承してくれたの?」
「どっちが? オンサか? それとも所長か?」
「前者だけど、所長さんに電話の使用を禁じられるようなことでもしたの?」
「所長の名前でドーナツを人数分買って、あとでバレたことならある」
ぬけぬけと武勇伝のように語るシュヴァルベに、ルナールは呆れつつ、話を軌道修正する。
「それで、オンサさんからは何と言われたの?」
「けっこう長話したけど、たしか、冗談半分なら顔の輪郭を変えてやるって脅されたな。あと、馬鹿って言ったほうが馬鹿とも」
「……寄宿学校から出直してらっしゃい」
「なんでだよ!」
「当然でしょ。デートに誘っておいて、どうして、そんな物騒な言葉が飛び出すのよ」
「それが彼女の面白いところじゃないか。ちょっと褒めると、すぐ語彙を失って不器用な照れ隠しをするのさ」
どこに可愛げを見出だしてるのやら。ルナールは、にわかに痛くなってきた頭に片手を添えつつ、ディナーの席での話を伝える。
「タイミング的に、ちょうど入れ違いになると思うんだけど、来週、私も遠出するからね」
「おお? どこへ行くんだ?」
「共同墓地よ。いつもなら、ニース様お一人で行かれるんだけど、今年はガッタちゃんがいるから、子守役として同伴するの」
「あぁ、そうか。もう、そんな季節なんだな」
どこか湿っぽい空気が二人の間に流れたところで、それをかき消すようにタイマーがジリジリと音を立てた。
シュヴァルベは、赤いタータンチェックのミトンを両手にはめ、慎重にオーブンを開けた。




