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「へぇ、ガッタっていうか。改めて、よろしくね」
「ふふっ。さっきぶりだね、フィーユ」
「なんだ。ここへ来る前に会ってたのか」
「えぇ。さきほど、ゲストルームの窓辺で、ガッタちゃんと話し込んでいました」
ルナールが状況を説明すると、ニースは向かいのソファーに座るフィーユを一瞥してから、ガッタにフィーユのことを紹介した。
フィーユの本業はガラス職人だが、仕事とは別に慈善団体を手伝っていて、こうして資産家から寄付を募って回っていること。そうして集めた寄付は、窓の無い家に無償で窓を設ける活動に使っていること。さらには、フィーユの実家が宝石商を営んでる関係で、フィーユには貴金属の鑑定を行なう資格があること。そうした内容を、ガッタの理解力に合わせ、ニースは丁寧に伝えた。
「どうして、まどがないおうちがおおいの?」
「良い質問だね、ガッタ!」
待ってましたとばかりに、フィーユは自分たちの運動について、得々と話し始めた。
全セリフを一字一句書くと長くなるので、要約だけを記す。
その一。現在のように金貨や銀貨による徴税が行われる前は、家の窓の数を見て、徴税官が穀物を集めて回っていた。そのため、市民たちは、なるべく租税が安くなるよう、こぞって窓の少ない家を建てるようになった。
その二。半世紀ほど前に起きた戦争により、市街地の住宅事情が悪化した。戦火を潜り抜けた市民たちは、損傷の少ない家に身を寄せるようになり、一つの家を複数の世帯で棟割りにしたり、倉庫や小屋として使われていた建物を家として改造したりするようになった。
その三。蒸気機関の発展により、スチームエネルギーを活用した器具が普及し始めたが、キッチンやリビングに窓が無い家では、換気用の窓が不足するという事態が問題となってきた。行政が抜本的に改善できれば良いのだが、治水や道路、警察、消防などの整備で手一杯で、なかなか個人住居の整備まで行き届いていないのが現状である。
「そこで、あたしたちが草の根レベルで、窓を開く活動をしてるってわけ」
「へぇ~。すごいね、フィーユ!」
「へへっ。まぁね」
フィーユは自慢げに指で鼻をこすると、ローテーブルに置かれた紅茶にティースプーン山盛りの砂糖を入れ、かき回してから喉に流し込むように一気飲みした。
見慣れないガッタは、喉を火傷しないかと心配し、見慣れているニースとルナールは、呆れた様子で眉を顰めた。そんな三者の反応など気にも留めず、フィーユは本題に入ろうとした。
「で、旦那にお願いがあるんだが……」
「わかっている。些少ながら、協力しよう」
「ホッ。話が早くて助かる」
交渉がまとまったところで、フィーユは肩の荷が下りたとばかりに脱力し、両腕を広げてソファーの背もたれの上部分を持ち、そのまま天を仰いだ。
「さしょうながらって、どういうこと?」
「ほんのわずかだけれど、という意味よ、ガッタちゃん。申し訳なさを出したい時に使う言葉なの」
「なるほど。それじゃあ、わたしも、さしょうながらする!」
ガッタは、頭の右上に結んでいるリボンを解くと、立ち上がってフィーユが凭れているソファーの後ろに回り、オールバックに流れている前髪をひと房掴み、蝶結びにした。
フィーユが頭を正面に戻すと、ニースとルナールは視線を外し、口元を手で覆いながら肩を震わせた。
「ガッタ。あたし、今、どんな頭してるんだ?」
「とってもかわいくなってる! フィーユ、リボンにあうね」
「……そっか」
満面の笑みを浮かべるガッタを悲しませたくないと思ったフィーユは、結局、帰り際までリボンを解かずにいるしかないのであった。




