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すべてのシーツを敷き、ベッドメイクを終えたルナールとガッタは、その足でキッチンへ向かった。
が、今夜の献立に子供が手伝えるような工程は無かったので、ガッタは書斎へ移動した。
書斎の中では、ニースがデスクに向かい、便箋にペンを走らせていた。
「トントントン。くろねこゆうびんでーす!」
ガッタが口でノックの音を言いながら、ドアを開けて書斎へ入ると、ニースは手を止め、ペン先をインク壺の中へ浸した状態で立てて置いた。
「おや。ルナールのそばへ居なくて良いのかい?」
「きょうは、そざいのあじをいかすほうこうなの。だから、おやさいのこえがきこえるルナールにおまかせしてきた」
「そうか……」
ルナールが一体どういう例えを持ち出したのか、ガッタの発言だけではサッパリ見当もつかないニースだったが、しばらく待てば答えが分かるだろうと考え、深入りしないことにした。
ガッタは、机の端に、麻紐やら燭台やらと並んで、まるでチョコレートのような光沢がある細長いブロックが置かれていることに気付き、指差して質問した。
「これ、なぁに? おいしそう」
「それは、シーリング用のワックス。菓子のような見た目をしているが、食べ物ではない」
「なんだぁ、ガッカリ。なににつかうの?」
「手紙を送る際に、途中で第三者がみだりに開けることがないよう、封筒の綴じ口を緘印するのだが……」
ニースは、話の途中でガッタがポカーンと口を半開きにしているのに気付き、言葉で説明するより、やって見せた方が手っ取り早いと判断した。
「まぁ、百聞は一見に如かずだ。実演してみせよう。火を使うから、決して机の上に身を乗り出したり、手を置いたりしないように。いいね?」
「はーい」
ガッタの返事を聞いたニースは、書き損じて反故にする予定だった紙をガッタの目の前に置き、その横に燭台や薬匙などを並べた。
そして、まずは薬匙を紙の上に置いてから、ナイフとワックスを持ち、ワックスの先を鉛筆のように削り、薄片を匙の窪みに落としていく。
続いて、燭台をその近くに寄せて置き、懐からマッチを取り出して火を点け、使い終わったマッチは軽く振って火を消し、ガラス製の時計皿の上に置く。
紙の端を三角に折って指で軽く押さえながら、ニースはガッタに対し、必要な説明を加える。
「ここが封筒の綴じ口だと想定するよ。いいかい?」
「わかった。そこが、ふうとうのおくちね」
ニースは、ガッタが仮定を理解したと考え、指を離し、その手に薬匙を持って蝋燭の火に翳した。すると、固形だった封蝋が、じわりじわりと形を失っていき、しばらくすると粘度の高い液状になってきた。この変化に、ガッタは目を瞠った。
「わぁ~。ドロドロになっちゃった」
「もう、これくらいで良いだろう」
薬匙を持った、その先を折った紙の三角になっている部分の頂点の真上に持って行き、融かしたワックスを垂らした。そして、蝋燭の火を吹き消しつつ、真鍮製のスタンプを手に取り、コイン大のアメーバ状になっているワックスの上に押し付けた。
「あっ! ペッチャンコにするのね」
「……よし」
スタンプを慎重に持ち上げると、表面が固まり始めたワックスの上に、蔦か蛇でも絡まり合ったような複雑な模様が浮かび上がった。
ガッタは、紙面を睨むように見つめ、十秒ほどシンキングタイムを経て、首を捻った。
「うぅ。なんだか、あたまがこんがらがりそう」
「ははっ。これは、ガニュメデス家の印章でね。しばらく放置すると完全に固まるんだが、そうなれば、折った紙を平らに戻すには、このワックスを割るしか方法がなくなる」
「あっ。だから、だれにもよめないのね?」
「そういうこと」
このあと、ニースがスタンプは家ごとに違う意匠が施されていること、サインによる筆跡鑑定だけに頼るより明快で確実であることなどを説明していると、ルナールがディナーの用意が整ったことを報せにやってきた。




