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温室内は冬場と違い、朝から換気用の窓が開かれ、新緑の息吹を感じる爽やかな高原の風が通り抜けている。
畝に並ぶ薔薇たちも、葉を茂らせ、茎を伸ばし、青紫の蕾を見せている。
ニースは、じょうろで水をやりつつ、一ヶ所に蕾が集中しすぎていないか確かめて回っている。すると、別の畝で水やりをしていたガッタが、手を振りながらニースに知らせる。
「あっ! ここ、咲いてるよ」
「どれどれ。あぁ、本当だ」
この雪原の紫薔薇は、一般的な草原の赤薔薇より茎が長く、葉や花は、ひと回り小さいという特徴がある。
ガッタが見つけた蕾も、ようやく花弁が開きかけたばかりで、満開までには、あと三日前後の時間が必要であろうと予想される。
「ちっちゃくて、かわいいおはなね。いいかおりがする~」
「雪に埋もれないように、そして貴重な水分が蒸発しないようにするため、全体的に小振りに出来ている。また、花を蒸留して採取できるオイルは濃度が高く、芳醇な香りがするのが特徴だ」
ニースが説明するのもお構いなしで、ガッタは瞳をハートにして薔薇に見入っている。
すると、そこへルナールがやってきて、ニースに声を掛ける。
「ニース様。手紙と小包が届いてますよ」
「あぁ、わかった。すぐに向かう」
ニースは、空になったじょうろを作業台の上に置き、ペンを取り上げてインクに浸し、二つ三つノートに数字を書いてから温室を出た。
温室を出たニースは、ルナールに質問する。
「小包は、どこからだい?」
「マーケットの靴屋から。店主からのメッセージカードも一緒です」
「もう出来上がったのか。どこに置いてある?」
「ひとまず、応接間に。書斎へお持ちしましょうか?」
「いや、その必要は無い。ガッタを呼んでくるから、先に行って、自分の靴を履き替えると良い」
「承知いたしました。では、お先に」
ルナールは、いつもと変わらぬ調子で恭しく一礼して立ち去った。だが、その後ろ姿を見れば、尻尾の揺れ具合で、出来上がった靴に期待感を持っていることが分かる。
ニースは、温室へ戻り、ガッタに声を掛けようとした。しかし、さっきまで興味津々で眺めていた薔薇の前に、ガッタの姿は無かった。ニースが首を傾げると、肥料の袋の陰に隠れていたガッタが飛び出し、ニースの背中に抱きつく。
「バァッ!」
「オオッと。そこに隠れていたのか」
「ふふっ。びっくりした?」
「あぁ、驚いたよ。だけど心臓に悪いから、突飛な行動は慎んでくれ」
「とっぴなって、どんな?」
「いきなり、だしぬけに、予想が出来ないといった様のことだ」
「ニースは、サプライズが嬉しくないの?」
「ここ何年も誰かに驚かされることが無かったから、どうにも慣れなくてね。それより、この前に注文した靴が届いたようだ」
「えっ、ホント? わ~い!」
「待ちなさい。靴があるのは、応接間だ」
ニースは、勢いよく靴を脱いで走り出したガッタを、散らかした小さな靴を拾いつつ、追い駆けて行った。




